ちっちゃな縁日2011

訪問日:2011年8月13日(土)

場所:下川町にぎわいの広場

下川町では2003年以降,町商工会主催で行われていた町内唯一の盆踊りが休止となっていたが,2010年に町内の女性により「盆ガールズ」が結成され,新たな体制で盆踊りが復活した。この年は,復活後2年目に当たる。以前より町民有志により実施されていた「ちっちゃな縁日」の一環としての開催で,主催はちっちゃな縁日実行委員会となっている。

 

会場はJR名寄本線下川駅跡地の「にぎわいの広場」である。会場から国道に向かって,駅前通りの商店街が残っている。下川町は営林署が2つ設けられた道内有数の林業の町であるとともに,戦中から戦後かけて銅鉱の下川鉱山で活況を呈し,ピーク時には人口が1万5千人を超えた。下川駅からは町内奥地への森林鉄道や鉱山への索道が延び,広大な構内を有していた。

名寄本線は国鉄の本線として唯一,廃止対象の特定地方交通線に選定され,名寄〜下川間については第3セクター化で鉄路を残すことも検討されたが,ついに1989年5月1日に全線が廃止され,1983年の白糠線に始まった特定地方交通線廃止の道内における幕引きとなった。敷地内にはキハ22形気動車2両が保存,展示されており,この日は盆踊り関係者の控室として利用されていた。

 

会場周辺で見かけた新旧地図。古いほうの地図には下川駅が掲載されていることから,少なくとも名寄本線が廃線になった1989年より前のものと思われるが,実際にまちを歩いてみると,古い地図に掲載されている店のかなりが現在も残っていることがわかる。これが下川の卓越したところで,商店街の魅力的な取り組みは「いってみたい商店街」の北海道表彰を受けるなどしている。

もともと特段の観光名所はない土地であるが,1986年に始まる手づくりの万里長城や,アイスキャンドル発祥の地として知られるところとなり,近年では特産のしもかわうどんを目当てに訪れる人も増えているようである。また,1950年代から国有林の払い下げにより取得してきた町有林を基盤として,資源,エネルギー循環型のまちづくりを町役場が強力に推進しており,2008年には環境モデル都市に,この2011年には道内で唯一,環境未来都市に選定されるなどの成果を上げている。

下川町の現在の人口は3000人台となっているものの,魅力的なまちづくりにより移住者は増加しており,森林を活用した体験プログラムや,音楽,アートなどのイベントが活発に実施されるようになっている。盆踊りが8年ぶりに復活したのも,そうした背景があってのことと思われる。

18:00〜 子供盆踊り

子供盆おどり唄は,持田ヨシ子盤が使用され,非常に明瞭な音で再生されていた。太鼓の伴奏がなかったのは,比較的珍しい。

子供,大人含めて参加者のほとんどが,きちんと踊ることができ,しかも所作がはっきりしていたので見ていて気持ちが良かった。恐らく盆踊りを復活させるにあたって,振り付けを改めて確認したものと思う。

子供盆踊りをきちんと踊っている盆踊り会場は全道的に見てほとんどないが,近年,担い手が世代交代する際に,あらためて振り付けを勉強し直している盆踊りが何か所か出てきているようである。

子ども盆踊り動画(MP4,9.0MB)

 

細かい部分で見ると,本来の振り付けと異なる部分が多々あったが,これは振り付けを確認するにも良い見本がなかったからであろう。ただ1か所,明らかに異なる振り付けをしていたのは,「灯がともる」の部分で,本来,円心に向かって3歩前進,左足トウタッチのところを,右足を蹴り出し両手をぱっと上方に開いていた。これはたぶん,本来の振り付けを知りながら,独自に変更したものと思う。

振り付けは良かったのだが,最後まで一重の輪を崩さずに,限界まで輪が広がり,前進が困難になったのはいけなかった。自然にしておくと1列に並んでしまうのは日本人らしくはあるが,本来盆踊りは輪を二重三重にしてよいものである。踊り手が増えて輪が渋滞してきたと見たならば,輪を二重にするよう誘導すべきである。

18時28分,子供盆踊りは終了。景品として子供たちは会場内のゲームコーナーなどで使える引換券を受け取っていた。

  

