[ 館内ご案内 ] [ 地 図 ] ニニウのこれから 北海観光節

自然と人間の生活


ニニウという天然自然があって,ニニウの歴史がある。
自然を征服することが人間の歴史であるともいえるが,
自然に随順して生きてきた一面もまた歴史である。

新移住民小屋及び耕作の景(明治末)
北大付属図書館編『明治大正期の北海道−写真と目録<写真編>』より

●バッタ

 杵の一方が水溜りになっていて,それにいっぱい水がたまるとその重さで杵がはね返り,はね上がると水がこぼれるので杵が自重で落下し,米や麦をつく装置。水車よりも水量や落差がなくても仕掛けることができる。字占冠には「バッタの沢」という地名がある。

●自然人

「もう40年も前,占冠村トマムに観光バスが走っていた。今のトマムリゾートなど話にもなかった頃である。乗客は東京の老人クラブの旅行者。東京の人々がなぜここに憧れを持つのだろうか。人間はいかに文化の仮面をかぶっても所詮人間は人間である。自然人である。」
「汽船の通らない海,広告球と煤煙のない空,舗装されない土,すなわち絶対的な大自然は,人間がその魂のふるさとを恋うやるせない憧れの的である。」(占冠村史)
 それはそうなのだが,トマムにもニニウにも大自然だけではなく人の生活というものがある。美幌峠や知床五湖の絵葉書的風景に自然の美しさを感じるのもよいが,意識を一歩前進させて大自然の中にある人の営みに美しさを感じてほしい。
 バスガイドさんの話によれば道外からのツアー客が最も感動するのは日勝峠を越えて十勝平野の農村風景を見渡したときであるという。現代人の感性もまだ捨てたものではない。

●農業,自然随順

 農業や林業は自然相手の仕事である。したがって,天候というものと四つに組んでかからなければならない。今日は日曜でのといっていられない。子どもを育てるのと同じである。
 農作業の一段落ついたときに祭りや盆がくるように年中行事が生まれている。北海道の運動会の時期が本州と違うのはそこにわけがあるのであるが,都会の学校のどれほどの人が意識しているだろうか。
天気予報というのもそうである。特に民法の天気予報はとにかく「晴れ」を好ましくいい,「雨」が降ると残念だ,嫌な天気だという表現をする。しかし,作物を育てるには雨も適度に降ってもらわなければこまる。多少暑かろうと寒かろうと都会の人にとっては我慢すればすむ問題だが,農村に生きる人にとっては死活問題,そして結局は都会の人にとっても食べられるかどうかの問題になる。
 天気は人間の力ではどうにもならない。人間は自然を征服しようとしてきたが,天気はどうにもならない。だから,農村に生きる人は「あきらめ」ということを知っている。細かいことに一つ一つ文句をいう都会の人と違って,農民はおおらかである。
 夏の暖かい休日を利用した,たまのアウトドア体験ではとても自然の真の姿を知ることはできない。毎日がアウトドアライフの農民と,きつくなったときには帰るところがある都会人のアウトドアは,根本的に違うものである。晴れた心地よい日にニニウに行ったとしたら雨が降る日,吹雪の日のことを考えてみてほしい。
移住民伐木開墾の景(明治末)
北大付属図書館編『明治大正期の北海道−写真と目録<写真編>』より

●馬

 馬と農民の生活は切っても切り離せないものである。動力がない時代,馬は夏の間にさんざんこき使われ,冬になるとえさもなくなるので売りに出したともいわれる。だから情がうつらないように馬には名前をつけなかった。ニニウでは馬は冬山造材にもかり出されたが,馬を連れて行けば給料も高かった。
 明治の頃,金山峠を越えの様子。「米を4俵積んで峠をいく馬ソリの有様を思ってみるのも懐かしいが,馬が動かなくなると大きな棒でなぐりつける。それでも動かなくなると,『ガンピ』の皮に火をつけて馬の『キンタマ』を焼くのであるが,これにはよほどのグレタ馬でも言うことを聞いた」(占冠村史)
 ニニウでは旧道鬼峠を主として駄送(馬車ではなく荷を背負わせる)で越えたが,谷底へ馬が落ちた場合にはたいてい熊に持っていかれたという。
 それでもやはり馬には愛着がある。昔の農家の写真を整理すると必ず馬と一緒に写した写真が出てくる。農民画家にも馬を描く人が多い。そしてどこの郷土にも馬頭観音があり,馬が手あつく祀られている。

