北海観光節 > 北海道の盆踊り

盆踊りべからず集〜盆踊りの担い手の方へ〜

これから書き連ねるのは,すべて実際にあったケースである。盆踊りにルールはなく,地域のゆるやかなつながりの中で,微妙なバランスを保って成立している行事であり,「こうすべき」「こうすべきでない」ということを書くのは,はたして良いことなのかわからない。しかし,楽しい盆踊りのためになることを信じて,道内各地の盆踊りを見ることでわかってきたことを書き留めておくことにする。

景品について

盆踊りの参加者に配布する景品は,重要だと思わない。モノがなかった昔と違って,景品で参加者を喜ばせることは容易ではないし,そもそも景品などなくても,盆踊り自体が十分に楽しいものなのである。しかしながら,その景品がもとで,楽しい盆踊りが台無しになっているケースがときどきある。

●踊っている最中に,景品や引換券,抽選券を配る盆踊り

景品は踊った人のみに当たるのが通例である。しかしながら,踊らないのに,踊りが終わってから輪の中に入って景品を受け取ろうという人が若干いるのもまたよくあることである。それを防ぐために,踊っている最中に踊り手に景品や引換券,抽選券を配り出す会場があるが,これは良くない。踊り手はそれらを受け取っても,収めるところがなく,結局輪を外れるか,半端な踊りしかできなくなるからである。本来盆踊りの終盤は,踊り手も囃子方も一層熱気を帯びて,ますます盛り上がるときである。
踊らずに景品をもらおうとする人たちは,全体からみればそれほど多くないので,見逃してあげてもよいのではないだろうか。どうしても実際に踊った人だけに景品を渡したいなら,首にかけられるような簡単なテープの輪などを用意して識別するのが良い。

●景品が足りない盆踊り

はじめに書いたように,景品などあってもなくても良いものである。しかし,用意するからには平等に配らなければならない。特に子供たちにとって盆踊りは一生に何度もない原体験であり,一部の子供たちだけに景品が当たらないということは,あってはならない。
これまで,子供盆踊りで景品が足りなくなった事例に2度遭遇したが,指示を守ってその場に黙ってしゃがんでいた子供たちや,他人に先を譲る美徳を持った子供たちの目の前で,景品が底をつくのは,大変痛ましい光景だった。その2か所のうち1か所は出店の遊技券を代わりの景品とし,もう1か所ではそのあとの花火大会で使用する予定の花火を一部景品に回していた。いずれも,その判断が下されるまでに相当長い協議を要していた。
たとえ景品が全員に当たらなくても,例えばじゃんけんで当たる人が決まるなど,平等性が確保されていれば問題はないと思う。参加人数が読めない盆踊りで,全員分の景品を用意するのは大変だと思うが,足りなくなったときにどうするかをあらかじめ決めておくのも重要なことである。

●景品の配り方の要領が悪い盆踊り

これも特に子供盆踊りの場合に言えることである。踊りが終わった後,子供たちはその場にしゃがみ,主催者が手分けして子供たちに配るのが通例である。このときばかりは主催者総動員で,また主催者で足りなければ,親御さんなどにも手伝いを呼びかけて,なるべく長い時間をかけずに配り終わるのが望ましい姿だと思う。
一方で,景品の配布場所を1か所として,子供たちが並んで受けとる方式の会場も少数存在する。そのような方式を採用するひとつの理由は,参加人数が非常に多く,一人一人に配って回っていたのでは収拾がつかなくなるケースである。このような場合,櫓の,東側,西側などとブロック分けをして,順に列に並んでもらって景品を配布するのは合理的な方法と言える。
配布場所を1か所とする別のケースとして,いろいろな種類の景品を用意しておいて,子供たちに選んでもらう場合がある。モノ余りの時代に,子供たちに喜んでもらうための苦肉の策としてそうしているのだろうが,豪華景品のための盆踊りになってしまっては,本末転倒である。踊りの景品は,あくまでも簡素なものでよい。
配布場所を1か所とするさらに別のケースとして,子供たちの数に対して,スタッフの人数が少ないケースが挙げられる。この場合,少人数で大勢の子供たちに景品を配ることになるのでいずれにしても効率は悪い。子供たちがそれだけたくさんいるということは,地域の中に盆踊りの担い手となるべき大人もそれなりの人数が存在しているはずだが,それなのにスタッフの人数が極端に少ないのは,主催者側が何らかの問題を抱えていると考えられる。実際にあったあるケースでは,スタッフがステージ上の高い場所から景品を渡すなど,一般参加者と距離を置いた姿勢が見られた。盆踊りは,地域のみんなが担い手になるべき行事であり,主催者が高齢化して地域から孤立している場合や,衰退した商店街が無理に盆踊りを続けている場合などは,地域として盆踊りをどうしていくか,皆で考えていく必要があると思う。

