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2004.12.12

北海道観光大全の5年を振り返って

 

目  次

1 キーワードで振り返るこの2年

サイト開設からの3年間については,北海道観光大全の3年を振り返ってに書いたので,ここではその後の2年間をいくつかのキーワードをもとに振り返ってみたい。

1-1 渋滞

渋滞見物は私の趣味である。人も車もめったに通らない田舎町で生まれ育ったので,人や車がたくさん集まるということに無条件に喜びを感じるのである。お盆になると墓参りに向かう車が家の前をたくさん通過していくのが嬉しかった。ラベンダーまつりの人出を確認するのも子どもの頃からの年中行事で,家の2階から日の出山が見えたので,いつも双眼鏡でのぞいていた。

渋滞の発生日時はかなり正確に予測できる自信があるのだが,逆になぜ渋滞が発生するのかはいくら考えてもわからない。裏道もあるのだし,少し時間をずらせば渋滞を避けることができるのに,なぜみんな同じ行動をとって渋滞にはまらなければならないのか。何時間も渋滞に耐え忍ぶ根性は,私にはとても真似できない。

年中渋滞するのはいけないが,年に数日なら渋滞も活気があって結構なことである。2001年7月21日と2003年7月20日に,ラベンダーを見るためではなく,渋滞を見物するためにファーム富田を訪れ,その成果を2003年7月26日にファーム富田 渋滞マップ富良野渋滞写真館として掲載した。また,今年は5月2日に旭山動物園を訪れ,期待通りの渋滞を写真に収めることができた(12年ぶりの旭山動物園)。ファーム富田の渋滞を大きく取り上げたのは,富良野人気のすごさを世の中に知らしめたかったからである。観光客に渋滞を避ける方法を教えるというのは二の次だった。そのため読み手には無用な不安をあおることになったかもしれない

今年は富良野を訪れる観光客が減少したことと,ファーム富田の駐車場が増設されたこともあって,連休中日の7月19日を除いて本格的な渋滞は発生しなかったようである。先日はある鉄道会社から渋滞の写真の提供依頼があった。これだけ道路交通があふれているのだから,鉄道会社は好機と捉えて頑張ってほしいものである。心配なのは「渋滞の発生」→「道路整備が足りない」という論理で,渋滞が道路建設促進の材料にされることである。たかが年に数日の渋滞のために道路を造るのはまったく無駄。地元の人は裏道があるので困っていない。高規格道路を通せば,商店街がさびれ,観光客も通過してしまう。

1-2 運動会

都会の人が北海道の農村を訪れると,「何もない」という感想をもらす。住んでいる人にとって「何もない」と言われるのは屈辱であるが,どこに行っても何かがある内地と比べれば,北海道が何もなく見えるのは事実である。何もないことが道外の人にとって大きな魅力になっていることに,北海道の人は気づかなければならない。

しかし「何もない」ように見える農村でも,実際には人が住んでいるのである。そうしたところで年に一度地域の人全員が集まるのが運動会である。昨年,今年と釧路管内の小さな学校の運動会を訪れ,旅行記に掲載した。訪れた学校は15校に上るが,そのうち1校は昨年度で閉校し,今年度さらに1校が閉校する。

小さな学校の運動会はよそ者が見ても大変面白いものである。あえて旅行記として掲載したのは,そうした運動会の楽しさを伝えるとともに,都会の人に田舎のことを知ってほしかったからでもある。全校児童が数名で複式学級というような学校が世の中にはたくさんあるということを,都会の人は知らないのではないだろうか。そして一見何もなさそうに見える北海道の辺地でも実は人が生活しており,その人たちが牛の乳を搾ったり魚を獲ったりして我々に食べ物を与えてくれているということに気づいてほしかったのだ。

ただ私自身は田舎育ちとはいっても大きな学校の出身で,小さな学校のことは本当のところよくわかっていない。先日,旅行記に掲載した運動会に実際に参加していたという中学生から抗議のメールが届いた。小さな学校だからやっぱり寂しいのだなと思われそうで大変悔しい思いをしたとのことである。この気持ちはしっかりと受け止めたいと思っている。

1-3 初詣/盆踊り

私は北海道人であるとともに日本人でもある。日本人ならば経験していて当然のことを私は経験しておらず,子どものころからずっと劣等感を持ってきた。例えば初詣や盆踊りもそうである。

信仰する宗教に関わらず,日本人ならば正月に家族で神社に初詣をするのが普通なのだろうが,私の家は普通ではなかったのか初詣をしたことがなかった。2002年の正月,25歳にして初めて中尊寺で初詣をし,翌年は八坂神社,太宰府天満宮,照国神社の三社参り,今年は明治神宮と中尊寺と当代一流の寺社で初詣をしている。ここ数年特に何もない平穏な生活を送っているが,それは毎年神社・仏閣にお参りしているお蔭ではないかと思ったりする。

一方盆踊りも子どものころから見るだけで踊ったことがなかったが,昨年初めて「本物の盆踊り」ともいえる秋田の一日市盆踊りと毛馬内盆踊りを見学した。今年は歌志内など道内各地の盆踊りを見学したほか,自分でも北海盆踊りを覚え,初めて盆踊りパレードに参加した。

初詣をしたり盆踊りを見学した記録は旅行記として掲載している。本来盆や正月は旅行などせずにふるさとで過ごすべきだと思うが,仕事の都合上その時期でなければ旅行できないという事情もある。けれどもあえて盆,正月という節目の時期に旅行することで,自分の生き方を見つめなおすうえでも良い機会になっている。

1-4 よさこい

当サイトは秘境系,廃墟系のサイトと見なされることがあるようだが,私自身は渋滞,運動会,盆踊り,初詣など,むしろ人ごみの中に突入していくことが多い。しかしそれは日ごろ他人との関わりがほとんどない秘境的世界に身を置いているということの裏返しでもある。

だが,人が集まれば何でも結構というわけではない。よさこいはいけない。よさこいは野蛮な衣装,大音響,奇抜な照明という虚構に彩られた安直かつ自己満足的なイベントであり,観光の対象とするだけの価値はない。世の中では,よさこいに対して批判的に考えている人は少なくないようなのだが,マスコミや文化人と称される人たちがむやみやたらによさこいを賞賛するのも気持ちが悪い。

札幌のよさこいソーランはここまで広まってしまったのだからもう仕方がない。心配なのは札幌を発信源とする全国各地へのよさこいウイルスの蔓延だ。特に東北地方ではこの数年来ウイルスが猛威を振るっており,青森のねぶたや秋田の竿灯もそのうちよさこいにのっとられそうなほどの脅威を感じる。東北の祭りは伝統文化が「保存会」によって伝承されるのではなく,いまだ若者のパワーによって支えられているところに魅力があるのだが,そのパワーがよさこいに向けられると従来の祭りは形骸化してしまい観光客にとっては魅力がなくなる。また,拡声装置による大音響は広大な北海道にはなじむが,家屋が密集している東北地方にはそぐわない。

よそ者のたわ言と思われるかもしれないが,このような各地の祭りの実情は実際に歩いた者でなければわからないと思うので,声を大にして言いたい。よさこいに関してホームページで初めて触れたのは2003年8月の旅行記旅ならば東北の徳内まつりの項である。そんなに批判的に書いたつもりはなかったのだが,今年の8月1日に徳内ばやし振興会の掲示板で取り上げられたのを契機に,2ちゃんねる系掲示板のありとあらゆる山形県関係のスレッドにこのページへのリンクが張られた。今夏の旅行記モリオカの太鼓では実際によさこいの踊りは登場していないにもかかわらず,よさこい批判が旅行記を貫くテーマになってしまった。

1-5 歌謡曲/民謡/民踊

高校生のときある本を見た。そこには学歴別の音楽の好みが書かれており,大卒はクラッシック,短大卒がポピュラーミュージック,高卒が演歌,中卒は民謡というような内容だった。何か差別的なものを感じ,それ以来クラシックが嫌いになり,演歌や民謡が気になる存在となった。大学2年のとき,江差追分会館で青坂師匠の追分節を聴いて感動した。就職してある程度お金を自由に使えるようになり,歌謡曲や民謡に凝りだした。旅先でも時間があれば少し寂れたようなレコード屋に入って廃盤になったCDを探している。市丸,赤坂小梅,音丸,東海林太郎,伊藤久男,三波春夫,三橋美智也……,この人たちの歌は歌詞も旋律も心から良いと思う。自分が生まれるはるか前の歌に心動かされるのはなぜなのか,自分でも不思議である。

初めて歌謡旅行記の形式をとった東京旅行記が受けたので,2002年12月の釧路発鹿児島ゆき列島縦断の旅,2003年5月の北東北観桜紀行,同年12月のめざせ奥州,汽車旅千里でも同様のスタイルにした。しかし何しろ歌が古いので,誰一人知っている人はいなかったのではないかと危惧する。旅行記中に歌詞を挿入したのは読み手に旅の臨場感が伝えるためと,それらの名曲が末代まで残っていてほしいと思うからである。私がオジサンになったとき,カラオケの曲目リストからそれらの歌が消えてはいないかというのが目下の心配事である。

2003年7月にはたまたま訪れた音別の蕗まつりで蕗まつり音頭に出会った。北海道にもこんなに素晴らしい踊りがあるのかと感銘を受けた。同年9月には弟子屈で開催された全日本民踊指導者連盟の全国大会を見学し,全国各地当代一流の踊りを見ることができた。これらは旅行記に掲載し,踊りの動画も掲載したのだが,ダウンロード数がわずかだったところをみると,やはり一般にはあまり興味のあるところではなかったようだ。

1-6 占山亭

2003年10月7日,東京のあずさんから,占冠物産館の占山亭が11月末で閉店する旨の知らせあった。それを知って私も10月13日に占山亭を訪れた。掲示板での一連のやりとりが,思いのほか読み手に感動を与えたようで,その後閉店まで1か月あまりの間に,全国から何人もの人が訪れたようである。東京のレストランを退職し,単身で占冠にやってきた店長さんの人柄にも,ある種の人たちは深く感じ入るところがあったのだろう。閉店間際になってからの遠来の客に店長さんは何を思ったのであろうか。

