北海観光節旅行記旅ならば東北

むらやま徳内まつり


山形新幹線村山駅。かつては楯岡駅と名乗っていた。

わたしが徳内まつりを知ったのは今年の6月のことである。洞爺湖温泉で全国会議が開かれ,夜の席で村山市役所の職員とご一緒したのである。話の中で「トクナイ」という言葉が何度か出てきた。「トクナイトハナンデスカ?」と聞くと,徳内まつりのことであり,村山出身の探検家・最上徳内に由来するものだという。そのときはまさか実際に徳内まつりを見に来ることになるとは思わなかったので連絡先も聞かなかったが,惜しいことをした。


しかし,ホームページにも掲載されていたこのポスターを見た瞬間,これは見る価値のない祭りだと思った。で,一度は徳内まつりは取りやめて安家洞に向かおうと思ったのだが,先に書いたような理由でやはり見に来ることにしたのだ。

徳内ばやしというのは1994年に生まれた新しい踊りで,北海道・厚岸の厚岸ばやしの影響を受けているとのこと。北海道の文化が東北に逆輸入されたという珍しいケースである。東北では珍しい斬新な踊りということで若者の参加者が多く,年々盛り上がりを増し,参加団体はこの日のために一年中踊りの練習に励んでいるそうである。

やってる。バスの中からも雰囲気は察していたが,これはまるでよさこいソーランである。最悪だ。おばさん方はガラの悪い暴走族のような格好をし,ヤマンバのような化粧は吐き気を催すくらいに気味が悪い。

山車もどこかの街宣車のようでまったくの俗悪趣味である。

それに拡声器が張り裂けんばかりのやかましい音,ソレソレソレソレという男の汚いだみ声,安直な鳴子。夜にはさらに赤や紫や緑のディスコのような照明が加わりそうだ。北海道のまつりの悪いところだけを真似したようである。

わたしがいちばん嫌いなのは機械の力に頼ることである。まず拡声器を使うのが良くない。拡声器でいくら音を大きくしてもただやかましいだけで,毛馬内の太鼓のような迫力には至らないのである。

囃子(はやし)というのもこの町には合わないのではないか。元来,農耕民族に適した踊りは4分の4拍子の音頭であり,4分の2拍子の囃子は海側の地方に多い。豊穣な平野か広がるこの地方では,やはり花笠音頭のような優雅な踊りのほうが似合うと思う。

毛馬内盆踊りのところで「形」ということを書いたが,形は容易なことでは崩れぬ強さを持っている一方,形を支えてきた共通の価値が通用しなくなったとき,形に秘められた意味が失われ形骸化してしまうという弱さも持っている。いま,札幌を発生源とするよさこいウイルスが東北にも蔓延して伝統芸能がどんどん消失しているのは,形が通用しない時代になってきたということかもしれない。

もちろん形を守るだけでなく,新しいものを取り入れて発展させることは重要だと思うが,これは非常に難しいことだと思う。音楽にしてもそうだ。純邦楽と洋楽の融合が成功した例というのは市丸さんの「三味線ブキウギ」以外にわたしは知らない。作詞:佐伯孝夫,作曲:服部良一で発売から半世紀以上を経ていまなお歌い継がれる名曲である。しかしこれは市丸さんがあの姿であくまでも邦楽の形を崩さずに唄っているから良いのであって,いまの演歌歌手が唄っても気持ちが悪いだけだ。

踊るアホウに踊らぬアホだよ 同じアホなら踊らにゃ損だよ 「三味線ブキウギ」より

踊らないで文句ばかり言ってるわたしはたしかにアホである。

 

しかし,若い人はそれなりにさまになっており,衣装も年配者よりむしろシンプルである。踊りはパレード形式に踊り続けるのではなく,場所を移動しながら一定の時間を空けて,曲のスタートと共に踊りを開始する。踊りは極めて激しく,踊っている間ずっと全力疾走をしているのと同じくらい体力を消耗しそうだ。一昨日見た一日市の三勝踊りも体力を使いそうだったが,それとは比較にならないくらい激しい。しかも動きはピタリとそろっており,これはそうとう稽古を積んでいると思われる。

 

衣装はみな同じだが,髪型に独自色を出していた。トレッドヘアにしている人も多かった。市内の美容院は大繁盛しただろう。人より少しでも良くしようと東京まで行って結ってきた人もいるに違いない。彼・彼女らにとって今日が晴れ舞台だということがひしひしと伝わってくる。このまつりには現代の盆踊りが失いつつあるハレの場としての意識が感じられる。

 

そして,踊り手はなぜか皆笑顔である。

 

当初,帰りも新幹線を利用する予定だったが,こんな踊りを見るために特急料金を払うのはもったいないので,出発時刻を少し早めて普通列車で戻ることにした。

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