北海観光節>旅行記>週末,僕はふらの・びえい人になりました。
2007年2月3日(土)
旅の始まりは8番ホームから。
滝川到着。朝の8時前から立ち食いそばが店を開いていたので,一杯食べておく。
最近駅でよく見かけるポスター。「列車を選ぶ人は,時を活かす人です」。いいキャッチフレーズだなと思う。
おなじみの快速列車。
島ノ下の長いトンネルを抜けると,空知川の岸辺に出た。朝日に照らされた樹氷を見ると富良野にやってきたという実感が湧く。
往年の大幹線を南下する。
かなやま湖は真っ白な雪に覆われていた。
幾寅駅到着。
「ふらの・びえい人になるキャンペーン」の各種チラシには「JR鹿越駅下車」と案内されていた。幾寅はアイヌ語で鹿が越えるという意味なのであながち間違えとも言い切れないが,案内は正確にしてほしいものである。
本日のみ運行のシャトルバス。南ふらのレンタカーの車両が使用されていた。記念すべき第1便の乗客は2名だった。列車から乗り換えたのはわたしだけ。列車からの乗り換え時間は2分しかなく,常識的に考えれば,乗り換えは無理と判断せざるを得ないダイヤ設定だ。
これが仮に10:03発だとしたら,列車の到着時刻を意識していることがはっきりわかるので,多少列車が遅れてもバスは待ってくれるだろうという安心感が生まれる。ところが,接続時間2分というのは,物理的な時間の短さが問題なのではなく,旅行者の常識として,そもそも列車との接続を考慮していないことを意味する時間なのだ。調べてみると,昨年は10:05発だったのが今年は10:00発に変更されており,なぜそうしたのか理解に苦しむところである。
バスは北岸の道道ではなく,南岸の町道幾寅鹿越線に入った。
鹿越大橋を渡る。金山ダムは昭和38年に着工し,昭和42年に湛水開始。湖底には,南富良野の開拓の祖である伊勢団体が沈んでいる。竣工式典の日には全道に散った旧住民(268戸)のほとんどが鹿越大橋の上に集まって,住み慣れた土地に最後の別れを告げた(右の写真は『富良野地方史』より)。
東鹿越の湖上にはテント村ができていた。