この占山亭の一件で掲示板の影響力を初めて知った。テレビのように群集を動かすというようなことはないが,私に共感してくれる人が世の中に確実に何人かはいるのだ。

1-7 楓駅/ステーションデパート

世の中には新しいものを無条件に善とする人がいるようだが,その一方でなくなるものを惜しんでばかりの人もいる。私は典型的な後者である。

2004年3月12日,石勝線の楓駅の旅客営業が廃止された。単なる小駅が廃止されたごときに全国から数百人のファンが訪れたのは驚異的である。最終日の様子はテレビ,新聞などでも大きく報じられた。Yahoo!の記事では関連サイトとして当サイトにもリンクが張られ,トップページには3月12日だけで約8000件のアクセスがあった。

また旭川のステーションデパートが2004年4月30日で,釧路のステーションデパートが5月30日で閉店となった。共に40年以上の歴史を持ち,戦後日本の生き証人のような店舗だっただけに,閉店を惜しんで全国からファンが訪れた。

当サイトの5年間を振り返ったとき,楓駅やステーションデパートの最後の姿を追っていた今年の春ごろが,皮肉にも,最も勢いづいていたのではないかと思う。

1-8 出会い

3年目を迎える頃から,にわかにインターネットで知り合った方と会う機会が多くなった。

2002.4.28 ミドリ★★さん 江別にて。江別市街散策。
2002.9.13 244さん 釧路にて。南蛮酊で食事。
2002.12.21 なまらさん 東京巣鴨にて。とげぬき地蔵尊参拝,ときわ食堂で食事。
2002.12.22 駅前旅館さん 東京浜松町にて。羽田空港喫茶店でお茶。
2003.3.30 いずみさん 釧路にて。泉屋で食事。釧路湿原など散策。
2003.9.22 244さん 釧路にて。港町ビールで食事。
2003.11.3 駅前旅館さん 釧路にて。釧路市内散策。
2003.12.21 駅前旅館さん 東京水天宮前にて。ロイヤルパークホテルで食事。
2004.4.30 井手口さん 釧路にて。港町ビールで食事。
2004.7.18 あず@東京さん 釧路にて。泉屋で食事。

いずれもお誘いをいただいてお会いしたものであり,大変ありがたく思っている。普段は顔が見えないやり取りしかしていないわけだが,メールだけのやり取りと違って,お互いにホームページを持っているとある程度顔が見えるので,実際会ってみても人柄はそのままということが多かった。

2 北海道初心者質問板

今年の6月ごろから掲示板ににわかに質問が多く書き込まれるようになった(図1)。また質問の内容もそれまではホームページの内容に関するものであるとか,鉄道関連など,やや突っ込んだ内容が多かったのだが,初心者からの「教えてください」系の質問がほとんどとなった。

掲示板のいちばん上に「旅行の思い出,おすすめの観光地など,気軽に書き込んでください」と書いてあるが,質問を書き込んでくださいとは書いていない。これは私が質問に答えられるだけの自信がないからであって,別に質問を拒んでいるわけではない。とはいうものの,周囲からは従来の雰囲気が壊れてしまったとか不満が聞かれるようになり,親にまで「知らない人たちが増えて大丈夫なのかい」と心配された。ただ私としては時期が来れば質問の嵐も収まるものだと思っていたし,どんな質問でも来るなら来いと思っていた。

図1 質問数の推移

2-1 質問が増えた要因

ここで質問が増えた原因について考えてみたい。

2-1-1 質問が質問を呼ぶ

今年の7月はサイト開設以来初めてトップページへのアクセス数が前年同月比減を記録した(図2)。したがって,訪問者が増えたから質問が増えたのではない。潜在的な質問者数が同じでも,掲示板はその時々の雰囲気によって,質問を書き込みやすいときとそうでないときがある。常連の参加者によりマニアックな話で盛り上がっていれば初歩的な質問はしづらいだろうし,逆に自分がしたいのと同じような質問が書き込まれていれば,自分も質問してみようという気になるのであろう。したがって質問系のスレッドが続くと,我も我もと加速度的に質問が増えるのである。それまでの経験では,私がマニアックな書き込みを2,3続けて投稿すれば,そこで掲示板の流れはいったん止まるのだが,今年はそれによって止めることができないほど質問の勢いが激しかった。また,6月から7月にかけて忙しかったため,他の話題を書き込まずに質問がどんどん書き込まれるままに放置していたということもある。

図2 各年7月の掲示板書き込み件数

2-1-2 他の掲示板の閉鎖

昨年8月,北海道旅行関係の有名な掲示板が閉鎖された。その影響が当サイトにも来るであろうことはある程度予想していた。今年の観光シーズンを迎えて,これまでそちらの掲示板に行っていた初心者層が当サイトにそのまま移ってきたということがいえるだろう。

しかし同じような内容の質問でも,先の掲示板における回答と当サイトにおける回答は方向性がまるで違っていたように思う。回答者の層が違うからである。

2-1-3 有名掲示板からのリンク

これも昨年にはまったくなかったことだが,今年はYahoo!掲示板,2ちゃんねる国内旅行板などから繰り返し当サイトへのリンクが張られた。それらの掲示板から回されてきた質問者も実際多くいたようで,当サイトの掲示板に書かれた質問と同じ内容の質問が,先にそちらの掲示板に書かれていたことが後になってわかったということもあった。

2-2 質問内容の分析

クレーム対応を1年もやると,クレーム集だけで1冊の本が書けるというが,質問も集めて分析してみるのも大変面白い。ここでは2004年7月の質問から北海道旅行者の傾向を分析してみたい。サンプル数は59件である。

2-2-1 質問者の男女比(図3)

顔が見えないインターネット上では男か女かというのはどうでもよいことだと思っているが,あらためて質問を眺めてみると,文中に男性か女性か明記されていなくても,文体や内容によってだいたいは見分けがつく。そうして分類してみると,男性が58%,女性が42%だった。それまで掲示板への書き込みは男性がほとんどだったから,今シーズンは女性が増えたということがいえる。道に迷ったとき,人に尋ねるのを男は恥だと思うのに対し,女性はすぐに尋ねるというが,女性のほうが気軽に質問をする傾向があるのだろう。また,運転手は主人だが,計画は奥さんに任されているというケースも多かった。ちなみに,質問者が男性の場合と女性の場合とで返信の数に差があるかと思って調べてみたが,ほとんど差はなかった。また,旅行後に報告の書き込みをもらえるかどうかも,男女間で大きな違いはなかった。

図3 質問者の男女比

2-2-2 質問の時期(図4)

中には出発間際の質問もあるが,1か月以上に前に質問しているケースが過半である。道民が北海道旅行をする場合これほど前から計画を練るのはまれだが,道外から来道する場合にはやはり相当前から計画を練っているということがわかる。旅行の楽しみのほとんどは計画段階にあるというが,期待に違わないように質問には丁寧に答えなければならないと思う。

図4 質問の時期

2-2-3 旅行者の構成

旅行者の構成は掲示板の書き込みだけではわからないケースも多いが,2人連れは意外と少なく,質問者の子,または親を連れた家族連れが多かった。内容からはっきり一人旅とわかるのは1件だけだった。やはり家族連れの旅行では行き当たりばったりというわけにもいかないだろうから,事前に情報をきちんと調べておこうということなのだろう。標準的な家族旅行なら私も子ども時代の経験から答えることができるが,新婚旅行だとか障害者を連れての旅行などは返信に苦慮する。また妊婦連れや1歳に満たない赤ちゃんをつれて渡道するというケースがいくつかあり,すごいパワーだと逆に感心してしまう。それと,1歳や2歳の子ども連れで「子どもが楽しめるところを教えて」という不思議な質問が多くあった。子どもがかわいいのはわかるが,観光名所を見て面白いと感じる年齢ではないのだから,親が行きたいところに行けばよいのではないかと思う。逆にもう少し子どもが大きくなると本当に子どもに振り回されてしまうのではなかろうか。

2-2-4 交通手段(図5,図6)

2004年7月の質問者は全員が道外在住者だった。利用空港は新千歳空港が半数であり,旭川,函館,釧路,女満別の空港が数%づつあった。道内での移動手段は,レンタカー利用が83%で,うち8%がレンタカーと鉄道を併用していた。新千歳空港発着で空港からレンタカーを利用するというスタイルが道内旅行の標準になっていることがわかる。ただ,この割合が道内旅行者の全体像を表しているとは考えられない。旅行会社の主催旅行で訪れる観光客も依然として相当数いるからである。バスツアーで「石勝樹海ロードを通るが車窓の見どころを教えて?」などという質問があったら喜んで答えたいところだが,そうした質問が皆無だったのは寂しい。結局,旅行会社の主催旅行に申し込む客層のレベルがそれほど高くないということなのだろう。しかし旅行会社の主催旅行はうまく利用すれば非常に安価に効率よく観光することができる。レンタカー旅行者の行程を見ると,行きたい観光地と宿泊地が極端に離れているなど計画が下手なものが目立つが,それならばいっそのこと旅行会社にすべてお任せのバスツアーを申し込んだほうがよいのではと思うこともあった。

図5 道内への到着地                     図6 道内での移動手段

2-2-5 宿泊地(図7)

旅行期間で最も多いのが3泊で47%,次いで2泊が24%,4泊が10%と続く。意外とゆったりとした日程を組んでいるという印象を受けた。普通の仕事をしていて4日も仕事を休むのは大変なことだと思うが,憧れて初めての北海道旅行,親を連れての孝行旅行というようなケースが多く,それゆえ掲示板でプランをチェックしてもらって充実した旅行にしたいという思いが強いのだろう。

宿泊地としては札幌と富良野が目立つ。他には洞爺湖,登別,層雲峡,阿寒湖,川湯,ウトロの温泉地が満遍なく分布し,旅行会社のフリープランに組み込まれているという事情もあるのだろうが依然として国立公園級の大温泉郷の人気が根強いことがわかる。リゾート地ではトマム,キロロ,ルスツの利用もあった。初心者が中心のためか,民宿,ペンション,コテージなどに泊まる人はほとんどいなかった。

