北海観光節旅行記東京クリスマス

盛岡へ

ゲートを出て,舞浜駅に向かう。モノレールは意外と運転間隔が長く,混雑で乗り切れない恐れもあるので,歩いたほうが確実だろう。

モノレールの線路に沿って歩けば駅に着くはずだ。しかし歩いているうちに最初は石畳だった歩道が,アスファルトになり,道幅も狭くなってきた。


どう見ても,これが舞浜駅とTDSを結ぶメインの歩道とは思えない。

人生裏街道まっしぐら,今回の旅を象徴するようなクリスマスの最後である。

駅にたどり着けるのかどうかさえ心配したが,結局駅の裏口に出た。


正面改札からは喜びに満ちた顔の人たちがコンコースになだれ込んでくる。

ああ,なぜいつもこうなんだ。一人ぼっちのクリスマスは嫌だ,願わくば大群衆の一部となってクリスマスの喜びを分かち合いたい。そう思ってディズニーシーを訪れたのに,結局最後は一人置き去りにされてしまったのだ。


とりあえず予定通り22時16分発,東京行きの電車に乗ることはできた。

22時30分東京着。夕食を早めに取ったので,バスに乗る前に何か食べておきたい。夕方食べたカレー屋の隣でラーメン屋が営業していたが,入ろうとした瞬間,玄関の電気が消された。仕方なくNEWDAYSでサンドウィッチを買う。


八重洲南口。ここの駅前からは日本全国各方面への夜行バスが発車する。発車を待つ人たちが,改札前に大勢座り込んでいた。近年は寝台列車が次々に廃止され,夜行バスに利用が移行しているが,旅の始まりを演出する空間としては,あまりに貧弱ではないか。

椅子もないので,ホワイトカラーの誇りは打ち捨てて,床に座ってサンドウィッチ食べる。

 

今回の旅行では帰りの経路に苦心した。バースデー割引が12月23日までしか使えず,飛行機にしても列車にしてもまともに運賃を払わなければならないのだ。羽田−釧路間の航空運賃は33600円。これはとてもまともに払う気になれない。

そこで,寝台特急あけぼのを利用しようと考えたのだが,新潟県中越地震の影響で復旧の見通しが立たない。いちばん安いパターンは八戸行きの夜行バスに乗車,八戸からフェリーで苫小牧に渡るものだが,これはただ移動するだけで面白みがない。

検討に検討を重ねた結果,盛岡行きの夜行バスを利用することにした。


盛岡行きの「らくちん号1号」はJRバスで運行しているので,みどりの窓口で列車のきっぷと同様に購入することができる。発券に若干手間取ったが,申込書に「らくちん号」ではなくて「らくちん1号」と書いておけばもう少しスムーズにいったようである。

本日の盛岡行きは4台体制で運行。これでは寝台特急が太刀打ちできないわけである。バスに乗るときからもう周りは盛岡の雰囲気につつまれていた。東京の人と比べると,やはり盛岡の人は田舎っぽい。それが自分の田舎にも通じるところがあって,ほっとするのだと思う。

さらば東京よ,また来るまでは。しばし別れの涙がにじむ。

バスはほどなく闇の中へ。


車内は夜行バスの慣例に従って四方八方の窓が完全に目隠しされる。線路を走る列車に比べて,高速道路は光が多く安眠の妨げになるためだという。

2004年12月26日(日)


定刻で盛岡駅到着。


うっすらと雪が積もった盛岡駅。


いわて銀河鉄道に乗車するのは初めて。


花輪線直通の列車なので好摩までの乗車券を購入する。


6時59分発,大館行き普通列車。

大更駅 松尾八幡平駅


荒屋新町駅で列車の交換待ち。

田山駅 湯瀬温泉駅 湯瀬の渓谷

花輪線を通るのは3年振りである。いくつかの駅では,旧来の木造駅舎が小さな小屋に建て替えられ,無人化されていた。田山駅はかつて駅のまわりにきれいな花壇があり,若い駅員さんが丹精込めて水遣りをしていたのを覚えているが,跡形もなくなっていた。


大館で10時03分発弘前行き普通電車に乗り換え。


大鰐温泉下車。7年ぶりだが,ほとんど風景が変わっていないのは嬉しい。


これまた非常に貫禄のある大鰐市街地。


霊湯大湯。大鰐市街には共同浴場がいくつもあるが,どれも街の銭湯風である。いちおうこの大湯が最もあか抜けしている感じがした。浴室の真ん中に大きな丸い浴槽が一つ。洗い場にはシャワーもあった。お湯に特徴はない。霊湯と名乗っても,このお湯で観光客を呼ぶのは難しいのではという気はしたが,温泉があるからといって何も観光化する必要はないのである。

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