踊りの輪について

●一重の輪を崩さない盆踊り

踊り手の数が増えると,輪がだんだん大きくなる。しかし,いつかは限界に達し,前後の踊り手との間隔が狭くなり,踊ることも前に進むこともできない状態になる。こういう状態になっても,なお,輪を一重のまま崩さない会場が少なくない。
輪は一重でなければならないという決まりはどこにもない。窮屈になれば,踊り手が自ら輪を外れて,内,外に別の輪を作ってよいのだし,それぞれの輪が逆向きに回転していたってかまわないのである。踊り手にそういう動きがない場合は,主催者が輪を複数にするよう誘導すべきである。一つの輪が広がりすぎるのは,囃子方と踊り手の一体感がなくなる点でも好ましいことではない。

●だれも踊り方を知らない盆踊り

北海盆唄の場合,だれかは踊り方を知っているものだが,問題は子供盆踊おどり唄の場合である。幼稚園や保育所で盆踊りの練習をしているのでなければ,子供たちが踊り方を知らないのは無理もない。
そのため,主催者側で踊りの愛好団体の人たちに,踊りの先導を頼んでおくケースも多いし,たいていの場合は,地域の中に踊り好きな人がおり,そうした人が子供の輪に入って率先して踊ることにより,なんとなく形になるものである,しかし中には不幸なことに,会場内に誰も踊り方を知っている人がいないということも少なくない。
そうした盆踊りでは,せっかく浴衣を着て張り切って参加した子供たちも,ただ櫓の周りをぐるぐる回るだけとなる。これでは,子供たちがかわいそうである。盆踊りを開催するからには,最低限スタッフの1人か2人は踊り方を勉強しておき,いざとなったらその人たちが踊りを先導するのも,盆踊りの担い手としての責務ではないかと思う。
また別の問題として,踊りを先導する人たちにしても,そのほとんどが「子供盆おどり唄」の正確な振り付けを理解していないということがあるが,これは個々の盆踊り会場の課題というよりも,全道的なネットワークを有する民踊関係団体の取り組みを期待したいところである。

●スタッフが常に輪の中で見張っている盆踊り

踊りの輪の中には,本来踊り手以外はいるべきでない(櫓下に本部席や審査員席がある場合は別である)。認められるケースとして,新聞記者などが写真を撮るために一時的に輪の中に入る場合や,スタッフが誘導のために立ち入るケースがあるが,これも度が過ぎるとよくない。特に,スタッフであることをよいことに,必要以上に輪の内側にとどまり,踊りの雰囲気を乱している盆踊りが散見される。例え,踊りの監視や誘導が役割として与えられたとしても,問題のない限りは,輪の内側に入らないことを旨とすべきである。

●ビデオカメラで撮影しながら子供と一緒に輪の外側を回っている親たちが多すぎる盆踊り

浴衣姿で踊っている子供を映したくなるのは親の性だろうが,それも限度を過ぎるとよくない。撮影しながら子供と一緒に輪を回っている親が数名いる分には,それほどの問題はない。しかし,ひどいケースでは,ほとんどの子供に1対1で親がついて回っている会場,こうなると子供も踊りどころではなくなり,盆踊りが成立しなくなる。
なぜこういうことが起きるかというと,輪を回りながら撮影する親が増えるにつれ,輪から離れて留まっていたのでは,輪を回りながら撮影している人たちに邪魔されて子供の姿を捉えられなくなり,自分も子供に付いて回らざるを得なくなるからだと考えられる
こうしたことを防ぐのは難しいようにも思われるが,やはりまずは子供たちが自分たちできちんと楽しく踊ることのできる環境が整っていれば,大人たちがやたらと子供に近づいていくことは起こらないのではないだろうか。

司会について

町内会の役員など,盆踊りの担い手が自ら司会を行う場合は,それが下手なものであっても,不快な思いをさせられることはまずない。問題は司会を外部の人に頼む場合である。

●司会がうるさすぎる盆踊り

これは決まって地域FMのパーソナリティーに司会を頼んだときに生じる弊害である。仕事として請け負っているのでしゃべり続けなければならないという強迫観念があるのか,間があき過ぎると放送事故になるというラジオの感覚から抜け切れないのか,ひたすら同じアナウンスを繰り返したり,実況中継風の司会を展開するケースが非常な多い。こうなると,唄や囃子はかき消されて,盆踊りは不快なものになる。
そうした人に司会を頼まざるを得ない場合は,必要なことを必要なときに言ってもらえばよいのであり,余計なアナウンスは必要ないことをあらかじめはっきりと伝えるべきである。また,実際にラジオでの実況中継と司会を兼ねる場合,両者は区別すべきであり,会場にいる人たちにとっては必要ない情報である実況中継の音は,会場内で流さないことが肝要である。

