北海観光節旅行記清水沢まつり&楓まつり

田舎の人は人が集まることを,すなわち,まつりという。わたしの実家もそうだった。普通に生活していれば10人の人影が一度に視界に入ることなどなく,一年のうち350日は家族だけで黙々と仕事をし,たまに訪ねて来るお客さんが待ち遠しかった。普段は人とすれ違うこともめったにない家の前の道路に,年に一度だけ町中から人が集まるのが,仏教団による花まつりの行列だった。子どもの頃,それが無性に嬉しかったのを覚えている。

2004年の3月,普段は訪れる人も少ない夕張の清水沢・楓の両駅に,全国から鉄道ファンが集まった。しかし来年もまたやってくるまつりならば待ち遠しいが,今度のまつりはもう二度とおとずれることのないまつりである。これらの駅を毎日利用していた地元の人たちの寂しさはどれほどのものかと察するが,できるだけ多くの人が駆けつけて最後の姿を見とり,末永くこれらの駅のことを記憶に留めるのが,我々のでき得ることではないかと思う。本旅行記は清水沢駅のタブレット閉塞廃止の日,楓駅の廃止の日にそれぞれの駅を訪れた記録である。

●清水沢駅について

明治30年2月16日開業。かつての三菱大夕張鉄道の分岐駅でもあり,石炭列車で賑わった。腕木式信号機とタブレットはかつてはどこでも見られた鉄道風景だったが,昭和50年代後半以降急速に姿を消し,腕木式信号機は1995年9月以降,タブレット閉塞は1997年3月以降,清水沢駅がJR北海道で唯一の存在となっていたが,2004年3月7日をもってこれらは消えることになった。

●楓駅について

もともとの楓駅は現在の駅の約1km西側にあり,明治40年5月16日に開業している。昭和56年の石勝線開通の際,旧楓駅と旧登川駅の中間に現在の楓駅が設けられた。石勝線開業当初は新夕張−楓間に1日6往復の列車が運行され,1日200名以上の利用者があったが,炭鉱閉山による人口流出とバス・マイカーへの移行により利用者が激減,2000年3月のダイヤ改正ではついに朝の1往復のみという極限的なダイヤになった。

両日とも実家への帰省を兼ねての訪問だったため,7日は上富良野発・釧路着,12日は釧路発・上富良野着の行程になっている。また駅訪問とあわせて周辺の見どころを訪問した。

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