北海観光節旅行記旅ならば東北

一日市盆踊り

2003年8月20日(水)

旅行記は函館から始めることにしよう。今日は一日市盆踊りを見て秋田に泊まる。

函館15:40発→青森17:37着 特急スーパー白鳥28号

スーパー白鳥は初めての乗車。

青森18:09発→八郎潟20:38着 寝台特急あけぼの

上野行きの寝台特急に乗り換え。寝台列車だが,4号車は羽後本荘まで指定席特急券で乗車できる。ほぼ満席だった。寝台の下段が3人がけの座席となり,1つのボックスに6人が向かい合わせで座る。わたしは進行方向に向かって中央の位置に座る。隣にはお爺さんとお婆さんが向かい合わせで座っている。知り合ったばかりらしいが,戦友会のこと,樺太引揚,橋本総理から懐中時計をもらったことなど戦争の話で盛り上がっている。お年寄りも世代交代が進んでいるが,この人たちは本物のお年寄りだ。向いには40代くらいのバリバリのビジネスマン。大きなトランクケースを抱え書類のチェックに余念がない。ときおり携帯電話が鳴って席を立つ。もう一方の隣には自分の世界に入って漫画雑誌を読む学生。その向かいにはやや疲れた感じのお坊さん。いろんな人生ごちゃ混ぜの車内である。

わたしはといえば,さっきまで仕事をしていたこともあり,いまいちまだ旅をしているという実感が沸いてこない。夕食時となり,青森駅で買った駅弁を膝の上で広げる。フラッシュをたいて弁当の写真を撮ったが,そんなことは周りの誰も気にしない。

弘前,大鰐温泉とこまめに停車していく。車窓からはゆったりとした足取りでホームを歩く人の姿が見える。シーンとした車内に駅の発車メロディーが聞こえてくる。ああ東北に来たんだなと思う。

碇ヶ関に停車するとお婆さんが「碇ヶ関といったらあの人じゃない,お相撲さんで体バシバシ叩く人」と言った。名前は思い出せないようだったが,その後30分もしてから「思い出した,高見盛」と言った。実際高見盛は碇ヶ関の出身ではなく,青森県出身であることと東関部屋の所属であることがごっちゃになったのではないかと思うが,高見盛のファン層の広さを知った。お年寄りにはまだまだ相撲なのだ。
お婆さんは秋田県の出身で今は網走に住んでいるとのこと。今回は実家が家を新築したので20何年かぶりに帰るそうだ。今日はオホーツク,北斗,白鳥と乗り継いできたらしい。

 お婆さん:「白鳥といえば昔は上野行きだったじゃない」
 お爺さん:「そうだ,青森から大阪行っとったやつな」

話が噛み合っておらず,わたしもお婆さんの勘違いかと思ったが,調べてみると上野行きの白鳥も過去には存在したらしい。

 お婆さん:「おじさんとこの米,今年のあんばいどうだい」
 お爺さん:「いまはパンやメンもあるから戦時中のようなことにはならんだろう」

車内販売のワゴンがやってきた。売り子さんは北海道のツインクルレディのような気取りもなく,実に親睦的だ。お爺さんお婆さんは売り子さんとしばらく話すと,曾孫へのお土産といってまんじゅうを何箱も買っていた。
お婆さんは「ワシはヒガシで降りる」と言っていたが,結局東能代で降りた。東能代のことを地元ではヒガシと呼んでいるらしい。20何年かぶりの帰省だというのに網走から列車を乗り継いできちんと目的地の駅で降りる。昔の人はやはりすごい。そして,20何年前とほとんど変わらぬ姿で走り続けているこの列車もすごい。


八郎潟到着。下車したのはわたし一人。

一日市盆踊り

盆踊りならば東北

中でも秋田県には全国に知られる盆踊りが多い。一日市(ヒトイチ)盆踊りは秋田三大盆踊りの一つである。

駅前はまっくら。事前に調べたところでは駅からそう遠くないところで盆踊りが行われているはずである。

駅からまっすぐ歩いて大きな道路に出て,右左を見渡してもそれらしい雰囲気がまったくない。まさか中止?
いったん駅に戻る。駅にはチラシが置いてあった。しかしやはりいま間違いなく盆踊りが行われているようである。チラシの地図を頼りに歩いてみる。


だんだんと祭りらしい雰囲気になってきた。しかしあまりにも寂しい。本当にやっているのだろうか。

踊ってる。いきなりすごいものを見てしまった。互いの顔も見えないような薄暗い中で謡いながら踊っているのだ。

わたしは本物の祭りというのは「拡声器を使わないこと」,「赤や緑の派手な照明を使わないこと」が条件だと思っているが,ここでは遠くから聞こえる太鼓の音だけで,みな自分で謡いながら踊っている。これは本物だ。