図7 宿泊日数

2-2-6 観光箇所

3泊4日の旅行が中心のため,かなり広いエリアを観光しようとしている場合が多い。質問者の63%が富良野・美瑛を組み込んでおり,特に北海道初訪者の94%が富良野・美瑛を訪れようとしている。やはり富良野・美瑛は北海道でまず訪れたいところなのだろう。ただ以前富良野を訪れる人には「北の国から」ファンが多かったが,最近は必ずしも北の国からファンとは限らないようである。

阿寒湖,摩周湖,屈斜路湖の阿寒三湖や洞爺湖周辺の人気も根強い。一方で登別や層雲峡を観光地と考えている旅行者が多かったのは意外だった。登別や層雲峡は宿泊地であって,観光のためにわざわざ訪れるほどのところではないように思う(個人的に登別や層雲峡は好きだが,北海道初心者から見て,摩周湖や洞爺湖ほどに魅力がある場所には思えないということ)。旅行先として旭川以北の道北方面はほとんどなく,オンネトー,納沙布岬,多和平,琵琶瀬展望台などの著名観光地が挙げられていなかったのも意外だった。

2-3 質問に思うこと

2-3-1 どうにもならない質問

あらためて質問を眺めてみると,最低限,発着する空港と宿泊地程度は書かれており,本当にどうにもならない質問というのは意外に少なかった。質問に対して,もっと具体的に書けとか,過去の書き込みを読んでから質問すれだとか,厳しい態度をとる人がいる。しかし私はそれはいかがなものかと思うのである。

他人に何かを聞かれた場合に,とりあえず何か教えてあげる人と,調べてわかることは調べてから聞きに来いとまず指導する人と,人には2種類あるようである。世の中を良くするためには後者の考えが正しいのかもしれない。しかし,掲示板においては前者でいいのではないかという気がしている。

というのは,掲示板に書かれたわずかな文章では,相手の性格をつかむのは難しいからである。どうにもならない質問に見えても,実はよく考えての質問だったということが後からわかることもよくある。そもそも旅行に行こうと思って,掲示板に質問しようとする行為自体かなり玄人なのである。

そういう人たちに対して,道民は不親切だというようなイメージを持たれてしまうしまうような回答をしてはいけない。ほんとうにどうにもならない質問に対しては,占い師にでもなった気分で風水など持ち出して回答したこともあったが,そういう適当なことを書いたときに限って丁寧なお礼の書き込みをもらったりして,逆にたしなめられたような思いをすることもあった。

2-3-2 オススメの観光地

おすすめの観光地を尋ねられた場合,ほとんどの場合,摩周湖や阿寒湖など超有名観光地の名前を挙げることにしている。それは質問者が初心者だからということもあるが,古くから有名なだけあって観光地として実際に優れていると思うからである。ただ,摩周湖や阿寒湖といっても初心者はどこを見ればよいのかわからないと思うので,摩周湖は第一展望台から眺めること,阿寒湖では遊覧船に乗ることなどと具体的に書くようにしている。

一方,有名観光地とは別にいわゆる「穴場」の観光地があるが,これはやはり一見の質問者に簡単には教えたくないという心情がはたらいてしまう。

2-3-3 掲示板における質問のメリット

これまで街の中で他人に道を尋ねられたことが何度となくあったが,ほとんどの場合その人がうまく目的地までたどり着けたかどうか結果を知ることはできず,不安に思うことが何度もあった。その点掲示板と質問者は一回きりの関係ではなく,旅行後にまた戻ってきて感想をくれることもある。回答する側としても旅行後の感想は大変勉強になるので,ぜひ書き込んでほしいものである。

掲示板のもう一つのメリットは,質問者と回答者のやり取りが他の人にも公開されることである。そのため質問者一個人に対してではなく,読み手全員を意識した回答をしている。だから,質問者は旅行を取りやめる場合でも,その質問は他の人の役にも立っているはずなので,何も悪く思う必要はない。それと当サイトに限らず質問はメールではなく掲示板にするほうが得策である。メールは第3者に見られるものではないので返信を怠りがちだが,掲示板なら確実に返答をもらえるはずだ。

2-3-4 皆さんの返信に感謝

質問への回答はもちろん私だけではなく,以前から掲示板に書き込んでいただいている方々にもしていただいている。当初はとりあえず私が回答し,その後補足をしていただくというケースが多かったが,7月下旬から多忙になってあまり書き込めなくなったところ,他の方が積極的に書き込んでくださるようになった。私が書き込まないほうが盛り上がるのではないかと思うほどだった。以前から掲示板に書き込んでいただいている方には,道外の方が多く,北海道にいては気づかないようなこともあり,私自身も大変勉強になっている。

3 ホームページ5年の意義と成果

3-1 「観光」とは

3-1-1 観光の定義

サイト名に「観光」という言葉を入れているのにはこだわりがある。「観光」と聞いて,ある人は団体バスツアーや大衆温泉地を連想するかもしれない,またある人はカニ料理やソフトクリームを想像するかもしれない。しかしいずれも観光の一部ではあるが,観光の本質ではない。

観光学を少しでもかじったことのある人なら知らない人はいないが,そうでない人にはまったく知られていないのが「観光」の定義である。観光の語源は儒教の経典『易経』の「観国之光,利用賓于王(国の光を観るは,もって王たるの賓によろし)」に由来する。「光」は文物,政治,暮らし向き,風俗など精神の眼で観られる光であり,「観る」はただ漠然と見るのではなく,よく考えて見るという意味がある。

そのような意味で観光という言葉をとらえたとき,旅行会社にお任せのバスツアーのみが観光旅行なのではなく,秘境を探検する旅,研究旅行や視察旅行,あるいは心のままにぶらぶら歩く逍遥の旅,そのいずれもが観光の範疇に含まれる。観光ガイドや観光雑誌を開くと,飲食情報や宿泊情報が多くのページを占めているが,それは観光客から受ける経済的効果が大きい一部の分野が観光産業として肥大化しているに過ぎず,それらが観光の本質であるというわけではない。もちろん観光するには飲食店や宿泊施設の情報は必要であるが,それらの情報は十分すぎるほど存在しているので,当サイトでは飲食や宿泊関係を除いた観光情報を扱っている。

3-1-2 観光と旅行と旅

観光するためには旅行することが必要であるが,旅行したからといって観光したことにはならない。旅行には出張旅行や帰省旅行など観光を伴わない旅行もあり,リゾート地におけるバカンスなども単に日常世界から抜け出すためだけに生活の場所を移すのであれば,観光したとはいえないだろう。一方,「旅」という言葉があるが,これはどこに行って何を見るかという外界の問題よりも,「自分探しの旅」に代表されるように,人間の内面に関わるイメージがある。したがって,タイトルに使う言葉は「旅行」や「旅」ではなく,「観光」でなければならなかった。

3-1-3 観光は地球を救う

いま人類が抱える最大の問題は地球環境問題である。この問題の本質は先進国と発展途上国間の貧富の格差,いわゆる南北問題にあると考える。日本国内だけで考えれば地球環境問題は解決できそうに思えるが,国際関係を視野に入れた途端に問題が難しくなる。しかし地球環境のことを書いた書物を読むと,意外に国内のことしか考えていないものが多い。たしかに身近なところから考えて行動に移すのことは大切だが,その前提として地球全体を視野に入れた理解を伴っていなければならない。国民がハワイやオーストラリアではなく,もっとアジアやアフリカ各国に観光に出かければよいのだが,それも難しい。

実は,都市と農村(あるいは田舎,山村,漁村)の関係というのは先進国と発展途上国との関係の縮図になっているように思う。日本が途上国から資源や食料を輸入しているように,都市は農村から食料や資源(水,電気)を移入し,ごみを地方に棄てている。自分たちの食べ物がどこで作られ,電気がどこから運ばれ,ごみがどこに棄てられているかを知っている都会の生活者がどれだけいるだろうか。地球に優しいライフスタイルなどというが,結局そうした都市と農村間の物の循環を実際目で見て理解しなければ,頭の中の理解だけでは生き方までは変えられない。観光とはそうした都市と農村の関わり,あるいは人間と自然の関わりの現場を見ることであり,そのことが,地球規模での環境問題への理解にもつながり,真に生き方を変えることができるのである。

現在のように車でどこでも行けるようになったのはつい最近のことである。誰でも車を持つようになり,道路が整備され,道の駅が整備されて男は立小便をしなくてすむようになり,女性も旅行に出かけられるようになった。コンビニが普及し,食事に困らなくなった。観光に出かける環境は十分に整った。後は何を観るのか,観光客側の資質の問題である。都会の人ももともとは田舎に住んでいたのだろうが,都会移住二世,三世となって田舎を観る眼は失われ,そのために田舎に出ても「何もない」としか感じられなくなったのではないか。いま,田舎で何をどう観たらよいのかのガイドが必要とされている。幸い私は田舎と都会の両方で生活したことがあり,田舎のこともわかるし,都会の人が何を理解できないのかもわかる。そこで都会の人向けの観光ガイドを作成しようと思ったのである。

3-2 この5年,北海道観光の動き

観光関連のホームページを作ろうと思ったのは,5年前の当時,観光立国ということが言われながらも,観光に関わる情報が未整備であることを憂慮していたからであるが,この5年で観光をめぐる情勢も目まぐるしく変化した。ここでは1999年以降の観光の各側面の動きを振り返ってみたい。

なお本節は自分用の備忘録に作成したものであり,それゆえあえて身の程知らずに踏み込んだ内容に触れている部分もある。捉え違いなどあった場合にはご指摘願いたい。

3-2-1 景観

北海道では2001年10月に「北海道美しい景観のくにづくり条例」を制定し,北の景観だより「彩(いろどり)」の発行や道内各地での景観フォーラムの開催に取り組んでいる。

一方,国土交通省北海道開発局では2002年度より道内へのシーニックバイウェイ制度の導入を検討し,2003年度には千歳〜ニセコ,旭川〜占冠の2つのルートがモデルルートに指定された。シーニックバイウェイとは道路沿いに広がる景観を地域資源として生かす事業で,もともとアメリカで行われてきた。道内では2005年3月からの制度制定を目指している。

