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5. 鬼峠座談会&交流会

15時10分,バスで道の駅に戻ってきた。そこから交流会会場の湯の沢温泉には各々移動し,15時半ごろ到着した。

参加者同士話したり,温泉に入ったりして,しばし時間を過ごした。

●18:00 鬼峠座談会&交流会

予定どおり18時から鬼峠交流会&座談会を開始。Iさんの乾杯で宴が始まった。

乾杯のワインは鹿料理にいちばん合うというふらのワイン「羆の晩酌」と,山菜との相性が良い「ミュラー・トゥルガウ」が用意された。まずはビールで,なんてことをしないのが占冠らしいところである。

 

本日のご馳走を作ってくださったマルシェひまわりの観音さんと湯の沢温泉の高橋さん。

日本全国探しても,おそらく鬼峠フォーラム以外ではまずいただけないであろう,鹿肉料理の数々。

いまだに鹿肉は固くて臭いという先入観を持たれることが多いが,臭みはもともと鹿が持っているものではなく,処理の仕方の問題なのだという。そして高橋さんは,部位や鹿の素性によって,その肉がいちばんおいしく食べられる方法で調理をし,一頭一頭焼き方まで変えているという。最初から最後まで全部自分でやっているからこそなせる技だ。

占冠村内の森から,持続的に捕獲できる鹿の数は300頭くらいだといわれている。鹿1頭から取れる肉は約20kgだというから,本気でみんなが食べだしたらあっという間になくなる量だ。だからこそできる限りおいしく,ありがたくいただかなければならないし,鹿が棲み続けられるよう森も守っていかなければならない。

1時間ほど歓談の後,一人ずつ今日の感想をいただいた。以下に,印象に残った言葉をいくつか記録しておく。


・「水田を作っていたからこそ自給自足ができた。ニニウでは村内で最後まで水田を作っていた」

・「ニニウには言葉ではうまく説明できないが,体でよくわかるものがあった」

・「ドラマに出てくるおばあちゃん(チズ)は,舅に一生この山を見て暮らすんだぞと言われて,一生ニニウに住む覚悟を持ったのだと思う。孫(鉄夫)は,そのおばあちゃんをずっと見ていた。だから,鉄夫がニニウを出ていくときも,おばあちゃんは鉄夫が戻ってくるとわかっていたのではないか。しかしお母さんは覚悟ができなかった。鬼峠でニニウを去っていく母親の記憶がよみがえり,『鬼が出た』と叫んだのは,お母さんを連れて行った魔物,それが鉄夫には鬼に見えたのではないか」

・「ニニウがあることで,まったく知らない人,違う年齢の人たちが一つになり,気持ちと気持ちで話ができる。ニニウには小さいところだからこそ見つけられるものがある,そういうポイントではないか」

・「ニニウが桃源郷だと書いているエッセイがあったが,桃源郷というのは,単なる花園とかではなくて,実はニニウのような自給自足ができた場所なのではないか」

・「自分にとっては赤岩青巌峡がニニウの入り口である。赤岩のゲートは,そこから魔法の国に連れて行かれるような神隠しの場所。ニニウは子供たちにとっても秘密基地のような場所であり,これからも子供たちをニニウに連れて行って思い出を残してあげたい」

・「僕たちの基本はニニウの蛇喰い仙人」

・「トマムと占冠とニニウは切っても切り離せない関係にある。トマムリゾートにあるニニヌプリというレストランの名前もニニウからいただいた僕たちのメッセージ」

・「今日は山に入ることがすごく怖かった。大地が怒っていた。そういう時に自分たちが山に入っても受け入れてはもらえない。『今日は山が怒っているので鬼峠越えは中止』と言ってもらえたことを,すごく嬉しく思っている」

・「その土地から一つの灯りが消えるというのは,自分としては考えられない。自分は育った家をどうしても残したい。でも,そこで生きていく方法が見つからない。そこに葛藤がある」

・「村の人たちはモノを作るということをしなくなった。村がリゾート化に大きく舵を切って,そこで忘れられたものがたくさんある。それを一つ一つ拾い集めていけば結構面白いものになる」

・「村民であれ,外からこの村を見ている人であれ,この村を何とかしたいと思う人がたくさんいればいるほど,楽しい村になると思う」


毎回参加している人,今回初めて参加した人などいろいろだが,午前中にドラマを見たり,歴史的な背景を知ってからニニウに行ったことで,初めて参加した人も,かなり深いところまで思いを巡らせていたようである。

山本さんも「今回は峠を越えられなかったけれども,意外と参加した人たちはニニウ・鬼峠の本質にアプローチできていた。鬼峠を越えたから見られるものもあるが,そうではないものもまたある。図らずも,今回のフォーラムは非常に良かった」とおっしゃっていた。

21時で鬼峠交流会&座談会はいったん終了。その後も日付を回るころまで話は続いた。


今回は割と早く床に就き,すっきりと起床。朝食をいただく。

富良野行きの村営バスで宿を発つ。バスの中でラジオふらのの岡崎さんと話をした。岡崎さんとは昨年10月の近自然セミナー以来である。石川県の町役場を退職し2010年の8月に富良野に来て,ラジオふらので動画配信を担当されている方である。富良野にいるのは3月までの契約で,あと数日で富良野を離れられるという。鬼峠フォーラムが最後の仕事になるそうだが,ニニウには不思議な魅力を感じたようで,「これが最後の仕事になり自分としては良かった」とおっしゃっていた。私もそう言われて嬉しかった。

ともかく,あと数日で富良野を離れられるということで,この半年間,富良野沿線を取材してきて,どう思われたか,富良野までの道中,いろいろ伺った。

岡崎さんが取材,編集された動画は,ラジオふらのの「Webテレビ&ラジオ」で公開されている。

http://tvradio.furano.jp/movie/2011.03/onitouge_20110312/onitouge_20110312.html

http://tvradio.furano.jp/movie/2011.03/onitouge.yamamoto_20110312/onitouge.yamamoto_20110312.html

http://tvradio.furano.jp/movie/2011.03/onitouge.tatematu_20110312/onitouge.tatematu_20110312.html


6. 忘れられたニニウ