北海観光節旅行記万博超特急

旅立ち

2005年6月3日(金)

札幌22:00発→青森5:35着 急行はまなす

およそ1ヶ月ぶりの急行はまなす。連休前夜の前回とは一転,今日は7両の所定編成で静かな旅立ちである。

久々のドリームカーである。私の前には法事の帰りであろうか,お骨を持った奥様が座り,風呂敷に包んだ骨箱を網棚の上にポンと置いた。連休や帰省の時期こそ夜行列車は若干の賑わいを見せるが,今の時代,葬式の帰りだとか,親が危篤で駆けつけるところだとか,何か事情のある人でもなければ夜行列車には乗らないのである。

前のほうには2人連れの青年が左右両方の窓側に分かれて座った。「隣に全然知らない人が来たらどうしよう」などと話していたが,隣に知らない人が来るのが列車というものではないか。

2005年6月4日(土)

函館では2時42分から3時01分まで約20分間停車する。まだ夜中なのだから寝ていればよいのに,みな目を覚ましてバリバリガチャガャと音を立ててうるさい。どうも走っているのが当たり前の列車が停まっていると落ち着かないようなのだ。車掌から「あと3分ほどで発車します」と放送がかかると,みな安心したのか再び車内は静かになった。

青森到着。

 

ホームの蕎麦屋は今朝も盛況。3・4番ホームの蕎麦屋は「men shop」,1・2番ホームは「こけし亭」という名。名前から受ける印象どおり,こけし亭のほうが客の年齢層が高い。

青森5:52発→八戸6:48着 特急つがる2号

 

野辺地駅ではツツジがきれいに咲いていた。

三沢駅を出たところで非常ブザーが作動し緊急停車。安全確認のため5分遅れで発車した。車掌から「この先回復運転に努めて参りますが・・・」とお詫びの放送があったが,回復運転という言葉はあの脱線事故以来タブーにはなっていなかったのか。

新幹線への乗り換えで賑わう八戸駅。

八戸6:55発→東京9:51着 東北新幹線 はやて2号

さすが新幹線,あっという間に東京に到着。

東京10:00発→熱海11:20着 東海道本線 特急踊り子103号

 

東京から名古屋へは,在来線なら片道5000円で行けるところ,新幹線を使うと倍の10000円かかる。それと新幹線を使っても到着時間が中途半端になってしまうことから,在来線を使うことにした。

特急踊り子は15両の長大編成だったが特急にしてはずいぶんローカルな雰囲気で,窓も空く車両だった。

東京を出発してまもなく車掌が車内改札に来たが,すんなり改札をパスする乗客は誰一人としていない。というのはみんなSuicaでとりあえず駅の改札を通って乗っているようで,車内で特急券を別に買わなければならないのだ。私は車両の中間付近に乗っていたが車掌が現れてから来るまでに15分もかかってしまった。その後も途中駅から乗客があるたびにきっぷを売りにまわらなければならないので,1両に1人の車掌がずっと付きっきりという感じで,非常に効率が悪く感じた。

きっぷを購入したら次は弁当である。今日の移動は列車の接続が良すぎて弁当を買うこともできない。だから何としてもこの列車の車販から弁当を買わなければならないのだ。車販というのも売れないときはまったく売れないが,売れ始めるとめったやたらと売れるものである。乗客一人一人お茶やお菓子を求め,既に手にパンやジュースを持っているのに車販からさらに何か買おうという人もいる。途中でポットのお湯を足しに戻ったりして,車販の顔が見えてから私のところに来るまで25分もかかった。

 
ようやく入手した幕の内弁当。

途中,先行列車の遅れにより8分の遅延が生じた。何時までに着かなければならないなどと詰め寄る乗客に対し,車掌が苦し紛れに「飛ばせば何とか着くのではないかと・・・」と答えていたが,このご時世問題ないのか。

熱海11:35発→静岡12:53着 東海道本線 静岡行普通列車

ここからはのんびりとした汽車旅である。東海道本線は日本随一の幹線でありながら駅間も長くローカルムードが漂う。いつか途中下車をしながら何日もかけて旅をしてみたいと思っている。

静岡12:56発→豊橋14:45着 東海道本線豊橋行普通列車

静岡ではパタパタ式の発車案内板が健在。この区間は昼間乗るのが初めてだ。焼津,掛川,浜松と著名な都市を通過し,約2時間の間に乗降の波が何度かあった。

 
熱海駅のホーム売店で購入した「こゆらぎ弁当」。

豊橋14:56発→15:15岡崎着 東海道本線 大垣行新快速

新快速にて2駅目,岡崎で下車。

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