これまで景観といえば都市景観や小樽,江差などの歴史的景観をさしていたが,郊外の景観にも関心が向けられるようになったのは画期的である。しかしこれらの事業に携わっているのはもともと都市計画の専門家であり,実は専門家不在の中で施策が進められているところに危うさがある。実際,「絵になる風景」を構成する要素である農家の廃屋なども,行政により「景観阻害要因」として撤去されたりしている。

3-2-2 エコツーリズム

自然の中で教育的な要素を含み持続可能な方法で運営される旅行をエコツーリズムと呼ぶ。

知床のカムイワッカ地区では2000年から自動車通行規制を実施し,2005年6月の世界遺産登録を目指している。摩周湖でも同様の動きがあったが,まだ自動車通行規制は実施されていない。2003年,自然再生推進法施行。これに呼応して同年2月には,かつて耕地化された釧路市広里地区において,湿原を再生する事業が環境省により開始された。

道内初の環境省のエコミュージアムセンターとして塘路湖の「あるこっと」が1997年10月にオープンした。その後1999年4月に川湯,2002年に阿寒湖で同様の施設がオープンした。エコミュージアムとは1960年代後半にフランスで登場した概念で,人間と環境のかかわりを学ぶ博物館である。現地における展示を原則とし,展示物となる対象には産業遺産,自然遺産,文化遺産などさまざまな要素が含まれるはずだが,環境省のエコミュージアムセンターは従来のビジターセンターからただ名前を変えただけの内容で,自然のみにしか関心が向けられていない。

一方,2002年7月にオープンした中川町のエコミュージアムセンターはエコミュージアム本来の概念を踏まえたものであり,アンモナイトの化石を中心にしながらも,町内の史跡や民俗など幅広く対象にした構成になっているようである。その他,洞爺湖周辺や道東の浜中でもエコミュージアム構想があると聞く。

都会生活の反動としてアウトドアへの志向が近年高まりを見せ,アウトドアを楽しむアクティビティの実施を商売とするアウトドア事業者が急増している。その一方で,自然を理解するためのアウトドア活動がかえって自然に負荷を与えるようになったり,未熟なガイドによる事故の発生が問題となり,北海道では2002年4月に「北海道アウトドア資格制度」をスタートさせた。

グリーンツーリズム(またはルーラルツーリズム,アグリツーリズム)の分野では1995年に農山漁村滞在型余暇活動促進法が施行され,北海道では北海道農業・農村振興条例を1997年4月に制定している。これを受け,農作業体験や農場見学,収穫体験,ファームイン,ファームレストラン,農産物や手作り食品の直売,動物とのふれあいなどを行うふれあいファームの登録を実施し,2000年4月に「ふれあいファームガイド」を発行している。

3-2-3 花

北海道は2001年10月に観光政策の柱として「北海道観光のくにづくり条例」を制定したが,具体的な取り組みの一つが花大陸Hokkaidoであり,2003年3月に花に関するポータルサイトを立ち上げている。

花というのは,これまで語り尽くされてきたようでありながら,実はまだ何も議論されていない。一口に「花」というが,花が好きな人には「原生花園や高山植物の鑑賞を趣味にしている人」と「ガーデニングなど園芸品種の花を育てるのを趣味にしている人」がおり,その層はまったく異質のものである。自然を知っているのはむしろ自分で育てている後者の人たちで,鑑賞するだけの前者の人たちは花の名前には詳しくても植物の生物学的知識は乏しい。無論,園芸品種の花畑を見るだけの観光客は,自然も知らなければ育てている人の苦労も知らない。この辺の整理をまったくやらないで,花を観光資源にしようとしてきたのである。今後は観光客の花に対する認識の向上とともに,地域らしさのある花は何なのか,その花をどのように活かしていくかを考えることが課題である。

3-2-4 食

「北海道旅行=グルメ旅行」と言って過言ではないほどに「食」は北海道観光において大きな比重を占めている。そのなかでも北海道といえばカニというイメージは強く,稚内市では本州からの観光客に5000円相当のカニを提供するというような助成を行ったりもしたが,近ごろは北海道といってもカニばかりではなくなった。

ここ数年スローフードや地産地消という言葉を多く聞くようになった。スローフードとは1986年にイタリアに本部を置く国際NPO「スローフード協会」が提唱した概念である。北海道では2003年4月に北海道スローフード宣言をしている。じゃらんなど雑誌でも盛んにスローフードが取り上げられるようになり,今年は「今すぐ米チェン!」を合言葉にレストランでも道産米を使用するところが増えた。道産品の消費拡大には,産消協働といわれるように消費者側の理解も必要とされている。

2001年10月「北海道のラーメン」が北海道遺産に選定された。従来より有名だった札幌,函館,旭川に加え,釧路ラーメンの麺遊会が2003年4月に認定を受けた。今年10月には札幌ら〜めん共和国がオープンするなど,ラーメン人気はとどまるところを知らない。

一方,1990年代半ば頃より札幌市民の間でラーメン以上の盛り上がりを見せていたスープカレーは,今年4月に出版された『北海道スープカレー読本』により,全国に知られるところとなった。

また,道の駅めぐりをきっかけとしたドライブブームに乗り,道内各地でソフトクリーム屋が乱立した。この背景にはタバコを手放したことにより口が寂しくなった中高年男性の支持があったものと推測される。

3-2-5 産業観光(ヘリテージツーリズム)

これまで観光資源として考えられてきた遺産は,先史時代の竪穴住居跡であるとか,近世以前に建築された社寺などであるが,最近は明治の産業革命以降に建造された鉱山や工場の建造物,ダム,橋梁などの土木構造物にも光が当てられるようになった。1990年代後半以降ブームとなった鉄道廃線跡巡りもこの潮流の中に位置づけられるものであろう。1999年4月『土木造形家百年の仕事』発刊,同年11月に雑誌「太陽」が「産業遺産の旅」を特集したことなどにより気運が高まる。北海道空知支庁では1998年度以降地域独自事業として炭鉱遺産の活用推進に取り組み,1999年3月にはアルテピアッツァで第1回のフォーラム開催している。室蘭市では2000年9月に新日鐵や日本製鋼の工場を巡る見学会を開催した。2001年10月には北海道遺産第1回選定。北海道遺産はこれまで必ずしも貴重と考えられてこなかった近代の建造物や生活文化自体が遺産に指定されたことに特色がある。2003年9月には赤平市で第6回国際ヒストリー会議が開催された。これに合わせて,『炭鉱−盛衰の記憶』(北海道新聞社),『そらち炭鉱遺産散歩』(共同文化社)が発刊された。

産業遺産が観光の対象となりつつあるのは画期的だが,ヨーロッパでは産業遺産がエコミュージアムの展示物の中心になっており,その遺産が自然や人間とどういう関わりを持ってきたかが学べるような整備されているのに対し,日本では遺産単体でしか考えられていないのは残念である。また遺産として保存されるのは貴賓館など支配者側の立派なものばかりで,炭鉱住宅など庶民の暮らしの跡は何も残らない。それに炭鉱施設の産業遺産としての価値が広く認識されつつあった一方で,2001年度末で産炭地域振興臨時措置法の期限が切れることから,2000年から翌年にかけて多くの炭鉱施設が除去された。

3-2-6 温泉

1986年に相次いで刊行された『北海道の温泉』(松田忠徳著,北海道新聞社,1986.10),『北海道 秘湯・名湯・露天風呂』(北海タイムス社編,北海タイムス社,1986.8)により,北海道に温泉ブームが訪れた。1988年にはふるさと創生金による温泉掘削ブームが起こり,各自治体が公共の温泉を次々に開業。大型温泉旅館もバブル景気に乗って露天風呂を増設するなど浴場の拡大が続いた。しかし,温泉は有限な資源であり,循環ろ過や塩素混入による泉質の悪化がしだいに問題視されるようになった。1999年5月「北海道いい旅研究室」創刊,2001年12月には全国の温泉地の現状を指摘した『温泉教授の温泉ゼミナール』(松田忠徳著,光文社新書)が出版され,本物の温泉に注目が集まることになる。「源泉かけ流し」というような言葉が一般に用いられるようになったのもこのころからである。今年7月には,白骨温泉の事件がテレビ,新聞などで大きく報じられた。

一方これらの源泉崇拝の動きとは別に,1999年4月にしかべ間歇泉公園に足湯オープンして以来足湯がブームとなっている。温泉地はどこも不況が続いており,九州の由布院や黒川温泉が再生のモデルとして道内でも盛んに紹介されたが,道内の温泉地はまだ発展途上のようである。その中で糠平温泉が2000年にテレビで紹介されたことをきっかけに2001年に湯めぐり手形を発行,2004年に「ぬかびら見聞録」という情報誌を創刊するなど注目すべき動きを見せている。

3-2-7 テレビ・映画

1999年度上半期に留萌本線恵比島駅を舞台にしたNHK連続テレビ小説「すずらん」が放送された。同じ年の6月には根室本線幾寅駅でロケが行われた映画「鉄道員」が公開された。いずれもロケのセットがそのまま保存され,JRで臨時列車を運行するなどして大いに賑わった。一方,1981年以来続いていたドラマ「北の国から」は2002年9月の「遺言」が最終作になった。

北海道では2001年度から「北海道ロケーション誘致推進事業」に取り組んでおり,「フィルム・コミッション」の機能を持つ窓口を設置している。 

3-2-8 雑誌

道内における一般向けの旅行雑誌の嚆矢は1994年創刊の「じゃらん北海道発」であろうが,北海道発の雑誌の創刊が相次いだのもこの5年の特筆すべき出来事である。1999年5月「北海道いい旅研究室」,1999年7月「モーリー」,2000年4月北海道のカントリースタイルマガジン「EastSide」,2000年6月「HokkaidoWalker」がそれぞれ創刊。2000年11月には関係者向けの雑誌ではあるが,(株)リクルート北海道じゃらんと札幌国際大学観光学部の共同研究プロジェクトとして「観光会議ほっかいどう」が発刊され,「じゃらん」読者へのアンケートなどをもとに道内の観光界をリードする議論が交わされている。雑誌の創刊ブームはその後も続き,2002年,中高年女性をターゲットにした「きままにいい旅北海道」(2004年春から「おとなのいい旅」に改名),2003年9月,北海道の自然を知る雑誌「faura」,今年5月に通販付きマガジン「スロウ」,6月には北海道新聞社から生活文化情報誌「北海道百科」が創刊されている。

