北海観光節旅行記小さな旅行記 2003.9.14

ふる里の民踊をたずねる旅in弟子屈

むやみな外出を慎んでいる今日この頃であるが,店のイベント案内板で,道民芸術祭「第27回釧路地方郷土芸能祭」という催しが弟子屈で開かれることを知り,これはなんとしても行かねばならぬと思って出かけてみた。音別の蕗まつり音頭をもう一度見たかったのである。

道民芸術祭は11時30分からであるが,その前に「ふる里の民踊をたずねる旅弟子屈大会」というのが同じ会場で開かれているようなので,珍しく早起きをして出発した。

8時45分,摩周観光文化センター到着。チケットを買っていないので,受付で「入場券はいりますか?」と聞いてみたが,「ちょっとわからないです」と言われた。館内にはきれいな着物を着たオバサン方がたくさんいて異様な雰囲気である。会場をのぞいてみたが,どうも観客らしき人はいないようだったので,もういちど受付に戻り,「一般の人は入れますか?」と聞いてみたら,「見学ですか,どうぞ」と言われた。
プログラムのようなものはありませんかと尋ねてみたら,「ふる里の民踊をたずねる旅」のほうは当然のごとく用意していないようで,後半の道民芸術祭のプログラムがあるのかどうかを別の担当者に聞いてもらえたが,関係者に配る分だけで,特にプログラムは用意していないとのこと。参考までにということで,↓のチラシをもらった。

道民芸術祭と銘打って店のイベント情報や弟子屈町のホームページでも宣伝しておいて,プログラムを関係者分しか用意していないとは,そりゃないだろう。

1階には入れないようだったので,2階の観覧席に行ってみた。


観客は10人くらい。最後までこの状態だった。有名な人が来るわけではないので,満員で入れないことはないだろうとは思っていたが,ここまでガラガラだとは思わなかった。民謡の将来は暗い。


9時,開会式も何もなく,それでは踊りましょうということで,いきなりオバサン方が円陣を組んで弟子屈音頭を踊りだした。オバサンばかりがこれだけの数集まっている空間に入るというのは私も初めての体験で,衝撃的である。

ここで私は大変な勘違いをしていたことに気がついた。同じミンヨウでも「民」ではなく「民」なのだ。尺八や三味線で追分や牛追唄を歌う民謡ではなくて,踊る民踊なのだ。

しかし勘違いが良い方に違っていた。歌だけよりも踊りのほうがずっと面白い。このイベントは全日本民踊指導者連盟の全国大会という位置付けである。これまで踊っている人たちをオバサンと呼んできたが,それは大変失礼なのであって,一人一人が「先生」と呼ばれる人たちなのだ。

 

弟子屈音頭に続いて,秩父音頭,津久見扇子踊り,高知ぴりびり踊り,長崎五島さのさと続く(踊りの名前は会場で聞いたとおりに書いているので間違っているかもしれない)。津久見扇子踊りはゆったりとした調子で優雅な踊りだった。五島さのさは曲が新民謡系で好きな感じだった。

さすがは先生方,地元の踊りだけでなく,どんな踊りもO.Kなのだ。

踊りは地元で本物を見なければ面白くないと思っていたが,全国から先生方がこれだけ集まれば迫力が違う。目の前で日本で最高レベルの踊りが披露されているのであり,これ以上のものはもうないのである。全国各地のそのような至上の踊りが息つくまもなく次々と展開されていく。これにはもう震え上がるような感動を憶えた。


しかし先生方でも下関平家踊りだけは難しかったようだ。脱落者続出。テツandトモのなんてだろう節の奇妙な手の動きとそっくりかつさらに激しい動きが入っているのだ。


鳥取県の鹿野さんこ踊り。これはあまり知られていないようで,地元の先生による3分講習があった。さすがに先生方は覚えも早い。やはり基本的な所作は共通するものがあるのだろう。道外からの参加者はゲスト程度の人数かと思ったが,約400名の参加者のほとんどが道外から来ているようだ。鳥取からは123名も来ているとのこと。

続いて埼玉の重忠節。これは唄が三橋美智也だった。私もNHK-FMの「日本の民謡」は毎週欠かさず聴いているのだが,声だけ聴いてわかる民謡歌手はあまりいない。結局この日演奏された音頭で歌い手がわかったのは三橋美智也だけだった。あの音頭の大御所,三波春夫の出番がなかったのは意外だった。

