北海観光節旅行記あゝ陸の奥幾たびぞ

天台寺春季例大祭 その1

浄法寺市街から天台寺までまだ4kmほどある。

ようやく天台寺入り口までやってきた。

天台寺は八葉山,地元では御山と呼ばれる山の頂にある。麓に大駐車場が設けられ,シャトルバスが運行されていた。


さて,恥ずかしながら今回の旅行を計画するまで浄法寺に天台寺という立派なお寺があることも,瀬戸内寂聴さんがそのお寺の住職であることも知らなかった。

天台寺は東北最古の古刹で寺伝では奈良時代の創建とされ,発掘調査によっても平安時代には寺が存在していたことが明らかになっている。かつて御山には樹齢1000年の杉の大木が鬱そうと茂っていたというが,昭和28年に当時の住職と町の業者が大木1166本を切って売り払ってしまったという事件があり,一山の信仰は崩れ去った。

天台寺復興のため浄法寺町長に招かれて瀬戸内さんが天台寺の住職に就いたのが昭和62年5月。本堂も庫裡もぼろぼろ,檀家は26軒という状況の中で瀬戸内さんがまず始めたのは法話だった。4月から11月までの毎月第一日曜日に境内で青空説法を行い,毎回全国から数千の参拝客が集まっている。

今日は春の例大祭,お釈迦様の誕生を祝う花祭りを兼ねた催しが行われる。

安比川に架かる御山橋。この橋ももともとはぼろぼろだったのを瀬戸内さんが知事に懇願して名刹の参道にふさわしい立派な橋に架け替えたのだという。

桜散る参道を行く。

天台寺入り口。シャトルバスの終点でここからはみんな歩く。

参道もガタガタだったのが瀬戸内さんが来てから登りやすく改修された。

しかし登りはきつい。参拝客にはご高齢の方が多いが,この参道を登れるというのはたいしたものだ。

仁王門の前で拝観料300円を払う。


石灯籠の間を本堂へ。仁王門も本堂も国重文に指定されている。

ちょうど法話が始まったところだった。

5月15日で83歳になるという瀬戸内さんだが,ますますお元気のご様子。法話の中では「一人を慎め」という言葉が印象的だった。人に見られているからやるのではなく,一人でいるときも人に見られて恥ずかしくないような行いをするということである。日々,美しい人や物に心を奪われがちだが,その前に自分自身が美しくあらなければならないと最近思っていただけにその言葉は心に響いた。

なお瀬戸内さんは来月10日で住職を退くが,今後も月1回の法話は続けるとのこと。

約1時間で法話が終わると次の御輿行列のため消防団の人たちが慌ただしくござの撤去を始めた。今日の大祭は消防団の人たちが全面的に協力しているようである。

 

おみやげ屋でばお守りのほか,瀬戸内さんの著書やオリジナルの財布や名刺入れを販売しているコーナーがあった。

「若者!この本を読んで勉強しなさい」

と声をかけられて『奥州南部糠部三十三観音巡り』という本を買った。永正9年(1512)に糠部糠部三十三観音巡礼が創始されて天台寺桂泉観音は第1番札所とされ,寛保3年(1743)に最後の33番札所改められて現在に至っているという。

12:00〜 御神輿渡御・稚児行列

これは瀬戸内さんが住職になる前から行われている古い伝統行事である。御輿が本堂の周囲を静かに三巡する。これは南北朝時代の長慶天皇がこの町でなくなったのを祀るためのものだと伝えられ,阿弥陀経が読経される中当時の葬式を伝える意味で御輿を担ぎ,行列に参加する人たちは亡者のしるしとして額に三角の紙をつけている。

御輿に続くのはお釈迦様の誕生を祝う稚児行列。念のために書いておくと,今日が本当の誕生日というわけではなく,旧暦4月8日の誕生日が新暦でいうとだいたいこのあたりになることから,毎年5月5日の例大祭に併せて花祭りを行っているのである。私も仏教幼稚園の出身なので花祭りの稚児行列には2度か3度か参列したことがあるが,変な化粧をさせられるのが恥ずかしかったのを覚えている。

象は瀬戸内さんが天台寺に来るとき,子供たちへの贈り物として持ってきたもの。

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