3-2-9 庶民の旅行スタイル

従前都会の中にこもっていた人たちも,週末は郊外に出かけるようになった。それを可能にしたのはコンビニと道の駅である。道の駅は1999年に56箇所だったのが2004年には82箇所に増えた。スタンプラリーは年配者にも親しまれ,夏になるとどこの駅でも中高年女性がスタンプ帳を何冊もかかえて並んでいるのを目にする。ただ,スタンプラリーの応募者数は1999年度の54328人,全駅制覇者は2001年度の9493人をピークに減少傾向にある。

1999年7月「旅の窓口」オープン,2000年11月イサイズトラベルが国内宿予約サービスを開始。航空券もインターネットで予約できるようになり,旅行会社に頼らずとも旅行者自身で自分でプランを組み立てることが可能になった。

道外個人客の旅行パターンは,新千歳空港到着後,レンタカーを利用するという形態が定着しているが,これはカーナビ普及の効果が大きいだろう。道路整備もさらに整備され,わずかに残っていた道道の未舗装区間も改良が進められているが,ダートファンには寂しい状況になっている。

一方,道外観光客の道内における移動手段はレンタカーとともに,鉄道の割合が増加傾向にあり,JR北海道でも2002年12月に全日空の超割と連動した「北遊きっぷ」を発売したり,列車利用者限定の定期観光バス「ツインクルバス」を各地で運行している。

3-2-10 過疎化

都会の人が地方に出かけるようになった一方で,地方における過疎化の勢いはとまることがなく,1999年度末と2003年度末の各市町村の人口を比較してみると,212市町村中,186市町村で人口が減少している。特に利尻町,利尻富士町,音威子府村,夕張市,初山別村,白滝村は4年で10%以上の減少となっている。一方,旭川,釧路などの地方都市においても2000年6月施行の大店立地法を受けてイオンなど大型店の郊外進出が進み,市街地の空洞化が進んだ。JRタワーなど札幌への一極集中の影響も大きい。

自治体の財政状況も急速に悪化しており,イベントの統廃合や中止が相次いでいる。1980年代以降落ち着きを見せていた小規模校の統廃合も近年再び勢いを増している。郵便局や商店,地区会館さえも消え,駅がありながら駅前の建物はすべてが廃墟という集落もいくつか生まれている。

3-2-11 外国人の増加

北海道の観光入込客数はこの5年ほぼ横ばいであるが,宿泊客数は減少傾向にあり,2000年の有珠山噴火の風評被害を受けて以来,宿泊施設にとっては厳しい状況が続いている。

そうした状況の中で業界が期待しているのが外国人観光客の増加である。訪日外国人来道者数は1999年度に約20 万人だったのが,2003年度には29万人を超えるまでに急増している。地域別では台湾からが半数近くを占めるが,韓国と香港の割合が急増している。「北の国から」放送が終了した富良野では観光客の減少を見越してアジアからの観光客誘致に取り組んでいる。

しかしこの外国人観光客の誘致は観光に関わる業者が食べていくために必要なのであろうが,道民としてはあまり観光地が外国人ばかりになってしまうのも複雑な思いがするし,外国人が多く訪れることが北海道にとって本当に良いことなのかどうかは疑問である。

3-2-12 鉄道

鉄道関係では1999年にSLが復活するなど嬉しい出来事があったが,その後はなくなるもののほうが多く,最近はやや動きが鎮静化している。

1999年6月「富良野・美瑛ノロッコ号」に新車両投入,同時にラベンダー畑駅開業。映画「鉄道員」放映にあわせ根室本線富良野−落合間で「ぽっぽや号」運転開始。7月には上野−札幌間にオール個室の豪華寝台特急「カシオペア」が登場した。また同年,標茶町の公園に保存されていたC11-171号機が現役に復帰し,5月から「SLすずらん号」として運転開始,翌年1月には「SL冬の湿原号」として里帰りを果たす。以降2000年10月にC11-207も加わり,全道各地でSL列車が運転されている。

2000年3月改正で札幌−稚内間にキハ261系「スーパー宗谷」が登場するも,まもなく有珠山が噴火。室蘭本線の運休が長期化したことから,本州直通夜行列車と特急「北斗」が山線経由で迂回運転した。11月,721系快速「エアポート」の指定席に座席をグレードアップしたuシートが登場。以後781系,785系特急車両にもuシートが拡大されていく。12月には快速「ミッドナイト」が季節列車化されるとともに,それまでのキハ27形気動車が183系に置き換えられた。1960年代以降急行全盛時代を築き上げたキハ27形・56形はミッドナイトの運用離脱と共に定期運用がなくなり,2001年6月に「さよならキハ56」が運転された。なおキハ27形・56形と同時期に特急用車両として活躍したキハ80系も2002年10月のトマム・サホロエクスプレス引退により道内から姿を消した。

2001年7月のダイヤ改正では大きな動きがいくつかあった。札幌と釧路を結ぶ特急「おおぞら」はこの改正で全便スーパー化。唯一キハ183系で残った夜行列車には「まりも」の愛称が復活し,根室までの夏季延長運転を開始した。宗谷本線の下中川,上雄信内,芦川,石北本線の天幕,中越,奥白滝の6駅はこの改正で廃止。また上越信号場と常紋信号場も同日で使用停止になっている。そして若者向けの割引制度だったYOUNG GO GO CLUBの見直しが行われ,Rail mateにリニューアルされた。この年11月にはキハ183系4両が国鉄色に塗り替えられた。

2002年3月改正では従来の「ライラック」に変わり「スーパーホワイトアロー」が新千歳空港に乗り入れ,旭川と結んだ。10000円でJR北海道全線が2日間乗り放題となるスーパー前売りきっぷもこの改正で登場。4月27日には流山温泉駅が開業した。同年12月,東北新幹線八戸開業に合わせ快速「海峡」廃止。津軽海峡線には「海峡」に代わって「スーパー白鳥」と「白鳥」が運行を開始した。また同改正で快速「ミッドナイト」も廃止され,青春18きっぷ利用者には大きな打撃となった。しかしながら,蟹田−木古内間には石勝線と同様の特例が設けられ,急行「はまなす」も利用できる「北海道&東日本パス」が発売されることとなった。

2003年3月6日,JRタワーオープン。高架化から15年を迎え,札幌駅は第2の時代に入った。その1年後,2004年3月7日をもって石勝線新夕張−清水沢間の通票閉塞及び清水沢の腕木式信号機が廃止となり,さらに5日後には楓駅が廃止された。4月から5月にかけて共に40年を越える歴史を持つ旭川と釧路のステーションデパートが閉店した。相次ぐ廃止に全国から鉄道ファンが集って別れを告げた。

3-3 サイトの理念

3-3-1 サイト作成の目的と原動力

村は寂れ,またあるところでは必要のない道路ができ,良いと思うものがどんどんなくなっていく。私が良いと思うものは皆にも良いと思ってほしいし,それによってふるさとが必要以上に変貌することを食い止めたかった。例えば駅前観光案内所で紹介した楓駅や奥白滝駅は既になくなり,廃駅になるとき私もお祭り騒ぎに加わったりしたが,本当はその前に存在価値が世の中に認められ,なくならないでほしかったのである。自分のふるさとはいつまでもそのままであってほしい,これがホームページを作成した究極の目的である。

一方,サイト作成の原動力は反都会の精神だった。学生時代には都会人こそが諸悪の根源であるとさえ考えていた。中には都会人を見下した表現があるかもしれないが,あえてそのような表現をすることによって,逆に世の中が田舎を愚弄したものにあふれていることに気づいてもらいたかったのである。しかし,私自身都会での生活が長くなり冷静になって田舎の現状を見たとき,やはり都会の人がリードしてあげなければ田舎はやっていけないと思うようになり,最近はサイトの方向性も少し変わってきているように思う。

3-3-2 閲覧者の想定

ホームページは80歳の人にも理解してもらえるように作っているつもりである。インターネットの閲覧者は40歳代までが圧倒的に多く,せいぜい50代まで意識しておけば十分なのだろうが,これは私の癖で,ものを書くときにはどうしてもお年寄りを意識してしまう。子どものころ定年間際の先生に教わることが多かったり,祖母,祖父の世代に手紙を書くことがあったからである。最近は雑誌の販売戦略,あるいは飲食店などでもターゲットを明確にせよということが言われ,専門店化が進んでいるが,逆に往年の百貨店のレストランのように,幅広い年齢層を対象にした何でもありの店がこれからまた求められるのではないかと思う。ホームページにしても同じで,当サイトも対象者を限定することなく,みんなに理解してもらえるように作っているつもりである。

具体的にはカタカナを使うことを避けている。大正生まれの人は基本的にカタカナ語を使用せず,若い人でもよっぽどのインテリでなければカタカナ語の本当の意味をわかっていないからである。見出しにProfile,BBSなど英語を使うのはもってのほかである。

困るのは年代の表記である。西暦と元号の表記の統一がとれていないのは自分でも気になっているが,どちらで表記すべきか悩んでしまう。いちおう最近は昭和以前は元号で,平成以降は西暦で表記するようにしている。おおむね私より上の世代は元号のほうが親しみがあり,逆に下の世代は西暦で教育を受けているので,特に明治や大正のことなど西暦でなければピンとこないようである。ちなみに私は明治以降ならどちらでも大丈夫だが,これはむしろ特殊な能力のようである。新聞は西暦で表記しているが,私の同世代でも自分の生まれ年を西暦に換算するのに四苦八苦していたり,例えば東京オリンピックが何年前だったか知るのに,わざわざ平成を昭和に直して換算しているのを見ると,まだまだ西暦は浸透していないように思う。

