神社から赤い橋を渡って,一周道路に戻る。
神社の入口にあった観光案内板によると,地蔵岳に登るロープウェイがあったとのこと。山肌に見える直線がロープウェイの跡だろうか。
大沼をほぼ一周して,お土産屋街にやって来た。しかし,対岸から賑やかそうに見えたお土産屋街は,近くに来てみると開いている店が一軒もなかった。
季節的に営業を休んでいるだけの店もあったようだが,もう何年も営業していない店も多いように見えた。いったいどうしてしまったのだろうか。
食堂関係は国定忠治にちなんだメニューを提供している店が多かった。赤城山は国定忠治ゆかりの地である。
国定忠治の衣装無料貸し出しもあった。
忠治肌ぬぎ地蔵尊。
国定忠治といえば,国民的なヒーローであり,最近も国定忠治を名乗る人物から福祉施設に善意のリンゴが届けられたというニュースがあった。しかし,私は名前を聞いたことがあるくらいで,国定忠治が何をした人なのか知らなかった。
《赤城の子守唄》も国定忠治をモチーフにしているというが,恥ずかしながら私はそのことを知らなかった。東海林太郎もまた,譜面をもらったときには国定忠治を知らず,母校早稲田の図書館に通って人物像を調べたという話には救われるところがあるが,なぜ,教科書には決して登場することのない国定忠治がこれほど国民に浸透しているのだろうか。
気になって,いろいろな人に国定忠治のことを尋ねてみると,ある年代以上では,ほとんど反射的に「赤城の山も今宵を限り」のセリフが返ってきた。調べてみると,大正8年以来,新国劇が演じてきた行友李風作『国定忠治』で,山場のセリフとして「赤城の山も……」が出てくるとのことだった。
それで,新国劇のDVDを取り寄せて見てみると,たしかに「赤城の山も……」のセリフは出てきた。しかし,この芝居を見たところで,国定忠治のことが十分に理解されるとは思えないし,なぜこれほど国民に浸透したのか,腑に落ちないところがある。