北海観光節旅行記万博超特急

燃料電池バス

瀬戸日本館

 

ここは今回見学したパビリオンの中では最も充実した内容だった。群読叙事詩劇「一粒の種」は迫力があった。33人の演者が場内を縦横無尽に飛び交い,マイクを使わず肉声だけで詩を読み上げる。結局,いちばん感動するのはコンピューターやロボットではなく,人間そのものの力だ。

 

この瀬戸日本館は万博のパビリオンの中でも最も環境に配慮した建物といってよいだろう。そのメインはソーラーチムニーで,内外温度差による煙突効果で円形シアターの換気が行われている。ソーラーチムニーということは日射を熱源にしているということだろうが,それならばなぜチムニーの外壁を日射吸収率の低い白にしたのだろうか。上部のスウィングウィンドウは風の力により自然に開閉するというが,見ていた限りずっと閉まったままだった。これで本当に換気がされているのだろうか。

一方で,展示ホールにはおびただしい数の電球を用いたアートがあり,電球からの発熱で非常に暑苦しい空間となっていた。この空間はチムニーとつながっていないので空調が入っている。自然換気で空調負荷を低減させているといっている一方で,このアートは矛盾しているのではないか。

自然,自然と言っておきながら,どう見ても周囲になじんでいないエスカレーター。

ゴミは9種類に分別して捨てることになってる。分別には何がどの分類に入るのか詳しい手引きのようなものが必要になるはずだが,そのようなものはいっさいない。ゴミステーションにはゴミステーションに係員が常駐しており,ゴミを持っていくと係員が分別してくれるのだが,これでは来場者の勉強にならない。

万博の開催には大量の資源とエネルギーを消費する。それでもなお万博が地球環境にとってプラスに働く可能性があるとしたら,万博を訪れた人たちが万博での体験を通じて,日々の生活を環境負荷の少ないライフスタイルに改め,それによる負荷の低減効果が万博で消費する資源・エネルギーに比べて大きい場合のみである。それ以外の場合には万博の開催は地球環境にとってマイナスに働くことになり,開催する意義は何もない。

実際どうなのかというと,万博を訪れた観客が改心し,これからの生活を地球に優しいライフスタイルに変えていくとはとても思えないのである。勉強しようと思って万博を見学してもほとんど勉強すべきものはないし,何も考えずに訪れる観客は「万博を見た」ということ意外に何も頭の中には残らないであろう。そもそも万博というのが,最初から勉強しに来るようなものではなく,環境というテーマとは相容れないものなのではないかという気もしてくる。

岡本太郎は大阪万博の時にこう語ったそうだ。

「万博とはお祭りなんだ。……ぼくはお祭りというのは,それでどうかしよう。そのあとでうまいことをしようといったものではなくて,絶対的な消費が本質だと思う。……博覧会はいろいろな科学知識をそこで学びましたという性格のものではないとぼくは思うんだな。むしろ驚きと喜びが混然と存在し,過去の古い概念や科学知識を切り捨て,カラにしてしまう」

  

瀬戸市は瀬戸物の本場だけあって,瀬戸物のオブジェがいくつかあったが,あまり魅力的な見せ方がされていない。いちばん右の写真のモニュメント「天水皿」は約3億の制作費がかけられ本来万博の象徴となるべきものだったが,目立たないところに置かれている。

瀬戸ゲートへ向かう。

瀬戸ゲート。

ウェルカムハウス。厚い茅葺き屋根に太陽電池が取り付けられている。。

茅葺きは結構だが,太陽電池に関しては大いに疑問がある。最近価格がだいぶん下がったとはいえ,太陽電池はまだまだ高価であり,国や自治体からの補助を受けたとしてもなかなかコスト的に元はとれないものである。それでも地球環境のためになるならと自宅に採り入れる人がいるが,そもそもコストで元のとれないものが,地球環境によいのだろうか。コスト高いということは,それだけ生産に大きなパワーを要し,貴重な鉱物資源を消費しているということなのではないか。そうしたことを解説した本を見たことがないので確かなことはわからないが,太陽電池生産の段階で相当のエネルギーを消費していることは間違いない。

先の瀬戸日本館にしてもそうだが,見かけだけ環境に配慮しましたと言って置いて,実際には環境への負荷をかえって大きくしてしまっているものが世の中には多すぎないか。

燃料電池バスは25分待ち。あまり輸送力がないらしい。待っている間に郵便局の人が「飛び出すマンモス切手セット」を売りに来たので1000円で1セット購入。

 

外からは窓がないように見えるが,実は窓が細かな網になっており,ぼんやりと外が見える。非常に気持ち悪く酔いそうになったが,なぜこんな窓にしたのだろうか。

燃料電池というのもよくわからないものである。水素と酸素の反応によるエネルギーを利用するので二酸化炭素や有害なガスを出さないというのは単純明快だが,そもそも水素と酸素を製造するのにどれだけのエネルギーを消費しているのか。その辺の説明がされていないのでわからないのである。

機械でも建物でも,環境への負荷は,製造,運用,廃棄のトータルで考えなければならないのに,時には製造コストだけ,時には運用エネルギーだけというように部分で切り取った形でしか議論されないことで,環境問題がわからなくなってしまっている。世の中そんなものが多すぎる。そして,部分だけ見て一喜一憂している人々も愚かである。

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