3-3-3 すべてを明らかにしないこと

子どものころ情報の過疎地帯で育った。それゆえ私は情報のありがたみというものを知っている。校区の外れに家があったので,学校以外に友達もおらず,親も近所の奥さんから情報をもらうというようなことがなかった。小学校から中学校に進学するとき,入学時に準備しなければならないことを友人は皆知っていたのに,自分は何も知らされておらず危機感を持った。これはまずいと思って中学に入ってからはがむしゃらに情報を集めるようになった。しかし小さな町である。本も薬屋で学習雑誌や週刊誌を扱っている程度,図書館も人口1万幾千の町にしてはずいぶん貧弱で,知りたいことを知ることができない苦しみにもがいた。

しかし物事は知らないうちが面白いのであって,すべてを知ってしまうと興味がなくなるものである。また,情報も有限な資源であるから,後の人のことを考えれば,すべての情報を消費してしまってはいけない。駅紹介のページなど,当初金銭面の問題から写真の枚数を抑えていたが,それが結果的には消費する情報量を抑制することになり,後の人の興味をすぼませることにならなくてすんだのではないかと思う。

3-3-4 目指すはNHK,そして三波春夫

NHKのことをむやみやたらに嫌う人がいるが,何だかんだいってNHKは人材,番組の質ともに群を抜いている。特にラジオでの差は歴然としており,民放は適当なことばかり話していて腹が立つので私はNHKしか聴かない。このサイトも個人で作成しているものではあるが,NHKのように誰もが安心して見ることができる内容を目指している。

三波春夫は最も尊敬している歌手である。一見派手な着物で歌う能天気な歌手のように映るかもしれないが,その背景には「歌う学者」といわれたように壮大な理念があったのである。「歌で国を変えよう」というような志を持って歌手を務めた人はほかにいないだろう。当サイトもただ情報を羅列するだけではなく,背景にある理念を失わないようにしたい。

3-3-5 学生と就職

ホームページは学生時代に作ったという印象を持っていたが,考えてみると5年のうち学生だった期間は1年4か月しかない。今の仕事はホームページの内容と関連がなくもないが,この仕事をやっているからこういうホームページを持っているのだというふうには思ってほしくない。仕事がどうであれ,私はこういうホームページを作ったはずである。

学生のとき北海道関係の素晴らしいホームページを持っていても,就職によって道外に転出してしまうというケースがよくある。私はホームページを持っているからというわけではないが,何としても道内に就職したかった。しかし道内の就職状況は厳しく,大学の就職担当の先生にも道外ならそれなりの企業への就職の面倒を見てくれるが,「道内で」という言葉を発した瞬間,先生の顔色が変わり見放されるというような状況であった。たしかに建築系の道内の大口就職先としては道庁,札幌市役所,北電,JR北海道くらいしかなく,大卒・院卒の学生百数十名に対して,それぞれ1人か2人しか採用枠がないのだから厳しいのである。

ともあれ,運よく道内に就職することができた。就職したら時間がなくなるのではないかと心配していたが,意外なほど時間はあり,旅行にも行くことができた。大学の同期などの話を聞くと,申し訳ないと思うほど状況には恵まれている。ただ,先を見れば不安ばかりである。ホームページもいつまで続けられるかわからない。

3-4 各コーナーについて

3-4-1 北海道観光地リスト

北海道観光地リストのルーツが学生時代に自費で作成した冊子にあることは3周年特集で書いたが,その目的の一つは,その冊子を友人に配り,その恩恵としてドライブに連れて行ってもらうことだった。当時私は車がなかったのだ。したがって,このリストは自分が訪れたところを他人に紹介するのではなく,自分が行きたいところを事前に資料から情報収集してリスト化するという形で作られている。本来自分のためのリストであるから,紹介文はメモのような簡素なもので,印刷を意識してできるだけ短い文章になっている。

いまでこそ「じゃらん」など,ネタ切れのためもあるのか,こんなところを載せていいのかと,こちらが逆に心配になるようなマイナーな観光地を載せているが,5年前にはそのようなマニアなガイドは存在しなかった。多くの観光ガイドはエリア別の案内や主要な観光ルートに沿った案内をしており,そうすると著名観光エリアから離れた観光地は漏れてしまう。例えば,占冠,穂別,足寄,名寄,幌延……,こういったところにも素敵な見どころがあるにもかかわらず,観光ガイドに掲載されないのを残念に思っていた。そこで私は既成の観光エリアの概念にとらわれず,市町村別に観光地を網羅するリストをつ作ったのである。ただマイナーな観光地だけ載せていてはマニアなガイドとしかとられないので,著名観光地も知られざる観光地も同列で並べた。

作成には労力を要するが,逆にこうした網羅的ガイドというのは個人だからこそできるものだと思う。役所が作るとしたら恐らく業者に委託することになろうが,ある程度費用をかければ最初は良いものができるだろう。しかし,役所の構造的な問題として,その後の情報の更新が難しいという問題がある。企業が作ろうとした場合,営利上本当の意見を書けない場合があるので信頼性に劣る。また,役所にしても企業にしても,担当者がその道に興味を持っているとは限らず,熱意ある担当者が転勤したことによりサイトが放棄されるという事例も多くある。インターネット上によくあるクチコミ系の情報サイトの場合,情報に偏りがあるのが常であり,クチコミだけを集めても全体を網羅するものにはなりえない。結局,熱意ある個人が作るのがいちばんやりやすい。実際に行っていないところのことを書くのは気が引ける面もあるが,その点は割り切っている。

観光地リストではいわゆる観光地のほか,キャンプ場,温泉,イベントを紹介している。私自身キャンプの経験は1度しかないにもかかわらずキャンプ場を扱っているのには訳があった。理由の一つはキャンプ場は離農跡や廃校跡を利用して整備されていることが多いからである。もう一つは「観光によって地球を救う」という当サイトの目的を考えたとき,キャンプが重要な役割を果たしうると考えたからだ。

6年ほど前のあるとき,列車の中で30代後半くらいのサラリーマン達が会話しているのを聞いた。子どもと週末にキャンプに行くのを趣味にしているようなのだが,お父さんが虫に詳しいのだ。考えてみれば,最近めっきり昆虫を見なくなったが,私の子どものころは街の中にも虫がたくさんいた。一回りほど年上のお父さん方の時代にはもっとたくさんいたはずだ。クラスの中には「虫博士」と呼ばれる少年が必ず一人はいた世代だと思う。そういうお父さんたちが,子どもと郊外に出かけてキャンプをし,子どもと一緒に自然のことを学ぶ。オートキャンプ場のキャンプサイトにはAC電源がついており,日常となんら変わらない生活ができる。たしかに現代人にいきなり,登山家並みの露営をしろと言っても無理である。しかしオートキャンプであっても,何か日常とは違う体験に出会うチャンスにあふれている。日常世界から場所を移すことによって,普段は会話のない親子に会話が生まれるかもしれない。お父さんたちの会話を聞いていて,そんなことを思い,将来に明るい光が見えた気がしたのである。

このような思いがあってキャンプ場を掲載したものの,自分自身がまったくキャンプをせずに掲載するのは気が引けるし,情報の更新も大変なので,キャンプ場の情報は近いうちに削除しようと思っている。

この5年の間に,観光情報は格段に進化した。「じゃらん」「HokkaidoWalker」などの雑誌は刊を重ねるごとに情報を消費し,従来の観光ガイドで紹介されることはありえなかった奥地にまで取材が及んでいる。市町村は次々に新しい観光パンフレットを印刷する。北海道は北海道観光総合データファイルを開設した。5年前当時には観光地の開館時間,定休日,入場料などのデータを記載していないガイドが多く,当サイトではそれらのデータをなるべく詳細に記載することにしたのだが,最近では記載しているのが当たり前になった。一方,体験観光,ファームインなど,従来の観光地の枠を超えた要素も出現している。このような状況の変化を見たとき,このコーナーの存在意義はサイト開設当初よりもだいぶん薄れてきたように思われる。

それでもやはり有用性は失はれてはいないと思う。インターネット上には莫大な情報が存在するが,いちいち検索サイトを開き,重たいフラッシュのデータがダウンロードされるのを耐え忍び,ひとつひとつ調べて行くのはなかなか骨の折れる作業である。その点,情報の質は若干劣っても,統一された視点で全体が整理された情報は有用であると考える。更新は大変だが,こまめにやればそれほどの作業でもない。今後も当サイトの基盤として,更新を心がけていきたいと考えている。

3-4-2 ニニウへ急げ

そもそもこのサイトは,ニニウを紹介したいがために立ち上げたということは3周年特集でも書いた。このコーナーこそがサイトの魂だと思っている。

サイトを開設したとき,このページを見て1人でも実際にニニウに行ってくれる人がいればいいと思った。結果としては,既に何人もが訪れているようである。訪れた感想をメールでいただいたり,ホームページに旅行記が掲載されているのを見つけたり,直接・間接にニニウを訪れたの感想を読む機会がある。しかし私の意図したところはなかなか理解してもらえていないようである。人それぞれ見方が違うのは当然だが,「ニニウには手つかずの自然があった」というのは,まったくの事実誤認である。また,石勝線の開通を待ちつつ開通前に開拓者が離散してしまった悲劇の集落というような感じで紹介されていることもあるのだが,私自身はニニウを悲劇の集落だとは思っていない。

ニニウに関わりのある方からもメールを頂戴している。開設してまもなく,1984年に放送されたドラマ「鬼峠」のビデオをある方から送っていただいた。3年目には現在ニニウ唯一の居住者となっているサイクリングターミナルの管理人さんからメールをいただいた。ドラマ「鬼峠」のこともホームページに載せると約束しておきながらまだだし,サイクリングターミナルの管理人さんにも挨拶にうかがっておらず,義理を果たしていないのが気がかりである。今年になってから,石勝線の工事の関係で小学生の一時期ニニウ小学校に通っていという方,また,ペンケニニウの沢の家に3歳まで住んでいたという方からメールをいただいた。ニニウの住んでいた人など現在日本中探しても100人か200人しかいないだろうに,そうした方からメールをもらえるとはホームページの力は大変なものである。

当初思い入れを持って作ったコーナーだが,まったく更新していない。実は,開設以来自分でニニウのページを見たことがほとんどないのだ。自分で書いたことが怖くて見れないのである。ただ,ニニウへはその後も毎年のように訪れている。毎年廃屋が1つ,2つと倒壊し,今年ついに高速道路の工事が本格的に始まった。占冠村のニニウ自然の国構想,そして私のニニウ博物館は,夢の中に消えてしまった。工事で変わりゆくニニウの姿を,今後も追い続けたい。

