岩手県側はバス会社が変わって,岩手県北自動車の運行となる。
山肌を縫うようにして,標高を下げていく。
松尾鉱山跡が見えてきた。
今年の6月,沿岸バスの三炭周遊観光ツアーに参加したとき,参加者の方々から松尾鉱山に行くように勧められた。松尾鉱山がどこにあるのかも知らなかったのだが,アスピーテラインを走るバスに乗れば割と簡単に訪れることができると聞き,今回訪ねて見ることにした。
学習院前のバス停で下車。
松尾鉱山は大正3年採掘開始の硫黄鉱山で,かつては東洋一の生産高を誇っていた。昭和41〜42年に最盛期を迎えたが,石油精製時にできる回収硫黄に押されて,同47年に閉山となった。
緑ヶ丘アパート。昭和20年代後半に建てられた鉄筋コンクリート造4階建てのアパートで,全部で11棟が残っている。
鉄筋の暴露やコンクリートのクラックも目立ったものがなく,躯体は非常に良好な状態が保たれている。いまこれだけしっかりした建物を造ろうと思っても,逆に難しいのではないだろうか。
旧松尾鉱山中学校を遠望する。閉校後は生活学園(現盛岡大学)の施設として使われていた。
至誠寮 | 桂寮 |
昭和36年の時点で,寮12棟,浴場24,郵便局2,会館2,集会場5などがあったというが,現在はかろうじて寮が3棟残るのみ。なお,生活物資は鉱山の用度課がすべて販売していたため,一般の商店はなかったという。
松尾神社にはいまも神様が宿っていた。
独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構が管理している旧松尾鉱山新中和処理施設。硫黄鉱床から排出される強酸性水を中和する施設である。