恐山に思う〜建築を学ぶ学生として

恐山は生半可な気持ちで行ってはいけない厳粛な霊場なのか,それともテーマパークのように俗化しているのだろうか,行ってみるまでわからなかった。
実際はそのどちらでもなく,今までに体験したことがない観光地だった。考えてみれば理屈なしに心から感動したのは久々な気がした。

劇的な体験


恐山は入場券を買って総門をくぐると正面に山門,地蔵殿,両脇に本堂や宿坊があるが,このあたりはよくある神社・仏閣と大差なく,恐山の真髄ではない。恐山の真髄は,硫黄臭が漂い地熱で草も生えない地獄巡りコースにあると思う。ここには自然の地形を生かして高いところに地蔵尊を立ててあったり,要所要所に御堂があり,道の脇には子供が手に持つようなかざ車や,参拝者が積んだ石の山が,霊場たる雰囲気を作っている。この雰囲気には理屈なく感動した。初めての体験だった。

私は大学で建築を勉強するようになってから,建築が果たすべき役割,特に観光における建築の役割について常々考えてきた。自分が勉強していることを正当化するためにも,建築が観光地をつくっているのだと自分に言い聞かせるいっぽうで,自分自信,建築そのものに感動した経験がないことに不安を感じていた。

恐山を訪れて,ある意味悟りを得たように思う。やはり建築が観光地をつくっているのではない。山門,地蔵殿など建築としては立派だが,それ自体に魅力はない。出雲大社や伊勢神宮も参拝したことがあるが,建物自体に感銘を受けたのではなかった。しかし,建築はあってもなくてもよいというものではなく,恐山の雰囲気を作るのに欠かせない要素のひとつである。その1つの要素としては,立派な地蔵殿も,簡素なお堂も,道端の石積みもかざ車も,価値に差異はないと思う。仮に恐山にこれらの要素が何もなく,ありのままの自然だとしたらこれほど感銘を受けることはなかったであろう。建築は場を提供する裏方なのだと確信した。

しかしながら建築家たちは,あたかも建築が人を感動させる力を持っているかのような,自己主張の強いデザインをし続けている。そしてわざわざ説明しなければわからないような難解なコンセプトを押し付けてくる。周囲の自然その他の環境については考えているにしても,それを建築の支配下に置こうとしている。建築がいくら頑張っても,自然から人間が受ける感動には勝てないことを早く知り,場を提供する裏役に徹するべきだと思う。風光明媚な観光地に奇怪な建築が建てることは,人間から感動する機会をどんどん奪っていく取り返しのつかない行為である。

温泉入浴施設を例として


恐山には「冷抜の湯」や「古滝の湯」という共同浴場があり,入場料を払えば誰でも入ることができる。かつては混浴だったそうだが,今は男湯と女湯に分かれている。この温泉に入浴したこともまた衝撃的な体験だった。

建物は簡素なヒノキ造りで浴槽が2つあるだけで洗い場も何もない。管理人もいない。脱衣所も建物の片側に棚があるだけで,浴場との間に仕切りはない。だから盗難の心配もないのでコインロッカーもない。お湯からは湯気が立ち上っているが,建物は越屋根がついているので湯気は天井からどんどん抜けていく。だから換気扇もないので静かだし,窓から外の空気が入って来て大変気持ちいい。木の床は黒光りしてぬるぬるしているが,不思議と不潔感はない。お湯は少し汚いが,いかにも薬効がありそうな本物の温泉だから満足である。

このように全て簡素な中にも十分満足し得るものがあり,近年よくある保養センターの立派な建物はどうして必要なのだろうかという気がしてくる。「盗難注意」の張り紙があちこちに張ってあって貴重品はコインロッカーに預けなければならない脱衣所,換気扇をいくら回しても息苦しい大浴場,汚れて見苦しい白いタイル,ぬるぬるで滑ってしまう床…,どれをとっても恐山の温泉にはかなわないのではないか。

最近の温泉保養センターの方向はややずれていると思わざるを得ない。恐山に理想はあるのだから,これから方向を修正していくのも無理な話ではない。ただ,恐山には他には真似できない特異な自然環境があるのも確かである。しかし,保養センターを作ろうとする人たちは,あまりにも安直に(人為的に)快適さ・便利さを得ようとしているのであって,もっと周囲の自然を見る目を持って,その自然の力をいちばんよく引き出す方法を考えるべきである。

立派な施設を作らなければ儲からないというのは間違いである


観光は一大産業であり地域新興に大きく寄与していることは私も十分承知しており,そのお役に少しでも立てばということでホームページを作成しているのである。観光地で儲けるためにはいわゆるハコモノが重要であって,観光地は競うようにして豪華な施設を建設しているように見えるが,恐山を訪れて,これは全く無駄なことだと思うようになった。

私はどちらかといえばケチなほうで,お土産を買うことも少ないが,恐山では当初予定していた研究室と友人向けに加えて,家族用と自分用にもお土産を買ってしまった。お土産を買うことは地域の振興に明らかに貢献しているが,恐山にはお土産を買いたくなるような雰囲気がある。それは決して建物が立派だからではない。ちなみに,売店で売っているお土産は恐山オリジナルのものが多く,青森県ならどこでも買えるようなものは置いていなかった。東京や大阪の業者に作らせたお土産よりも,地元で作ったお土産のほうが地域の振興に貢献することもまた明らかだろう。

立派な施設を作るのが建築家の仕事だと考えるのもまた間違いであろう。今の建築家は安直に成果を得られる仕事に没頭しているのであって,むしろ恐山に見られるような,歴史や自然に調和した建築を考えることのほうが高度な思考を要する。そうした仕事に対しては,観光業者などの施主も,十分な報酬を与えるべきである。


以上,人によって考え方は異なるだろうが,私はこう思ったということを正直に書かせていただいた。恐山で得た経験を心の支えにして,これから建築の仕事に携わっていきたい。

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