次はちゃっきり節。まさか今日ちゃっきり節が見られるとは思わなかった。昭和2年に静岡鉄道の宣伝ソングとして誕生した,北原白秋作詞,町田嘉章作曲の名曲である。昭和32年の静岡国体の開会式では2600人によるちゃっきり節の踊りが披露されたそうである。今日はそのときを彷彿とさせる感じだ。レコードは市丸さんがオーケストラで歌っている盤ではなくて,芸者さん?が合唱している盤だった。

この後さらに江差餅つきばやし,山口けなし踊りが続いた。

それにしても,日本全国いい唄と踊りがあるものである。これらはCDでも入手できないものが多いし,貴重なものを見れた。全部1コーラスずつ動画で撮った。最初は320ピクセルのFINEで撮っていたが,容量が足りなくなってきて,画質をNORMALに落とし,最後にはサイズを160ピクセルまで落とした。


ついに登場,音別の蕗まつり音頭。というか,蕗まつり音頭がここで登場するとは思わなかった。出るとしたらこの後の管内郷土芸能祭のほうだと思っていた。
全日本民踊指導者連盟全国大会のトリでの登場である。先の旅行記でわたしは蕗まつり音頭について「日本にもこんな素晴らしい踊りがあったのかという驚きと,そんな踊りが音別にあったということの二重の驚きである」と感想を書いたが,その考えが間違っていなかったということを確信できた。


道民芸術祭 第27回釧路地方郷土芸能祭


しばらくの休憩をはさんで,11時15分,郷土芸能祭の開会。


先生方は私服に着替え,お食事。


川湯ばやし
川湯小学校児童による実演。福井県から持ち込まれた郷土芸能で,昭和46年に保存会を結成。観光客の安全祈願と大自然への感謝の気持ちが込められている。


標茶音頭
昭和60年に開基100年を記念して制作。しかし10年も経つと町民からも忘れ去られ,踊れる人もほとんどいなくなったことから保存会が結成された。歌い手は誰かわからないが,たしかにこれはちょっと町民には浸透しないだろうなと思うようなさえない歌だった。「北は知床,南は釧路」と歌われているのだが,弟子屈の人は気を悪くしないだろうか(南が釧路なら北は弟子屈だろう)。


時雨白糠
白糠は駒踊りかと思ったら時雨白糠だった。昭和8年に開村50年を記念して歌詞が募集されたもので,昭和54年に時雨白糠音頭として振り付けがなされた。しかし踊れる人がほとんどいなくなり幻の芸能と言われていたところ,平成3年に保存会が結成された。
これはひどい。ゲテモノと言うべきだろうか,もう夜もかなり更けて,みんな酒が入ってべろんべろんにならなければ踊れないような,聞いているだけで気が滅入るような音頭だ。藤本二三吉と赤坂小梅を足して2で割ってそれを音痴にしたような,こういう魂を吸い取られるような声が出せる歌い手というのもすごい。誰なんだろうか。


当別獅子舞("当"は金へんに当)。
弟子屈町奥春別地区には明治32年に富山県から入植者があり,それ以来100年以上の歴史を持つ郷土芸能である。今日は奥春別小学校全校児童による発表。「ハイカラ」「ハルコマ」「カタナ」「チクチク」「ミヤニシ」「カワベラ」という踊りが披露された。それぞれの踊りの前に児童が交代でマイクを持ってその踊りの意味を説明するのだが,みなガチガチに緊張していた。400人もの人の前で話すのなど初めてだろうから,そりゃそうだろう。わたしがこの小学校の児童だったら登校拒否になっていたかもしれない。
しかし,日本人であるならば子供の頃にはこういう伝統芸能を身につけるべきだと思う。しかし私は子供の頃,いっさいこういう伝統芸能と関わりを持たなかった。それがずっと劣等感になっている。


再び登場,音別蕗まつり音頭
蕗まつり音頭には輪踊り用とステージ用の組み踊りの2パターンがある。組み踊りはブラスバンドでいうドリル演奏のようなもので,プロでなければ踊れないものだ。写真で見ても動きがピシッとそろっている。他町村の踊りとは歴然とした格が違いがある。
詩も良い。
「蕗は太ぶき ドトント ドントネ
音別名代の蕗林
ソレ 見やんせ来やんせ遊ばんせ
蕗をかざして踊りゃんせ
エーエー 蕗のまつりだ まつりだヨーコリャ
ポックリ ポックリ コロコロポックル みな踊れ」
(後半は音源からの聞き取りのため誤りがあるかもしれない)
歌い手も伴奏もいい。今じゃ音別は過疎の町だが,昔は炭鉱もあったので贅沢にお金をかけてレコードを作ったのだろう。最後の「ポックリ ポックリ コロコロポックル」あたりに来ると涙が出てくる。


