山奥ならば岩手
いまでは放送禁止用語の類に入るらしいが岩手は日本のチベットと呼ばれている。岩手県の中でも山田線は特に深山幽谷を走る路線であり,さらに山田線から分岐する岩泉線は1日3往復しかなく,正真正銘日本一の山奥路線として全国に知られている。
しかし,岩泉線の途中,岩手大川駅からさらに谷間をさかのぼること20キロ近く,釜津田という集落がある。
釜津田のことを知ったのは約1年前である。岩手の地図を眺めていてやたらと山奥に学校があるのを見つけた。その学校はホームページを持っており,そのトップページの写真に衝撃を受けた。山また山,畑も作れないような狭い谷に人家がへばりつくようにして続き,学校があるのである。ぜひともここを訪れてみたいと思ったが,訪れるにはレンタカーを借りるしかないだろうと思っていた。
ところが今回の旅行の計画を立てる段階で終着駅...ローカルバス夢紀行という素晴らしいサイトを見つけた。岩手の中でも特にわたしが興味をもっていた地域について,路線バスの時刻と沿線の様子が極めて詳細に紹介されているのである。いままで地図を見てどんなところかと想像するだけだったから,まさに目からうろこが落ちる思いだった。
その中で釜津田へ行くバスがあることを知った。これはなんとしても行かねばならぬ。
岩泉線の列車は1日3本。そのうち2本は朝早く,現地に泊まらなければ乗ることができない。その点この列車は乗りやすいのであるが,今度は盛岡に戻っても東京行きの最終便に間に合わず,結局宿泊をしなければならない。ゆえ,全国でも屈指の乗りにくい路線といわれている。それだけにむしろ人気があり,今日もマニアの方々でボックス席は全部埋まる盛況である。
わたしも明るい時間に岩泉線に乗るのは初めてなので,車窓をじっくりと眺めたいところだが,まもなく重大なことに気がついた。
切符がないのである。車内を探しても見当たらない。どうやら切符を落としてしまったようである。
わたしはいつも切符を財布に入れているのだが,今回は行程表と一緒にしてA6の塩ビケースに入れて胸ポケットに収めていた。茂市駅のトイレで用を足したときにケースを取り出したのをはっきり覚えているので,そこでポケットに入れ損ねたのだと思う。
車掌室をノックして車掌さんに切符をなくした旨伝える。とりあえずわたしを信用してこの列車は無賃で乗せてくれるという。車掌さんには岩手大川で降りること,折り返しの列車にまた乗ること,切符は茂市駅のトイレで落としたと思われる旨を伝えておいた。
旅行も終盤に来て,あとその切符を使うのは宮古までと,二戸からJR北海道に入るまでなのでそんなに大きな損失ではないのだが,やはりこれまで一緒に旅行をしてきた切符をなくしたショックは大きく,せっかくの岩泉線も精神的に車窓見物どころではなくなった。
岩手大川駅
下車したのは地元のおじいさんとわたしの2人。しかし,これは今日が日曜日のためであり,平日ならば高校生や病院通いの人がどっと降りるはずである。以前,折り返し岩泉からの列車に乗ったときも,高校生が多数下車し,バスや親の車でさらに山奥へと向かっていったのを印象深く憶えている。
したがって,釜津田訪問は日曜日に実行しなければならなかった。現地の人と出くわさないためである。岩手の山奥は,正直言って怖い。そこで生活をしている人たちは,好奇の目を持って訪れる外界の人に対して,好感は抱かないはずである。さらに悪いのは,岩泉線に乗車する鉄道マニアの行動が,地元の人をいっそうデリケートにしているということがある。鉄道マニアの中には概してブツブツ独り言を言ったり,車内を激しく歩き回ったり奇怪な行動をとる人が少なくない。これは岩泉線で通学している高校生の精神形成に悪影響を及ぼしているのではないかと思う。また,勝手に写真に撮られたりして迷惑に思っている地元の人も多いはずだ。岩手大川で下車するというのはそういう渦中へ飛び込むようなものだから,慎重にならざるを得ない。
わたしは北海道の中でも恐らく最も山奥と思われるニニウというところを原風景のように思っているが,ニニウは訪れて単に癒されるのではなく,怖さがあり,その怖さが魅力でもある。息の詰まるような山深さ,ハチ,ヘビ,クマなど自然の恐怖,地面から感じられる得体の知れない妖気。岩手の山奥の場合,これに村落共同体の閉鎖性による閉塞感が加わる。
しかし,この「怖い」という感覚は大事にされるべきものだと思う。怖さが柳田国男の本に出てくるような伝説を生み,郷土芸能,土俗信仰にもつながっていったのだと思う。
駅前に釜津田行きのバスがとまっていた。こういう山奥ではまず人に会ったら挨拶をすることだ。挨拶をすればとりあえず相手の警戒心も少し薄れる。
「こんにちわ」と言ってバスに乗り込む。乗客は他にいなかった。いくら日曜だからといっても,乗客ゼロとは少し拍子抜けした。
運転手さんに「どちらまで」と聞かれたので「釜津田までです」と答えた。帰りは時間がギリギリなので,「帰りはまだすぐ戻ってきて茂市行きの列車に乗りたいのですが間に合いますか」と聞いておいた。大丈夫とのこと。
いきなりセンターラインのない狭い道を行く。
大川市街。大川は昭和31年まで独立村だったところで,役場出張所,診療所などを持つ立派な市街地である。
ここからおばさんが1人乗ってきた。運転士さんと一言二言交わし車内に入ってくる。わたしもとりあえずお辞儀をする。珍しそうには見られたが,にらまれたりはしなかった。
運転手さんはバスを止めて,窓から子供たちにお菓子を配ったりしている。まことに素朴な山村の風景だ。
これは思ったよりも気楽に山奥の旅が楽しめそうである。ふっと肩の力が抜けた。
おばさんはほどなく下車し,乗客はわたしだけとなった。
ウォーウォーウォーウォーと思わず叫びたくなる道。大川に沿って狭い谷間をぐいぐい進む。
途中には大川七滝という名所があった。なんとこのバスは自動放送の観光案内つきである。このバスに観光客は乗るのか。
さらに道はおどろおどろしくなる。しかし,こうしたところにも人家は点々と続いている。
道が広くなって正面に見えてきたのが釜津田中学校。
ここからバスは大川筋をいったんそれて,外山川の谷に入る。
釜津田中学校を俯瞰,大川下流方面を望む。まさに山また山。