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8. シンプルなニニウ

いまこれを書いているのは,2015年の7月である。鬼峠フォーラム2014の開催から実に1年半近くを経過してしまった。この間にまたいろいろなことがあって,要領よく総括をするのは難しい。

前年のフォーラムの総括で,ニニウは新しい時代を迎えるだろうと書いたが,その後の1年で,過去のいくつかのことに始末がつけられた。

●2013年10月 ニニウサイクリングターミナル,新入小学校・中学校,教員住宅の解体

 

大きな出来事としては,2007年に村が民間業者に譲渡していたニニウの施設群が,2013年,再び村に戻り,これらの施設が10月から11月にかけて解体された。

公知の事実を簡潔に記せば,次のようなことである。なお,鬼峠フォーラムとは基本的に関係していない。


2006年,村所有のサイクリングターミナル周辺施設を,民間業者に譲渡,売却するという話が持ち上がり,2007年7月2日付けでニニウ自然の国再生事業に関する基本協定,土地の売買,財産の譲渡に関する仮契約が村と民間業者の間で交わされた。

その後,2008年9月にニニウ自然の国再生を目的とするNPO法人が設立,2011年度からは3年間の予定で村所有のキャンプ場の指定管理者として同NPO法人が指定を受けるも,トラブルにより1年で指定取り消し。2012年7月には村が土地,建物の明渡し請求の訴訟を起こすに至っている。このキャンプ場の件については,同年10月,和解により解決が図られた。

一方,サイクリングターミナル,旧校舎,教員住宅については,2012年3月に意図的に施設の一部が破壊されるという不幸な事態となったが,2013年3月28日の村議会を経て,村が和解金を支払うことで,再び施設が村の手に戻ることとなった。


一連の騒動が,何を動機とするものであったかは承知していないが,少なからずニニウを何とかしたいという純粋な動機に根ざしたものがあったはずだと信じたい。

サイクリングターミナルは2003年以降,キャンプ場は2006年以降長期休業に入っており,もともと村としてはなすすべのない状態であった。これを村の管理下から外し,何らかの方法でニニウ自然の国を再生させる計画であったと聞く,サイクリングターミナルには赤岩の岩石を配した露天風呂を新設,旧校舎は改修の上,一体的に使用できる屋外ステージやアート広場を設ける計画であったという。開業予定は高速道路が全通する2011年度であった。

しかし,どこかで歯車が狂ったのであろう。結果として,ターミナルの一部が破壊された以外は何も手が付けられないままに,村に戻されることとなった。

そして,施設が村に戻るやいなや,即,解体の方針が決まり,秋にはすべて更地になった。意外なほど性急な解体に思ったが,過去のことを清算し,一から出直すべきだという強い意志の現れのようにも感じた。

ある人が言った。「シンプルなニニウに戻ったということです。これで,良かったんじゃないですか」

シンプルになったニニウは,キャンプ場の再開,新たな移住者の来訪と,確実に新たな道を歩み始めている。

●2015年1月23日 ぼっこてぶくろにて

この日,東京からお客さんが来るのでと誘われて,占冠村の地域カフェ「ぼっこてぶくろ」に向かった。

そこで,たまたま見つけたのが,ニニウサイクリングターミナルに保管されていたアルバムだった。解体を前に,村の有志たちが持ち出したものであるという。

 

ニニウサイクリングターミナルは,1982年7月に村が策定した「ニニウ自然の国構想」に基づき整備された施設である。当時,アルファリゾートトマムの開発だけで手一杯だったはずなのに,この意気込みはどこから来たのであろうか。もしかしたら,この当時から後の再生計画につながる,何らかの強靭な力が働いていたのかもしれない。

「ニニウ自然の国開発構想」。手書きのものは初めて見た。イベントとして,新年会・同窓会,山菜ツアー(植樹祭),カヌー大会,サイクルフェスティバル。屋外コンサート,きのこツアー,交流運動会,忘年会,合宿セミナー,体験学習,集中講義,スキー合宿,講習会,歩くスキー遠足が計画されていた。いまでもまったく古さを感じさせない内容である。