3-4-3 富良野・美瑛特集

せっかくふるさとを上富良野に持っているのだからと,ホームページを立ち上げて最初のラベンダーシーズンを迎えた2000年6月に新規コーナーとして開設した。以降,毎年ラベンダーシーズンにあわせて少しずつ更新を行い,現在に至っている。2003年5月,北海道道路情報室廃止により4本柱の一つに移設した。

上富良野に生まれたことは大変に幸運だったと思っている。もし,私が(上)富良野以外の北海道で生まれていたとしたら,今の富良野・美瑛ブームには反感を持っていたかもしれない。1979年,2歳のときに上富良野で第1回ラベンダー祭りが開催,1981年には「北の国から」放送開始,以来観光客が年々増加するのを目の当たりにしてきた。祖母がラベンダーの刈り取り作業に従事したり,父がラベンダー結婚式の実行委員長を務めたりもしていた。私自身も家の場所柄,通りすがりの観光客に道を尋ねられることが何度となくあった。子どものころのそのような環境が,観光に興味を持つようになった原点でもある。

「富良野・美瑛」のことを書くうえでも,富良野市や美瑛町ではなく上富良野町で生まれ育ったことは大きな強みになっている。というのは,札幌の人が札幌以外の北海道を知らないのと同じように,富良野市の人は富良野市以外の富良野を知らないからである。逆に上富良野の人は買物や通学で富良野に行くし,美瑛も隣町なのである程度はわかる。

富良野・美瑛は「点」としてではなく,「面」として地域全体が観光地になっている従来にはないタイプの観光地である。したがって,初心者にとって富良野・美瑛はとっつきにくさがあるのではないだろうか。また市販の観光ガイドでも,意外と富良野・美瑛の基本を押さえたものが少ない。そこで,網羅系の観光地リストとは趣向を変えて,見どころを整理し,初心者にわかりやすい観光ガイドを作ろうと思ったのである。

一方,知らなくても困らない上富良野の言葉などはまったく趣味的なページで,一般受けはしないものの,上富良野に関わりのある人など一部には好評だった。観光モデルコースは開設初年に初心者編と中級者編を作成し,今年6月に掲載した上級者編は構想に4年を費やした。上級者編はさすがに個人的趣味に偏向しすぎたが,コースには自信があるので,一度このコースどおりに巡ってみてほしいと思っている。

3-4-4 北海道駅前観光案内所

2000年7月に着手し,2002年4月に各駅のページの作成がひととおり終了した。2003年2月17日にはJR北海道全駅の乗降を達成した。

子どものころから鉄道は好きだったが,本格的に鉄道に興味を持ち出したのは大学に入ってからのことである。大学に入学して間もない1995年6月,初めて自分で時刻表「北海道ダイヤ」を購入し,実家に普通列車を乗り継いで帰省した。1996年6月には鉄道雑誌に手を出し,夏休みにアルバイトをしたお金で購入した北海道フリーきっぷで道内全線を踏破した。

鉄道趣味にもいくつかのブームの変遷があって,1970年代前半のSLブーム,1980年代の赤字線廃止に伴うローカル線ブーム,1990年代半ばには廃線跡探訪ブームが到来した。その中で,「たくさんの駅に乗り降りする」という鉄道の楽しみ方は比較的最近出てきたものだと思う

1995年に札幌周辺の駅で一日普通列車乗り放題の一日散歩きっぷ(2000円)が売り出され,気軽に汽車旅に出かけられるようになった。国鉄末期にローカル線の駅はほとんど無人化され,木造駅舎の多くが解体されたが,有人駅時代にはなかったであろう癒しの雰囲気が生み出された。国鉄時代を知るオールドファンには訪れるに堪えないほどの寂れ様なのかもしれないが,我々新世代の鉄道ファンはそうした癒しの雰囲気を求めて,知らない駅に降りてみるようになった。

一方で,2000年頃には「秘境駅」がブームとなり,車を利用して駅を次々に攻略しようとする人が現われた。そのような状況を憂えて,2002年3月にこれだけは言わせてほしいこととして「駅は列車で訪れよう」「列車に乗ったら窓の外を見よう」「列車を降りたら駅前を歩こう」という3点を提案した。実際に列車で駅に降り立ったことを証明するのはなかなか難しいが,私は列車と駅舎をなるべく1枚の写真に収めることにしている。

ところで,北海道駅前観光案内所では単に駅舎の写真を掲載するということではなく,駅周辺の見どころ案内と,各駅間の車窓案内を加えている。特に車窓案内には力を入れている。車内では本を読んだり,隣り合った人との会話に精を出すのも良いが,「観光」という点では,車窓を流れる風物を見ることは重要である。畑に何が植えられているか,育ちがよいか悪いか,家が大きいか小さいか,そういうこともきちんと見るのだ。ただ,車窓は自分が見ようとしたものしか見えてこない。その意味で,私の書いた車窓案内は私が見たものにしか過ぎない。

各駅のページではまだ「未踏」となっていたり,写真を掲載していないページがあるので,今後はそれらの更新作業を行っていきたいと思っている。訪問から年数がたち,情報が陳腐化しつつあるが,古くなれば価値がまったくなくなるというものでもないと思うので,訪問時のデータであることを明記した上で,今後も残していきたいと思う。

3-4-5 昭和・北海道地図資料館

2003年9月新規開設。多忙で更新の時間があまり取れなかった時期に,間を持たせるために始めた思いつきの企画である。やや趣味の世界に走った内容で,1つの地図を追加するのにだいたい土日の片方がつぶれてしまうのであるが,冷静に考えてみるとしょうがないことをやっているなあという気になってくる。道路が何年に開通したとかいうことは知ってても何の役にも立たないが,自分では非常に面白みを感じているコーナーでもある。若輩がその当時をリアルタイムで知っている世代を前にして過去のことを書くのはおこがましいが,過去のことを書く場合にはなるべく年月まではっきりと調べるようにしている。これはなかなか大変な作業で,書いているうちに机の上が資料の山になる。ホームページの内容を膨らませるとその後の更新作業が大変だが,この種のページは更新の必要があまりないので,作り手としては気が楽である。

面白いのは,年配の人にとっては戦後のことなど「最近」のことなのであるが,インターネットの世界は若い世代中心で構成されているので,1960年代の地図でも「古地図」になってしまうことである。「古地図」というのは本来江戸時代以前に刊行された地図を指すはずなのだが。

3-4-6 北海道・旅と本

2002年10月新設。せっかく本を読んでも月日がたつと印象が薄くなってしまうので,感想だけでもメモしておこうと思ってはじめた企画である。それと,「私はこんな本を読んでいます」ということをホームページを見ている人にも知ってほしかったためでもある。

こまめに読了後すぐ書けばよいのだが,つい後回しになってしまい,掲載待ちの本が何冊もパソコンの横に積みあがっている。初めのころは力が入って書評のようになってしまったが,批評をするのもおこがましく思えてきたので,簡単な感想だけでも綴っていきたいと思っている。

3-4-7 北海道観光入門

「ニニウへ急げ」と並んで,大変気がかりに思っているコーナーである。内容はサイト開設よりも前,1998年春に作成したものだが,約5年前にホームページに掲載して以来,自分でこのページを見返したことがほとんどない。内容に自信がないので読み返すのも怖いのである。

しかも,アクセスが妙に多い。特に多いのは「宇宙の歴史」のページで,検索サイトのキーワード検索からの訪問者が多い。また,地質関係の学術的なサイトからのリンクがあったり,学校関係からのリンクもある。つまり,このような教育テレビ的なページはインターネットの世界にあまりないのである。

ともかく,やろうとしたことは間違っていなかったと思うので,時間さえあれば大幅な改訂作業を行いたいと思っている。

3-4-8 旅行記

当サイトは基本的に事典のような構成にしているので,自分のことについてはあまり触れておらず,旅行記は自己紹介のコーナーに遠慮がちに掲載している。サイト開設から1か月しないうちに最初の旅行記を掲載したが,当初から旅行記の評判は意外なほどよかった。2001年9月の東京旅行記以降はデジカメを購入して写真も増えたので好評なのもある意味納得がいくのだが,それ以前の簡単な旅行記でさえも好感を持ってもらえたのは,旅行記が唯一自分自身のことを書いている場だからだと思う。

旅行記は唯一ネタと更新のバランスが取れているコーナーでもある。他のコーナーでは題材ばかりがたまって更新が追いついていないが,旅行記に限っては,旅行記を掲載しないうちに次の旅行記に出かけるということがない。このようなホームページを持っているといつも旅行をしているように思われるが,意外に旅行の回数は少なく,3,4泊の宿泊を伴った旅行は年に3回程度しかない。逆にそのくらいに回数を抑えないと旅行の意味も薄れてしまう。1日の旅行に計画で2日,旅行記を書くのに5日は費やされるので,5日も旅行すれば1か月はつぶれてしまう。それだとやはり年に3回程度が限界なのである。

北海道情報のサイトなのに,旅行の行き先が道外ばかりで申し訳なく思っているが,逆に道民から見た道外の姿を道外の人にも感じてほしいと思っている。行き先の中では特に東北が多いが,我々の世代の道民にとって東北というのは意外に身近な存在なのである。学生時代には快速ミッドナイトという夜汽車があって,札幌からならば根室や稚内より青森のほうがずっと簡単に行くことができたので,旅行といえばみな東北に行ったものである。それとやはり北海道から見て東北は言葉に表すことができないような魅力があり,釧路は北海道の中でも東北から最も遠いところであるにもかかわらず,毎年のように東北へ行っている人を何人も知っている。

3-4-9 北海道道路情報室(廃止)

サイト開設6日目の1999年12月3日から作成を開始し,翌年3月までに全道道のリストを作り終えた。私はそのころ周辺から「鉄道マニア」とみなされたので,「鉄道だけじゃないんだ」ということを示したくて,まず道路のコーナーを作ったのである。当時既に道道リストを掲載したサイトが存在していたが,それらに対抗すべく『道路現況調査報告書』という資料を武器に,旧番号や未舗装区間の延長のデータを盛り込んだ。

