北海観光節旅行記中国四国右回り

杉の大杉

四国に上陸し,5時21分,阿波池田到着。今回の旅行もいよいよ後半に入った。

まだ真っ暗だが,駅前を散策してみる。広場には,畑仕事の格好をした家族が肩を寄せ合うようにして座っており,ぎょっとした。やがて人形だとわかったが,何のためにこういう人を驚かせることをするのだろうか。

 

5時半になり,みどりの窓口が開いたので,バースデイきっぷを購入した。年末の繁忙期でも,グリーン車まで乗り放題というありがたいきっぷである。

阿波池田5:58発→大杉7:06着 土讃線 高知行き普通列車

 

スーパーロングシートのキハ54形気動車。乗客2名のみで発車。

四国2度目にして,大杉駅で降りるのも2度目。駅舎が新しくなっていた。

この少し先に,美空ひばりのバス転落事故現場がある。

昭和22年4月28日のこと,美空ひばりがまだ美空和枝という名で音丸一座の巡業に加わっていたときのことである。音丸さんは,後にこう語っている。

「大杉という駅の近くにさしかかったとき,トンネルを出て,坂道を下っていったのですが,左手が崖になっていてその向こうに,駅が見えました。運転手がそちらの方をちょっとわき見したらしいのですね。目の前にいきなりトラックがあらわれて,あわててハンドルを切ったのですが,間に合わなくて,ぶつかってしまったのです。私たちのバスは,左手の崖に,横倒しになって落ちました」
「私は座席から床に投げ出されたのですが,不思議とケガをしませんでした。窓から外にはいだしました。見ると,和枝ちゃんが,血だらけになって倒れていました。バスの中から引き出して,近くの民家に運び込みました。息をしているかいないかという仮死状態でした。もう一人重傷だったのが女の車掌さんで,この人はバスの中から救い出したときは死んでいました。この車掌さんと和枝ちゃんと,二人を土間に寝かせて,むしろをかけようとしたのです。あ,ひどいことをするなと思ったとき,お母さんが,まだ死んでいない! と叫んで,和枝ちゃんのむしろをはねのけたのです。
 お医者さんが来て人工呼吸をして,やがて息をふきかえしました。右手首のところを切り,胸や,頭を強くうっているようでした。押すとゴホッゴホッと音がしました。和枝ちゃんは,文字通り九死に一生を得て,二週間くらい高知の病院で治療してから横浜に帰っていきました」
「事故の起こる前,和枝ちゃんは一番うしろの座席に坐っていて,窓に顔を押しつけて外の景色を眺めていました。そのうちに,涙をポロポロ流していたのです。どうしたのときいても,ウウンというだけで,黙ってまたポロポロ涙を流していました。どうしたのかわかりませんでしたが,和枝ちゃんて,そんな子供だったのです。おとなしくじっとしているのです。まるで,何かに耐えているような大人っぽい表情でいつも黙っているのです。あの時も何かを感じて涙を流していたのでしょうね」
(竹中労:『完本美空ひばり』,ちくま文庫,2005)

美空ひばりは療養後,事故現場近くにあった日本一の大杉に,「日本一の歌手になれるように」と願をかけたと言われている。

駅から南へ約1kmのところに,大杉への登り口がある。

 

ファンの参拝も多いようで,駐車場の料金所には,昭和27年に再び大杉を訪れたときの写真などが掲示されていた。

平成5年に整備された,美空ひばり遺影碑と歌碑。

大杉は八坂神社の境内にある。

 

「杉の大杉」は国の特別天然記念物に指定されている。地名自体が「杉」なので杉の大杉という。樹齢3000年以上といわれ,上のほうはかすんで見えないほどの大きな杉だった。

  

お土産屋はしばらく休業している様子。

 

道の駅大杉。前回は国道沿いにここまで歩いてきたが,道の駅はそのときよりかなり充実しているように見えた。美空ひばり関連グッズはテレホンカードと本1冊だけだった。

 

前に来たとき,やたらと目についた「暴力追放」の看板は今回見かけなかったが,この町はどうも殺伐とした雰囲気を感じる。コンクリートの建物は壁が黒ずんで廃墟のようだが,北海道では打ち放しのコンクリートを放っておいてもこうはならない。南国の気象条件が災いしているのだろうか。

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