 

ニニウ自然の国完成予想図。

 

実際に行われた「ニニウよいとこ山菜ツアー」と「シンポジウムinニニウ」。

サイクリングターミナルの建物は建築家・下村憲一氏の設計であるが,自然の国構想そのものや,開業後のイベントにも下村氏が深く関わっていたことを知った。また,夫人の煙山泰子氏は家具デザイナーで,ニニウのサイクリングターミナルが2人での初仕事だったという。思い入れが多いであろうこの建物の解体に,お二人は納得していたのだろうか。

この椅子は,サイクリングターミナルから村民有志が運び出したもの。煙山氏のデザインだとすれば,これだけでも残って良かった。


●GPSによるルート検証

 

国土地理院発行2万5千分の1地形図「ニニウ」 昭和49年測量,平成20年更新

毎年参加されているHさんがGPSによる今年の(2日目の)歩行ルートの記録を送ってくださった。

黒の線は,旧版地形図に記載されているルートをもとに,私が現在の地形図に落としたもので,必ずしも正確ではない。

石勝線の鬼峠トンネル東側坑口付近に至る峠の入り口部分は,当時を知る会田さんや伊藤さんの証言と食い違っており,まったくもって不可解である。

その後,峠の頂上までは,GPSの軌跡が想定ルートとほぼ重なっている。峠の頂上から先は,部分的に想定ルートと重なっている部分もあるものの,6回横断しているはずの谷間を2回しか横断していない。

あらためて気が付いたのであるが,そもそも峠の降り口が違っていたのではないだろうか。もうあと100メートルほど進んでから一つ南の尾根筋を下りているように見える。この箇所は初日の探査のときに,細谷さんと意見が割れた部分で,私の直観的な判断が採用されたのである。しかし,いまよく地図を見ると,細谷さんが当初主張されていたルートのほうが本来のルートに近かった可能性があり,深く反省している。

ただ,そのルートを下ったとしても,その後の谷間を行ったり来たりの部分が順調に進んだとは思えない。

それにしても,使われなくなってから,まだ半世紀余りの道が,なぜこれほどまでにわからなくなってしまったのかと思う。これが,鉄道跡であれば,仮に簡易軌道のようなものであったとしても,これほど当時の道をたどるのに難儀することはないだろうと思う。

再び,2015年1月23日のぼっくてぶくろ。細谷さんは,2月16日に,ここで「村民食堂」をオープンする予定となっていた。

夜も23時を過ぎ,厨房で一人片づけをする細谷さんと,久々にゆっくりと話をすることができた。

「去年の道(今回のフォーラムで歩いた道)は,ある時代には正しかったのだと思う」。ただ,「沢が崩れたのではないか。そのとき,結局人間は楽な方を行ってしまうのではないか」とおっしゃった。これは,人間の生き方にも通じることだと思った。

それと,「大きなものを見てしまうと感覚がおかしくなるのではないか」とも指摘されていた。それゆえ,会田さんや伊藤さんも惑わされていたのではないかという。広い世界を知ることも大切だが,知らないゆえの研ぎ澄まされた感覚も,今の時代だからこそ大事にしたいものである。

「すべてが違う」と常々おっしゃっている細谷さん。私はその真意をわかりかねていたが,道が違っているというだけではなく,道を歩く私たちの気持ちも時代背景も,すべてが当時と違っているということだと,最近徐々に理解してきたように思う。ただ,今回の取り組みを通じて,少しは本当のところに近づいてきたのではないかという。

道をたどることを通じて,昔の人と心を通わせ,できることならば追体験をしたい。「これで良いことにしよう」ではだめで,昔の人と心を通わせるためには,何時間でも悩みたい。永遠に答えは出ないであろうが,年に1度のこんな機会も良いものだと思う。


鬼峠フォーラム2014開催報告 完