作成の目的がそのようなことなので,読み手には「全部の道道のリストがある。これはすごい」と思ってもらえることだけを期待した。しかし実際は期待を上回って,一つ一つの解説文を細かく読んでくれる人が多数現われた。実際に走行しているわけではなく,机上で書いているので,解説をじっくりと読まれるのはつらいことだった。

未舗装区間のデータも年々変化するので更新しようと考えていたが,実は今の職場はこの方面に多少関係しており,本棚には『道路現況調査報告書』がある。そうするとかえって興味がわかなくなるものである。他に充実した道道のサイトもできてきたこと,昭和・北海道地図資料館などの他コーナーの充実で北海道道路情報室でやりたかったことの一部が代替されること,またこれ以上存続させることはかえってサイトの信頼性を失墜させることになると判断し,2003年5月にコーナーを廃止した。

3-4-10 厳選・十選の旅(廃止)

情報網羅系の北海道観光地リストに対し,初心者向けに精選された情報を扱うコーナーとしてサイト開設当初から計画していた。厳選系のページは網羅系のページよりも作るのが大変である。厳選するためには情報をより広く深く知っていなければならないからである。それだけに,厳選系の情報は需要が高く,著名サイトからのリンクがあったり,雑誌に掲載されるという話もあった。しかし,こちらの力量以上の期待をされるとやはり苦しく,2003年5月にコーナーを廃止した。最終的には展望台,峠,駅,ラベンダー,桜,ダート,紅葉の7種類の十選を作成したが,そのうち展望台一覧,峠一覧は資料的価値があると思うので過去のページとして存続させており,ラベンダー十選は富良野・美瑛特集に移してその後も改訂している。

4 ホームページを作って

4-1 自己顕示の場

私は自分の趣味を他人に認めてもらわなければ気がすまない性格らしい。「自己満足」ではいけない。だから子どもの頃から,親や学校の先生に認められることしか趣味にしてこなかった。万人に認められるためにはマニアックであってはならず,当サイトにおいても「観光」という正統的なテーマを掲げ,少なくとも表面上は真面目に見えるように装っている。

ホームページに掲載している内容を自分の頭の中だけに留め,誰にも話すことができないとしたら,これは大変なストレスになる。実際ホームページを持つ前には,何とか自分の知っていることを他人に話したいと,友人に押し付けがましい話をしてしまうこともあった。それが,ホームページを持つことによって,自分の知識や考えを他人に知ってもらえるようになって,精神的にも非常に楽になった。一昔前まではこうしたことを世間に知ってもらおうとすれば自費出版くらいしか方法はなかったのだから,ホームページというのはありがたいものである。

4-2 会話欲の減少

ホームページという自己表現の場を得たことで,逆に日常他人と会話しようという意欲が失せてしまった。以前は周りから旅行関係の話が聴こえてくれば,話の中に積極的に入っていったのだが,ホームページを持ってからはあえて会話に加わろうと思わなくなった。また,自分を知ってもらおうにも,ホームページを見てもらえれば自分の素性が全部わかるので,それをまた一から説明するのが面倒に思うようになった。ホームページを実名で作成しておらず,友人などにもホームページを積極的には教えていないというところにも妙な難しさがある。家で何をやっているかと聞かれても「ホームページを作っています」と答えれば面倒な話になるので,「休日は温泉巡りをとしています」などと適当に答えている。しかし,温泉ばかり入っていると思われるのも間抜けのようで,それも損をしているという気はする。

4-3 時間の制約

ホームページを見てくれる人がいると,やはり期待にこたえようとして更新に精を出すことになる。この5年,家にいる時間のほとんどはパソコンに向かい,ホームページ関係の作業をしていた。テレビも見なくなり,読む本は北海道関係に限られ,興味のままに本を読みあさるということもできなくなった。せっかく釧路に来たのだから,何かサークルなどに参加して,人とのつながりを深めたいと思っていたが,それもできなかった。

しかし,ホームページを持たなかったら,もっと充実した生活を送れたかといえばそうではなく,結局テレビを見ながらだらだらとした毎日を送ることになったのではないかと思う。ホームページを作らなかったら,逆にこんなに本を読むことはなかったと思うし,ホームページによって全国の人と話をすることができた。逆にもっと時間を自由に使えれば地元の人との素晴らしい出会いがあったかといえばその保証はない。結局,ホームページを作って正解だったと思う。

4-4 東京の人,札幌の人,北海道の人

私の立場から見ると,日本人はこの3種類に分類できる。極端に言えば,北海道以外の日本は北海道にとって全部東京である。実際に全国各地を旅行してみると,日本にもいろいろあることがわかるが,道民は名古屋も仙台も全部東京だと思っている。私自身は東京の人に対するコンプレックスを不思議と感じておらず,東京の人はいつも北海道に来てくれる良いお客さんだと思っている。実際はそうでもないと思うのだが,東京の人を批判できるほど私は東京の人をよく知らない。

一方,札幌の人は敵である。札幌の人は北海道のことを何も知らない。大学のとき,同級生の7割が道外出身,2割が札幌出身,残りの1割が札幌以外の北海道出身だった。道外出身者は何も知らない札幌人を北海道人と誤解して付き合い,北海道を何も知らずに4年間過ごしてまた東京に戻っていった。それが悔しかった。札幌の人に対する反感がホームページ作成の原動力になったが,就職後は逆に周囲に札幌の人がいなくなり,その意味でのパワーは衰えてしまった。

札幌以外の北海道が本当の北海道だとする考えは,札幌市役所と道庁が対等の組織だということを考えても真実である。札幌以外の道内市町村出身者には同類項のような親しみを覚える。

掲示板にはたくさんの「東京の人」に書き込んでもらっているが,これは北海道発の地域情報サイトではあまりないことで,嬉しく思っている。大学時代の6年間,7割方の学生が道外出身というそこだけ東京のような環境で過ごしたことが,東京の人と話をするうえで非常によい経験になったのだと思う。

4-5 アクセス解析

ホームページを持っていると,アクセス解析が日課のようになる。サーバーの生ログにはIPアドレス,日時,参照元URL,ユーザー環境(ブラウザの種類,画面のサイズ……)などが,アクセスされたファイル1件ごとに記録される。参考までに2004年11月のアクセス解析の概要版を示す。IPアドレスから個人を特定することはできないが,ドメインを持っている会社や大学のパソコンからアクセスしている場合には組織名が特定できる。また例えば掲示板に変な書き込みがあった場合,その訪問者が掲示板に書き込む前にどのページを見ていたのかなど,その気になれば追跡できる。

しかし,安心してほしい。通常そのような分析はしていない。データーが膨大なのでそんなことを調べる時間もない。アクセス解析で見ているのは参照元のURLと各ページのアクセス数くらいである。

4-6 メールの返信

ホームページの閲覧者からメールが来ることはあまりないが,よっぽどのことがない限り返信はしておらず,申し訳なく思っている。文筆を商売にしているなら読者は大事なお客様だろうから,返事は丁寧にしなければならないだろうが,そこが無料のホームページとの違いである。特に,感想をいただく場合,たいてい身にあまる賞賛のメールなのだが,逆に何と返事を書けばよいのか困ってしまって返信していない。この場を借りてお詫び申し上げる。

4-7 写真の貸し出し

雑誌や商用サイトからの写真貸し出しの以来が時々来る。写真はまったく上手くないが,貸し出しを拒む何物もないので,何も言わずに了承している。会社によって小さな写真1枚載せただけで掲載誌を送ってくれたところや,提供者名として本名の掲示を求められるところなど,いろいろあって面白い。一度,写真の実物を送付してほしいという依頼があって,返却を条件に送付したのだが,再三の催促にもかかわらず返却されていない。こういうことがあると貸し出しを考えてしまうので,注意してもらいたい。

一方,Web上で写真を転載する場合,掲示板等に直リンクを張られるのはまったくかまわないが,画像をダウンロードしてあたかも自分で撮影した画像のように使われるのはあまり好ましく思わない。他人のサイトの写真を借用するのはどうしても自分で写真を撮りに行くことができず,それでも写真を掲載する必要に迫られているような場合のみの手段としてほしい。

なお,文章を引用されたり,構成を真似されるのはそれほど抵抗感がない。「この人はなかなかよいことを書いているなあ」と感心していると,後になってそれは私が書いたものを参考にしていたのだと知ることもあった。しかしそれはむしろ嬉しいことである。この辺の感覚はホームページ作成者によってかなり異なるようである。ただ,当サイトの内容も多くは文献などからの引用なので,安直に他のサイトを参照するのではなく,原典をあたるようにしてほしい。

4-8 意図せぬ利用

いまだ年配層を中心に,ホームページの内容を印刷しなければ気がすまない人がいるようだが,そもそもホームページは印刷されることを想定していないため,1ページに印刷される情報も少なく,紙の無駄遣いになるのでやめてほしい。当サイトの内容を全部印刷すれば,おそらくA4版2000枚〜3000枚になろう。

それと,富良野・美瑛特集などの地図を印刷して旅行に持って行く人がいるようだが,これもおすすめではない。当サイトの地図は,市販の道路地図と併用することを前提として作成しているので,当サイトの地図単体では十分に用をなさないはずである。やはり地図はしっかりしたものを1冊購入すべきで,もし当方の地図に役立つ情報があると思うなら,道路地図にその情報を書き込むようにして利用してほしい。

なお,観光地リストは印刷用の様式があり,以前PDF版観光地リストとして掲載していたのだが,やはり活字になって知らないところで出回るのは怖く,2003年5月に掲載を取りやめた。

5 これから

ホームページが5年も続くとは思っていなかった。今後も仕事のこともあり,いつまで続けられるかわからないが,できる範囲で続けていきたい。幸いまだまだやりたいことは残っている。

最近また更科源蔵本を読んで,生きるか死ぬかの戦争中にあっても,花や木,動物など自然への暖かい眼差しにあふれていることに感銘を受けた。将来まったく明るい兆しが見えないが,心にゆとりを持つことを忘れず,大地が放つ光を見つけていきたい。


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