北海観光節旅行記モリオカの太鼓

宮古にて


1年ぶりの閉伊川。今日たどってきた道のりから見ると,大都会のように見える。この1年,わたしは何も変わっていないように思っていたが,何か成長したことがあったとすれば,川井村を見て都会と思えるようになったことかもしれない。

 
Yショップ。川井市街で唯一まともな店で,コンビニなのに野菜・肉や鮮魚のコーナーが異常に充実している。

 
陸中川井駅は棒線駅のためJRの職員は配置されていないが,委託駅員が乗車券を販売している。

陸中川井18:07発→宮古18:53着 山田線 宮古行普通列車

山田線は今日で7回目の乗車だが,初めのころの4回はただ宮古〜盛岡間を乗りとおすだけで,このように途中駅で乗り降りできるとは思ってもみなかった。山田線の真髄は川井から区界にかけてである。しかし川井から茂市の区間を乗っただけでも,やはり山田線はスケールが違うと思った。


茂市で6分間停車。ここで上下の列車がすれ違い,少し前に到着している岩泉線の列車でやってきた旅行客は山田線に乗り換える。しかし今日は鉄道ファンの姿が少ない。秘境駅ブームも一段落したのかもしれない。


7度目の宮古である。約1年前に訪れたのが,つい昨日のことのように思え,時の過ぎる早さが嫌になってしまう。

今日は宮古で花火大会が行われるという情報を,早池峰から川井村に至る過程で複数の人から耳にしていた。


しかしこれはつまり,祭りじゃないか。今日は宮古の夏祭りだったのだ。これは予期せぬイベントである。


通りにはヨサコイの軍団がいた。こんなところにまでヨサコイが蔓延していたのかと大きなショックを受ける。頼むからヨサコイはやめてほしい。早いとこヨサコイウイルスを撲滅させないと日本の文化が崩壊してしまう。

しかし「YOSAKOI宮古夏祭り」はちょうど終わったところだった。けたたましい踊りで宮古のイメージを汚さずにすんだのは不幸中の幸いであった。


本日の宿は宮古セントラルホテル熊安。フロントで花火の時間を尋ねると20時からとのこと。あと1時間ほど時間がある。実はデジカメの電池がもうすぐ切れてしまいそうなので,部屋で30分間じっとこらえて充電する。


花火の会場となる宮古港まで少年少女達と一緒になって歩いていく。中高生の少女は8割方浴衣を着ているように思われる。最近は浴衣が流行しているそうだ。わたしの妹も今年高校に入ったのだが,学校祭のとき浴衣を着ていくといってきかなかった。浴衣で汽車に乗るなんて見たことがないし,普段着慣れないものを着るもんじゃないとわたしは猛烈に反対したのだが,こうしてみると一昔前より浴衣姿が格段に多い。和服を普段着とする人がほぼ絶滅した今,日本の民族衣装である浴衣がこうして見直されてきているのは好ましいことである。

 
ホテルから20分ほど歩いてようやく会場に到着した。

花火自体は昨年大曲の花火を見ているので,正直全然たいしたことがない。


しかしここの花火大会は少し変わっていて,花火が上がっている間も皆腰を下ろすことがなく,夜店で飲み食いをしているのだ。見るための花火ではなく,夜店に花を添える花火。これも情緒があるものだ。


帰りはバスで駅前に。

今日は祭りだなんて知らなかったので料亭にでも入っておいしいものを食べようと思っていたのだが,そういうわけにもいかなくなった。駅前の蛇の目本店はやはり店を閉じている。

じゃのめ支店

それでもやはり何か食べたいと店を探しながら大通りを歩くと「ラーメン」「そば」の幟が立っていたので,入ってみた。

 
店に入ると「寿司はできませんが」と言われたが,こんなときに寿司やら海鮮丼を頼むのはいかにも観光客で野暮の骨頂。はじめからそんなものを頼むつもりはない。無難なところで「かつ丼」を注文した。

これが大正解。650円というお手ごろ価格なのに味噌汁のほか副菜が2皿もついている。カツはまったくしつこさがなく,食べ終わったときにはお腹の中に清涼感が広がるほどだった。これほど食べ心地の良いカツ丼というのは初めてだ。

店の人はお客さんが帰るとき「おおきに」と言っていた。尋ねてみるとこちらの方言だそうで,宮古弁はやはり京都の言葉に似ているとのことである。

次へ