北海観光節小さな旅行記コレゾ旭川

北海道護国神社

師団の中枢部にやってきた。

撮影方向L。整然と区画された街路の中で,妙な存在感を放つ斜めの道路は,師団司令部の跡である。

「第七師団司令部著御」

 

撮影方向M。師団司令部跡には自衛隊の官舎が建ち,門柱だけがそのままの姿で残っている。門左手の松は上部が失われているが,司令部があった頃のものだと思われる。

撮影方向N。騎兵第7連隊の覆馬場は何棟もあったものが1棟のみ残っており,あさでんの車庫に利用されている。

 

撮影方向O,北鎮小学校。名前からイメージされるとおり,師団の軍人・軍属の子弟のために設けられた私立学校が起源で,明治44年に公立化されている。


旭川行在所著御(旭川偕行社)

撮影方向P,中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館。もとは明治35年に陸軍の外郭団体・偕行社が建てた社交場で,天皇行幸の際には行在所(あんざいしょ=行幸先での仮御所)になった。国の重要文化財に指定されている。戦後しばらく放置されていたが,昭和43年修復され,旭川郷土博物館として使用された後,平成6年に現在の美術館になった。私が入館したのは昭和61年,小学4年の社会見学の時だが,そのころから彫刻がたくさん展示されていた。

春光園15:01発→護国神社15:13着 あさでん 花咲・末広線

平成11年に旭川電気軌道の春光営業所を分社化して設立された「あさでん」のバスに乗って,護国神社に向かう。

新旭川駅につながる妙に広い6車線道路。

北海道護国神社

 

参道には最近樺太国境標石が設置された。そもそも旭川に師団が置かれた第一の目的はロシア対策であり,日露戦争以来の英霊が眠っている境内に樺太のモニュメントが置かれているのは意義深いことなのだろう

老樹が鬱そうと茂る境内。もとは第7師団の管轄で北海道招魂場と呼ばれ,昭和14年に北海道護国神社と改称された。境内の森厳さ,社殿の壮麗さは東北・北海道随一とも言われており,初詣客数は県社格の上川神社を凌ぐ。毎年例大祭に合わせて行われている「北海道音楽大行進」は旭川を代表するイベントになっている。

境内にある平成館。もともとは昭和9年に北鎮兵事記念館として建てられた施設で,靖国神社の遊就館と同じく,当時流行していた「帝冠様式」のデザインをまとっている。展示物は政治的な配慮により,戦後駐屯地内の北鎮記念館に移された。

  「師団通ノ夜景」(現在の平和通買物公園)

駐屯地の内部にあり,一般市民は利用しづらかった北鎮記念館だが,今年6月,護国神社の向かいに移転オープンする。約4億円をかけて新築された記念館は旧陸軍の弾薬庫をイメージしており,前庭の外灯は師団通りのすずらん灯を模している。しかし,私は一生この記念館には入らないつもりでいる。小学校の頃から,学校でも家でも毎日戦争の話ばかり,戦争の話はもう嫌だ。

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