●鹿

 鹿は道内ならどこでも少し山に入れば見ることができるが,ニニウにもたくさんいる。遊歩道を散策すれば鹿に出会えるかもしれない。

●熊

 鬼峠は「この峠は1人では歩けない」といわれていた。「出るんだ」という。「出る」といえば蛇かと思うが,ここでは熊が出る。今もってニニウは熊の出る気配が濃厚である。森に入ったことのないマチの人は,どの森に熊が出るのかも見分けがつかないだろうが,ニニウはとにかく出そうだ。キャンプ場のガイドブックにもニニウキャンプ場には熊のマークがついている。清風山信号場のあたりは最も怪しい雰囲気で実際に熊が出没しており,鉄道工事の際にはハンターが同行するという。ニニウにはあえて「熊出没注意」の看板もないから熊は珍しくないのではないだろうか。熊や蛇も含めてニニウ「自然」の国である。
移住後3年目の畑地の景(明治末)
北大付属図書館編『明治大正期の北海道−写真と目録<写真編>』より

●蛍

 最近の子どもで蛍を見たことのある子は少ない。都会のマチで調査すれば1クラスに1人いるかいないかではないか。
 ニニウは蛍の大発生地として有名である。夏のニニウキャンプ場に泊まれば眩いばかりの蛍が飛びかう。このニニウでも農薬などの汚染により蛍が見られなくなっていたが,離農後は徐々に復活してきた。蛍はある程度人間の生活があるところに発生するものであるからニニウもこのまま原始森に還れば蛍も見られなくなるかもしれない。
 ニニウを原始の森に返すという方向性もあるとは思うが,古きよき時代の農村風景を今に伝えるニニウは,できるだけそのもまま保存して,現代人の体験の場にしていきたいところである。

●地形

 ニニウの地形は中央の方向を含む三方を山で閉ざされているが,鵡川の西南方に向かってわずかに開いているといえる。このことはなかなか重要である。山あいでありながら太平洋岸からの暖気を受けて,また北東の寒風が遮断されるわけで,中央より気温が高く,融雪も一週間は早いという自然条件が生ずる。

●山村の冬

 北海道は半年冬であるという。室内はいつも適度な温度に保たれ,ロードヒーティングまで施されている都会では,しだいに季節の変化というものが感じられなくなってきているが,ニニウの冬は長い。だから春が来た喜びも,ゆく春を惜しむ心も強烈だ。
 秋風も急速に身にしみる。昼夜の気温の差が大きいので,山の紅葉が全く美しい。
 時雨がみぞれに変わって雪が降ると冬がくるが,村民は雪をむしろ利用して造材に出かける。最近冬山造材というのはなくなったが,とかく,雪を邪魔もの扱いする都会の人と違って,山村には雪を利用するという文化がある。
 雪が降れば夏には入れない山にも入れる。スキーをはけば移動も楽になる。滑らないことばかり目指している車と違って,ソリというのはすべることを利用した輸送手段だ。ロードヒーティングがあちこちにある都会ではソリを使うこともできない。ニニウでは近年まで冬期間は交通断絶となっていた。そのとき食いつなぐことができたのも雪によって食物の保存ができたからである。
 いまニニウは冬でも除雪され車で行くことができる。有り余る雪原に飛び込んでみたり,都会の生活で失われた体験を求めてみてはいかがだろうか。


ご観覧ありがとうございました。

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