わたしは盆踊りを見るのは今日が初めてに等しい。

ハアー盆が来たのに
踊らぬコラ人はヨー
木仏(キブツ)ナー木仏金仏(カナブツ)コーリャ
ソレサナー 石仏(イシボトケ)ヨー (「北海盆唄」より)

北海道にいながら北海盆唄は踊ったことも見たこともなく,こども盆踊りも踊った記憶がない。たぶん3歳か4歳の頃には踊っていたのだろうが,5歳の夏に大病をしてその後2年間踊ることができず,結局それから踊ることはなかったのだ。それでも見物には行っていたのだが,子供の部の終了時に配られるお菓子だけもらって帰ってきた。家に帰って寝床に入ると開け放した窓から北海盆唄が聞こえてきて,それはかなり夜遅くまで続き,子供が立ち入ってはいけないような怪しい雰囲気を感じたりもしていた。

わたしは北海道人であるとともに,日本人でもある。日本人であるからには盆踊りというものを一度見ておきたかった。

会場中央では太鼓と笛の演奏があったが,踊りの輪は南北250mにもなり,端のほうに行くとほとんど音が聞こえない。

一日市盆踊りは仮装盆踊りである。

会場は観客よりも踊り手のほうが多いくらいで,観光客はほとんどいなかった。フラッシュを炊いて写真を撮る人も皆無だった。今日が最終日だということと,花輪ばやしと重なっているということもあるかもしれない。


正統派おけさスタイル。

洋装もあり。

 


古典的仮装

普段着でも自由に参加できる。

踊りには「でんでんづく踊り」と「きたかさ踊り」と「三勝(サンカツ)踊り」があり,順々に何度も踊られる。「きたかさ踊り」は「きたさか きたさか きたさかさ あら いやさかさっさー」という掛け声が耳に残った。北海道の民謡にも 「イヤサカサッサ」が入っているものがあり,恐らく秋田県から開拓に入った人たちが郷土の唄を持ち込んだのだろう。

「三勝踊り」は激しい動きの「きたかさ踊り」「でんでんづく踊り」とは対照的に,静的で動きがピタリと止まる瞬間がある。こちらのほうが踊るほうとしては疲れそうだ。こちらにも「明日から田んぼのいね刈りだ」とか「小束にからげてドンとなげる」など端唄「かっぽれ」で聴いたことのある節が入っていた。レコードのない時代に,同じような詞が日本のまったく違う場所で唄われているのは興味深い。

いずれにしても,これらはそうとうに古い唄である。それが証拠にこれらの唄は中音,低音のみによって唄われている。現代の歌謡曲は歌詞の最も重要な部分に高音が使われるわけだが,能の謡曲や仏教の声明ように古い唄には高音が使用されない。民謡というと古くからあるように思われるがその歴史は意外に浅く,いわゆる民謡というジャンルは昭和初期に赤坂小梅が全国の俚謡(りよう)を独自の味付けをしてレコードに吹き込んだことにより確立されたものであり,それらは歌謡曲に近い音域を持っている。その意味で,一日市で謡われていたのは民謡以前の民謡という趣が感じられ非常に新鮮な印象を受けた。

 
よさこいソーランウイルスがここにも繁殖していた。


いちばん印象に残った「八中バレー部みつばちハッチ」。謡い声が元気良かった。


男子部はやる気なし。

しかし,子供からお年寄りまで幅広い年齢の人が参加しているのは素晴らしい。踊りの「保存会」のようなものは結成されておらず,みんな自然体で盆踊りに参加し,踊っている。数百年前から続く唄と踊りがいまの時代にもこれだけ生き生きと受け継がれている盆踊りというのも他にはないだろう。この盆踊りを見れただけで今回の旅行にきた価値があったと思う。

八郎潟22:34発→秋田23:05着 奥羽本線秋田行臨時普通列車

一日市盆踊りのために増発された臨時列車である。車内はがら空きで,数少ない乗客は,おばさんグループと少年達の2つの層からなっていた。おばさん方は純粋に踊りが好きで秋田のほうから見物に来たのだろう。少年たちは互いに知っているわけでもなく何人か乗っていたが,何でこの列車に乗っているのだろうか。

本日の宿はアキタシティホテル。4月の観桜旅行に続いての利用で,今日から2連泊である。素泊まり4200円と,ちょっと不安になるくらいの安さだが,シティホテルと名乗っているだけあってそれなりの格調があり,必要にして十分なホテルなのだ。

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