続いて「ディスイズ音別よいところ」。今日は全国の踊りの先生が集まっているだけあって,よさこいソーランのような下劣な踊りは一切ない。名前に英語が入り1995年制作という新参ながらも,こうした緊張感のある場で踊れるこの音頭はたいしたものだ。昔の踊りを保存するだけでは寂しい。今後もこういう品の良い音頭が生まれていってほしいと思う。


郷土芸能祭の最後は弟子屈音頭。こちらは地元だけに人数で勝負。昭和28年に新弟子屈小唄として制作されたもので,唄は初代コロンビアローズが吹き込んでいる。北海道を代表する観光地らしく,なかなか風格のある音頭だ。

郷土芸能祭は12時30分で終了。こんな機会でもなければ見ることのできない郷土芸能をいくつも見れて,今日は本当に来て良かった。


交流会

15分の休憩をはさんで,地元の参加者と民踊指導者連盟の交流会が始まった。


先生方も洋服に着替えたらただのおばさん,というかおばあさんだ。割合にしておばあさん70%,おばさん28%,お姉さん1%,おじさん1%ぐらい。

蕗まつり音頭,標茶音頭,時雨白糠と地元の音頭を皆で踊り,今度は民踊指導者連盟北海道支部の人が段に上がる。

秋味音頭,こがたき音頭,古平鱈釣り節,ソーラン節と立て続けに北海道の音頭を踊る。場内の活気も最高潮に達し圧巻である。
こがたき?音頭はイヤサカサッサが含まれていたからたぶん秋田のほうから伝わったのだろう。北海盆唄が全道に広まったのは戦後のことだから,昔は開拓者が郷土から持ち寄ったこうした音頭がお盆に踊られていたのだろう。鱈釣り節はオーケストラ伴奏で非常にゆったりとした調子のスケールの大きな曲だった。北海道の民謡といえば北海盆唄とソーラン節,江差追分しか知らなかったが,まだまだいい唄がたくさんあるものだ。


最後は,民謡歌手が登場して生で北海盆唄を歌った。


13時50分。閉会式
「皆さん,本当に,踊って踊って踊りまくりましたね」と挨拶。本当に今日だけでも9時から5時間近く,踊りっぱなしだった。若い人でもこれだけ踊ったらばててしまうだろう。休み時間にも踊っている人がいて,みな本当に踊りが好きなようだ。


台風一過の雲ひとつない青空。先生方はバスで摩周湖観光に向かっていった。


川湯温泉

私は川湯温泉に向かう。弟子屈まで来て川湯温泉に入らないで帰る手はない。


川湯温泉街にうまい食事屋はないというのが定説だが,まずは挑戦と思って適当に食堂に入ってみた。ハエがぶんぶん飛んでいる昔ながらの店だったが,悪くはなかった。


それでも,北海道では珍しく,ホテルの外で散策を楽しめる温泉街を持っている。


御園ホテル
昨年は毎週のように川湯温泉に通って,毎回違う温泉旅館に入っていたが,最近はたまにしか来ないのでどこか1か所となればやはり御園ホテルである。「本日満室」とのことでなかなかの商売繁盛だ。
まだ時間が早いので宿泊客はいない。それでもここの風呂は日帰り客にも人気があるので昼間でも入浴客が結構いるのだが,今日は珍しく5人くらいしか入っていなかった(他の旅館では100人入れる大浴場を昼間は独り占めできることもしばしば)。
先日pH=1.2という世界一の酸性泉の玉川温泉に入ったが,あれはやはりきつすぎる。pH=1.9の川湯温泉ぐらいがちょうどよい。温泉の気を体にしみわたらせようと露天風呂と内風呂を行ったりきたりしながら1時間以上湯船に浸かっていた。


ホテルを出るとき,摩周湖観光を終えた民踊の先生方が到着した。やはり先生方は御園ホテルに泊まるのだ。御園ホテルならきっと満足してくれるだろう。帰ったら弟子屈のことを宣伝してほしい。


本日の硫黄山。


期間限定動画(掲載終了しました2004.2.14)

蕗まつり音頭1番
輪踊り編(11.0MB)
蕗まつり音頭2番・3番
ステージ編(17.5MB)
インターネットエクスプローラの場合,右クリックで「対象をファイルに保存」後,Ouick Timeでご覧ください。(掲載終了しました2004.2.14)

北海観光節旅行記小さな旅行記 2003.9.14