北海観光節旅行記ディスカバー阿寒

弟子屈町図書館

川湯相撲記念館

昭和62年8月以来の入館。相撲を知らない人にもわかりやすい展示内容になっており,当時相撲にまったく関心がなかった私も,大鵬がものすごい横綱だったということだけはわかった。翌年千代の富士の連勝が始まり,友人に北勝鬨の親戚がいたこともあって相撲にのめり込んでいった。

優勝額がずらりと並ぶ。

呼出し永男(のりお)さんが作ったミニやぐら。呼出し永男さんは相撲甚句の作詞やミニやぐら,土俵づくりの名人として知られ『相撲甚句有情』という本も書いている。

8代目式守錦太夫,後の第29代木村庄之助。大鵬が所属していた二所ノ関部屋の行司さんで,大鵬が贈った装束を自ら着付けしたものだという。

大関名寄岩が川湯の相撲ファンに宛てた手紙。名寄岩は映画「涙の敢闘賞」で知られ,その人柄は私も大変尊敬している。ファンからの手紙にも自分で丁寧に返事を書いていたといわれ,
「手紙はもっとくわしく書きなさい。余り簡単で私を甘く見た,或いは安く見たなと思う。気をつけて下さいね」
という文面に優しい人柄がにじみ出ている。

川湯温泉9:55発→摩周温泉10:25着 阿寒バス 美留和線


阿寒バス川湯営業所。

川湯温泉〜弟子屈(摩周温泉)間はJRで運賃350円のところ,バスだと800円もかかる。


弟子屈バスセンター

 

バスにはバスの味がある。

役場の駐車場は摩周温泉夏まつりで賑わっていた。

弟子屈町図書館

弟子屈町図書館は蔵書数約65000冊,規模は小さいが郷土資料の豊富さは傑出している。

道内市町村史のコーナー。町村レベルの図書館としては異常なほど充実している。

弟子屈町関連の新聞記事切り抜きをつづったファイル。昭和40年代以降のものが保存されている。

スポーツ新聞まで原紙で保存している図書館はなかなかないだろう。

郷土資料は町内にとどまらず,釧路館内各市町村,十勝,根室,網走管内まで網羅しており,この市町村図のファイルには主に戦後の大判地図が年代順につづられている。簡易軌道の変遷なども一目瞭然だ。

更科源蔵展

図書館の一角で万年開催中の「更科源蔵展」。

更科源蔵さんは弟子屈町生まれの詩人・郷土史家で,北海道に関する膨大な著作を残している。

狭い図書館なのに,この展示スペースを頑なに守り抜いている図書館の心意気には頭が下がる。

ガラスケースには著名人との書簡などが展示されている。

展示物の中でも特に興味深いのは,道内各学校校歌の自筆原稿。


更科源蔵関連文献コーナー。

種市佐改資料室

受付の裏に普段はアコーディオンカーテンで閉ざされている四畳半ほどの小さな資料室がある。

資料室は半ば物置のようになっていたが,図書館の狭さを考えると仕方がない。

観光の大家として知られる種市佐改氏は元国鉄職員で,釧路観光連盟事務局長,釧路圏摩周観光文化センター資料室長,弟子屈町図書館長を歴任し,1991年に69歳で亡くなっている。阿寒,知床,流氷,丹頂という道東の観光はすべて種市氏の尽力の上に成り立っていたといって過言ではないだろう。

種市氏が蒐集した郷土資料,地図,ポスターなど膨大な資料は弟子屈町に寄贈され,そのごく一部を図書館の資料室で閲覧することができる。残りの資料は,摩周観光文化センターと町内のいくつかの学校の空き教室に分散して保管されているという噂である。

 

殖民軌道の開通を伝える記事,旧釧北峠からの写真。こうした生の資料が資料室にはあふれている。

結局,弟子屈に更科源蔵と種市佐改という2人の偉人がいたことで,図書館には希有な資料が残された。これらは町民のみならず,北海道の財産といえる。それなのに資料の多くが閲覧できない状況にあることは非常に残念である。道東のことを調べたいと思った人が,ここに来ればすべてわかるという観光博物館のような施設がほしいところだ。

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