●役職で司会を頼む盆踊り

役場の担当者や,小学校の校長先生,郵便局長などに,慣習的に役職で司会を頼む盆踊りがある。期待以上に素晴らしい司会をしてくれることも多いが,まれに,単なる義務として引き受け,何の思い入れもない司会を行い,盆踊りの雰囲気を台無しにしている例がある。
やはり,司会は人を見て頼み,下手でもよいから,少なくとも盆踊りを楽しいものにしたいという思いのある人にやってもらうべきである。

●盆踊りの直前でメインの司会者が降板する盆踊り

夏祭りなど,一日に渡るイベントで,盆踊りがプログラムの最後に位置付けられている場合,盆踊りの前に抽選会や花火大会を行い,それが終わった時点で司会者が交代するケースがある。これは,司会をフリーアナウンサーなどに委託している場合に多い。抽選会は往々にして時間通りに終わらないもので,盆踊りの時間に食い込んだ挙句,それまで祭りを盛り上げていた司会者がそこで帰ってしまうのは,盆踊りを楽しみに来ている参加者にとって,何ともやるせないものである。
このようなケースでは,盆踊りの開始時間が遅れないよう進行時間を厳守するとともに,間断なく盆踊りに移り,司会者が帰った後の盆踊りを,それまで以上に盛り上げる演出が必要である。

照明,音響について

伝統芸能と名がつくものであっても,照明や拡声器(スピーカー)を使うものは,すべて偽物である。現代においても,照明や拡声器を使わなくて済むなら,使わないほうが上等である。

●明るすぎる盆踊り

本来お盆は旧暦7月の十五夜の行事であって,そこに夜踊る盆踊りという風習が生まれたのである。今ではお盆といっても月が出ているとは限らないので,ある程度照明に頼らざるを得ないが,櫓の周りに吊るされた提灯が照らす程度のほのかな明かりで十分である。暗い中に人が集まるからこそ,そこに先祖の霊などいろいろなものが見えてくるのが盆踊りの本質である。
ナイターのように明るすぎる盆踊りは良くない。また,数を競うように提灯をたくさん取り付けている会場もあるが,趣味の悪いネオンサインのようになりがちで,かえって寒々しい雰囲気になっている場合がある。照明は明るさとともに,色合いも考え(暗い場合は電球色のほうが一般に心地よい),最低限にすべきである。

●盆踊り唄の音が大きすぎる盆踊り,小さすぎる盆踊り

本来の盆踊りは,スピーカーを使わず,太鼓の音に合わせて,踊り手が自ら唄ったり合いの手を入れるものである。このような原始的な盆踊りは,これまで道内で2例のみ見たことがある。しかし,いまや無形文化財に指定されるような伝統的盆踊りであってもスピーカーに頼っているところがほとんどである。
スピーカーを使うからには,適切に使う必要がある。しかし,ほとんどの人が不快に感じるほど音が大きい盆踊りが実際にある。何人もの踊り手が,耳をふさいで踊っているのも見たことがあるが,これではまともな盆踊りにならない。なぜそういう事態が発生するかというと,主催者が無頓着だからにほかならない。やはり,会場にいる人たち同士が,大声を出さなくても会話が成り立つくらいの音の大きさがふさわしいと思う。
逆に,音が小さずぎて踊るのが困難な盆踊りもあった。この盆踊りも,ビールパーティーがメインのような会場で,盆踊りに対する主催者の無頓着ぶりがうかがえた。

●唄が聞き取れない盆踊り

音の大きさが適切であったとしても,唄の声の大きさと,囃子の大きさのバランスが悪く,唄が聞き取れないことがある。大人盆踊りの場合,歌詞もまた重要な要素であり,唄い手が変な歌詞を歌えば,踊り手がそれに応えて野次を入れたりするのが本来の姿である。
伴奏が三味線や太鼓など和楽器の場合は問題になることがほとんどないが,エレキギターなど洋楽器が入った場合が問題である。演奏は和楽器に限らず,バンドでも吹奏楽でもよいが,どんな場合であっても,歌詞がはっきり聞き取れることを徹底すべきである。

