盆踊りの地域性

炭坑の盆踊り

密集した長屋で労働者とその家族が肩を寄せ合うようにして暮らしていた炭坑では,盆踊りは年に一度の全山あげての娯楽で,大変な活気があった。8月に入ると笛や太鼓の稽古が始まり,13日の初日には踊り好きや声自慢がどっと繰り出した。炭坑だけに勢いはよく,夜の更けるのも知らず踊り明かすので,一晩で喉を潰したり履き物をダメにした者もあったという。また,死者の霊を迎えて踊る盆踊りは,今日はあっても明日の命はわからないという炭坑において特別な意味を持っていた。

空知地方に多くあった炭坑も,21世紀を迎えぬうちにすべて閉山してしまったが,いまでも炭坑があった地域では盆踊りが盛んで,ほかの地域の盆踊りとは明らかに違う独特の迫力を持っている。炭住や炭坑関連の施設はことごとく取り壊され,昔の面影はすっかりなくなってしまったが,盆踊りだけは往時の活気をいまに伝えているように思われる。

大人盆踊りは昔さながらに「北海盆唄」の生演奏で行われており,ベッチョ踊り時代からのやや色気のある歌詞が含まれているのが特徴である。最終日の仮装大会には,三井や北炭のマークが入ったマルメットを被り,前掛けに豆電球を縫いつけて電気をちらつかせるというような往時を彷彿とさせる踊り手が登場して会場を湧かせることもある。

「北海盆唄」のルーツはかつて炭坑で踊られていた「ベッチョ踊り」にあり,全国的に見ても炭坑から常磐炭坑節,三池炭坑節という盆踊り唄の傑作が生まれていることを考えてみても,盆踊りの本場は炭坑だと言ってよいだろう。とすれば,炭坑の本場は北海道なのだから,盆踊りの本場は北海道だと言っても間違いではないのかもしれない。

上砂川町は三井鉱山の炭鉱町として発展し,最盛期の昭和27年には人口32000人を数えたが,現在(平成19年)では4300人余り。しかし,盆踊りの日には人口よりも多くの人が集まって,昔さながらの賑わいを見せる。

農村の盆踊り

農村の盆踊りは明るくさばさばしている。それだけに,あっさりと盆踊りを捨ててヨサコイに傾倒してしまった農村も多いが,昨今の盆踊りブームでいちばん勢いづいているのもまた農村である。お盆は秋の収穫を控えて農作業も一段落する時期で,参加者の表情も朗らかだ。

子供盆踊り唄の「そよろそよ風,牧場(まきば)に街に」という歌詞は,農村の盆踊りにいちばんマッチしており,夕焼け空にこの唄がこだまするのは何とも言えぬ心地よいものである。盆踊りの会場は農村らしく,広々とした公園やグランドに設けられることが多い。音のことは気にしなくてよい土地柄だけに,概して太鼓の腕が良く,調子の良いリズムで踊ることができる。

小規模なものは子供盆踊りのみ行うこともあるが,全町規模の大きな盆踊りでは大人盆踊りまで行われ,地域の民謡愛好家が演奏を担当する。都会の盆踊りでは,本来の形を重視して,囃子には太鼓と横笛しか使わないが,農村ではその辺が自由で,三味線や,鉦,尺八の入った,華やかな演奏を聴くことができる。

農村の盆踊りは広々とした会場で行われ,
踊りの輪は5重,6重になることも(鹿追町)

農村の盆踊りには豊穣の祈りも込められている(富良野市)

漁村の盆踊り

「北海盆唄」のルーツについては,「新潟県から小樽市高島に移住した集団移民によって伝えられた『越後盆踊唄』の改作であり,小樽市から積丹半島を経て岩内港に至る漁村一帯の唄になっている」というのが長らくの定説だった。現在では北海盆唄と越後盆踊りを直接的なルートで結ぶことは困難と考えられているが,いずれにしても,ニシンを追いかけて日本海沿いを北上してきた移民達によって持ち込まれた本州の盆踊りが,北海道の盆踊りの源流の一つになっていることは確かである。古平や小樽,石狩には今も越後盆踊りを継承している地区がある。

しかしながら,漁村における盆踊りは農村ほどには盛んでないように思われる。「子供盆おどり唄」や「北海盆唄」の曲調や歌詞もどちらかというと漁村のイメージには合わない。それでも,港町釧路では毎年市民総参加の北海盆踊りを開催しており,これは道内最大規模の盆踊りである。

大漁旗の下での盆踊り(小樽市)

山村の盆踊り

どんな奥地であっても,人が住んでいた限り盆踊りは行われていたと言って過言ではない。山間の僻地では,神社が住民の心の拠り所で,神社で行われる盆踊りや初詣,お祭りが年に数度の娯楽だった。例えば占冠村ニニウのような山奥でも,かつては小高い神社の境内で,踊り手ばかりの盆踊りが行われていたという。

白糠町の市街地から1本道を約35kmほどさかのぼったところに二股という集落がある。かつてお盆の夜中にこの集落を車で通りかかったとき,小さな神社の境内が暖かな光に包まれ,部落総出で盆踊りをしていたのは,忘れられぬ光景である。

木材の集積地として発展してきた津別町本岐地区。国鉄の駅跡で開催される盆踊りでは,昔ながらの丸太の櫓が組まれていた。

都会の盆踊り

都会の盆踊りには大きく分けて2つの種類がある。1つは,町内会や商店街が手作りで実施しているもので,どちらかというと子供盆踊りがメインになっており,「北海盆唄」はテープが使用される。概してこれらの盆踊りでは太鼓が稚拙で,踊りの調子を狂わされることが多い。

2つ目は,大人盆踊りを生演奏で行うもので,都会だけに洗練されており,歌詞も美しいものが好んで唄われる。中でも札幌の大通公園で開催される盆踊りは,道内最高峰の盆踊りに位置づけられ,唄い手も踊り手も熟練者が多く参加しており,ほかの盆踊りとは一線を画している。

札幌近郊では「北海盆唄」と「北海よされ節」が10〜20分ごとに交互に唄われることが多い。この「北海よされ節」は戦前から戦後「北海盆唄」に主役を奪われるまで,道内の都市部で主流をなしていた盆踊り唄で,現在でも唄われているのは札幌近郊のごく一部に限られていると思われる。

唄も踊りも粋を極める大通公園の盆踊り
(札幌市)

囃子舞台も華やか(千歳市)