北海観光節旅行記あゝ陸の奥幾たびぞ

塚山農村公園

2005年12月30日(金)

船着き場からタクシーでステーションへ。今年は大雪だとニュースでやっていたのに雪がなくて驚いたが,運転手さんによると新潟市内は積もっても10cmで,それでも今年は雪が融けずに凍ったので珍しいという。

新潟6:03発→長岡6:27着 上越新幹線 Maxとき300号

新潟からは車上の人となる。2階建ての車でカートが使えないため,体中に袋をぶら下げた売り子がやってきた。朝早いためか能面のような無表情で怖い。

長岡に着いたとき,ちょうど駅前の木立から何百という寒鴉が飛び去っていった。

長岡7:05発→塚山7:25着 信越本線 直江津行き普通列車

普通列車に乗り換え。

北へ向かう急行きたぐに。

 

新潟県越路町,塚山駅到着。

越路は新潟県中越地震で震度6強を記録した激震地である。

忘れもしない,2004年10月23日。その日19時から「今夜公開!!誰も知らないドラえもんの秘密スペシャル!」というすごい番組が放送されるとのことで,楽しみにしていたのである。

ところが放送開始直後から,地震速報の字幕がひっきりなしに流れ,19時07分,ついにドラえもん特番は中止となり,新潟県中越地震の報道特別番組に切り替わってしまったのである。

幸い新潟県に親類縁者はいなかったが,そのとき頭をよぎったのは,三波先生の銅像は大丈夫かということだった。

銅像は塚山駅から歩いて15分ほどのところにある。

新潟もさすがにここまで来ると雪がうずたかく積もっている。

三波春夫顕彰碑

三波春夫先生逝去の翌年,故郷に建立された顕彰碑。塚山農村公園の一角にある。

三波先生のファンだというと,親の影響かと聞かれるが,我々の親はビートルズの世代なので,それはまったくない。ただ,わたしが生まれるはるか前に死んだ母方の曾祖母が先生の大ファンで,公演があるというと張り切って見に行っていたという話を聞いたことがある。

先生の何を尊敬しているかというと,まず歌手である前に,学者であるということである。いまから10年ほど前に,永六輔さんが先生のことをさかんに紹介していた時期があったが,あの博識な永さんが舌を巻くほどに三波先生は博学なのだ。

日本の歴史を知り,そして自身も戦争の前線を体験されていた三波先生はまた,平和を象徴する存在でもあり,先生が歌い続ける限り,日本は安泰だと思ったし,逆に三波先生が歌えない世の中になったとしたら,それはかなり危険な世の中だと思っていた。

その意味で,地球の滅亡が叫ばれていた1999年の紅白歌合戦に,ひさびさに三波先生が出場したのはまことに時宜を得たことで,あの俵星玄蕃によって何とか日本は2000年のミレニアムを迎えることができたのだと思っている。

 

三波春夫名曲集には「チャンチキおけさ」「雪の渡り鳥」「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」のほか,地元の民謡「越路盆唄」が入っていた。朝早かったためか,ボタンを押しても音が出なかった。

顕彰碑の裏面には,寄付者の名前が彫られている。5万円以上の寄付者は三波豊和さんら親族と同じ大きさの字で名前が彫られており,こんなことなら無理してでも寄付しておけばよかった。

隣接の公民館で常時開催中の「ふるさとと三波春夫展」。開館が9時からのため,見学することはできなかった。

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