●演歌歌手が唄う盆踊り

イベントの中で歌謡ステージが行われる場合,その歌手にそのまま北海盆唄の歌唱を依頼するケースがある。ここで気を付けなければならないのは,演歌と民謡はまったく別物だということである。民謡の基礎がある歌手なら問題ないが,演歌しか知らない歌手が北海盆唄を唄った場合,非常に気持ち悪いものとなって,聞くに堪えないことも実際あった。単に歌手だからといって,安易に盆踊り唄の歌唱を頼むべきではない。

●踊っている最中に子供の太鼓体験を行う盆踊り

都市部の盆踊りでは熟練した太鼓のたたき手を確保できないことが多い。住宅密集地では太鼓の練習も難しいだろうから,それも無理はないことである。しかし,そうしたほとんど素人が太鼓を叩く盆踊りに限って,子供盆踊りの最中に,輪の真ん中で一般参加の子供たちに太鼓を叩かせることがよくある。当然太鼓の調子は曲と無関係なので,踊っているほうとしては雑音にしかならない。
踊りの最中は,踊りに集中するのが子供たちのためでもあり,太鼓体験をやるなら別に時間を設けるべきである。また,盆踊りに太鼓は必須ではなく,テープ演奏だけで踊っている会場も珍しくない。叩き手がいないのに無理に太鼓を用意する必要はないと思う。

踊りを観る人について

盆が来たのに踊らぬものは木仏金仏石仏という歌詞もあるが,盆踊りを見る人の存在も実は重要である。踊る人だって,見てくれる人がいるからこと張り合いが出るというものである。それでも見物人に対して風当たりが強いのは,踊る人が少ないからだが,本来の魅力的な盆踊りであれば,誰もが踊りたくなるものである。

●観客席が多すぎる盆踊り

盆踊りは,唄う人,踊る人,観る人による三位一体の真剣勝負であり,原則として観客席はいらない。しかしながら,盆踊り会場の中に広々とした観客席を作って,ビールパーティーのようになってしまっている会場がある。これでは踊りが締まらない。
理想としては,椅子ではなく,輪から少し離れたところでさりげなく腰掛けられるような場所があるのが良い。最初から盆踊りを想定して造られた公園などには,そういう段差や縁石が周囲にちりばめられているものである。

●観る場所がない盆踊り

自衛隊の駐屯地で行われる盆踊りが,たいていこのケースに該当する。自衛隊の盆踊りは,駐屯地内が一般に開放される貴重な行事である。しかし,輪の周りは部隊ごとに区画された見物スペースとなっており,一般の観客の居場所がほとんどないのである。一般開放の行事であるからには,もう少し改善できないものかと思う。

●主催者が櫓の上で踊りを眺めている盆踊り

主催者の何人かが,用もないのに,櫓に上り,輪を見下ろしている盆踊りがある。ひどい場合は,櫓の上から,踊り手に向かって野次を飛ばし,喧嘩沙汰になりかねないような事態にも出くわしたことがある。櫓とは神聖な場所である。スタッフだからと言って,むやみに上って,踊りを見下ろすのは良くない。

その他

●休憩が多すぎる盆踊り

盆踊りは何時間続こうが,原則として休憩は不要である。休みたくなったら,自由に輪を外れればよい。囃子方も自由に休んでよいし,最低限太鼓か唄のどちらかが交代しながらでも続いていれば踊りは成り立つ。
とはいえ,間に1回程度の休憩を挟むのは問題ない。しかし10分おきなどあまりにも頻繁に休憩を入れるのは,興ざめである。これは,主催者側が盆踊りの楽しさを理解していないためだと考えられる。最低限30分間は続けて踊る時間を確保してほしい。逆に,踊りを終わらそうとしても,踊り手から「もう終わりか」「まだ踊らせてくれ」と悲鳴が聞こえてくるのが本来である。

●安全指導員の仮装団体が現れる盆踊り

仮装は何をやっても自由である。しかし,よくありがちで,いただけない仮装がある。それは安全指導員の仮装である。
特に,公共色の強い仮装盆踊り大会の場合,必ずと言ってよいくらい,蛍光色や,黒地に蛍光テープを貼ったジャンパーを着て,光る誘導棒を持って踊る団体が現れる。警察や安全指導員は,何かあったときのために裏方でいればよく,表舞台に出る存在ではない。見た目にも美しいものではないので,楽しい盆踊りの雰囲気を壊すだけだと思う。さらに,サングラスをしたり,やかましいホイッスルを吹きながら踊るなどはかえって治安を乱しており最悪である。しかもこの種の団体は,主催者側に近い立場にあることが多いようで,どうみても仮装としては安直なのにもかかわらず,上位入賞して賞金を手にしていることが多い。盆踊りは平等であるべきだ。