縁日では,駄菓子,射的,ヨーヨー釣り,スーパーボールすくい,金魚すくい,綿あめ・ドンなどのコーナーがあった。また,ミニエクスプレスなよろ号が立派な汽笛を鳴らして終始運行していた。

18:40〜 下川ばやし・北海盆唄

18時37分,予定より若干早く「下川ばやし」の踊りが始まった。「下川ばやし」は,北海道百年記念事業の一環として1963年8月に歌詞を募集,町内の高橋小梅氏の詞が採用された。振り付けは旭川の小島舞踏研究所による。学校運動会,盆踊り,千人踊りなどで広く親しまながらも,途絶えていたものが,盆踊りとともに2010年に復活している。近年,盆踊りの再興とともに地域の音頭が復活する例が相次いでいることは嬉しい。

歌詞に具体的な地名や固有名詞は出てこないが,1番の歌詞冒頭の「日やけした顔 デッカイ手にも」は印象的である。

子供も含めて,踊りはよく揃っていた。学校でも練習しているのだろうか。

下川ばやし動画(MP4,4.5MB)

下川ばやしを20分ほど踊った後,約15分の休憩に入り,19時12分,北海盆唄による盆踊りが始まった。

北海盆唄の演奏は盆ガールズと渓流太鼓が担当していた。盆ガールズは歌のほか,しの笛,三味線、鉦の演奏を担当しており,2010年の盆踊り復活に当たり,それぞれ一から習得したものであるという。なお,盆ガールズはこの翌日,風連の盆踊りでも出張演奏を行っている。

唄は,2008年の北海盆唄全国大会優勝者である旭川の朝倉真貴氏の指導を受けているとのことで,この日は朝倉氏も駆けつけていた。盆ガールズのメンバーは3人が交代で唄を担当していたが,お師匠さんの横での緊張もあったのか,もっとうまく唄おうと思えば唄えるものをあえて抑えて,あくまで基本に忠実に楷書体の唄い方を通していたように思われた。

唄われた歌詞は,次のとおり11種類にとどまり,生演奏で唄われる歌詞としてはかなり少ない。このうち,「下川……」で始まる3つの歌詞はオリジナルで,もっぱら朝倉氏により唄われていた。「コイバリバリ」に代表される特徴的な囃子言葉や,標準より長い間奏は,2008年の陸上自衛隊旭川駐屯地納涼盆踊り大会と同様であった。

北海名物 数々あれど おらが国さの 盆踊り
波の花散る 津軽の海を 越えて蝦夷地へ いつ来たか
はやし太鼓に 手拍子揃え 櫓囲んで 盆踊り
唄に誘われ 太鼓に引かれ 今来たこの道 二度三度
踊り揃うて 輪になる頃は 月も浮かれて 円くなる
下川よいとこ 一度はおいで 万里歩けば ○○にとる
下川名物 ふるさとの元気 トマト甘く熟して 医者いらず
貴方百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の はえるまで
下川名物 数々あれど 麦が黄金波打つ はるゆたか
川は石狩 流れも清く 唄で知られた 旭川
あまり長いは 盆唄飽きる まずはここいらで とめまする
○○は音声不明瞭により歌詞不明

北海盆唄動画(MP4,5.0MB)

唄は「あまり長いは……」で19時46分に締められ,約2分間に渡る太鼓の早打ちを経て踊りの終了となった。

終了後,朝倉氏に花束が贈呈され,記念撮影が行われたが,踊り手の表彰や抽選会などはなかった。この日のイベント全体を通じ,特段のセレモニーや,盆踊り以外の出し物,余計なアナウンスなどはなく,純粋に盆踊りを楽しめる行事だった。これは盆踊りの理想形の一つだと思う。

満身創痍の商工会が,四苦八苦して盆踊りを続け,人集めのために余計なことをやっている事例は少なくないが,そういうところは,一度いままでの盆踊りを白紙に戻しても良いのではないかと思う。そして,下川のように新しい担い手によって,もういちど盆踊りが原点に戻って再開される地域がどんどん出てくれば素晴らしいことである。

帰りの名寄行きのバスで,町内の上名寄から1人で盆踊りを見に来たというお爺さんと少々話しをした。昔は団体や会社で出たものだが,踊り手が少なくさびしいとしみじみと語っていたのが印象的だった。