湯ノ花温泉からひたすら歩くこと,1時間と10分。前沢集落の入口に着いた。
国道から川を渡ったところに,前沢曲家集落はあった。
明治40年に,集落を焼き尽くす火事があり,再建された住宅が統一的景観を生んだため,現在まで保存されてきた集落である。住宅の多くは,平面が「くの字」に曲がった,曲家の形態をとっており,これは馬や牛が同じ屋根の下で暮らしてきた名残である。
集落には活気があり,何人かの人たちとすれ違った。明るく気さくな人たちで,私に話しかけてくれたりもした。先ほどから閉鎖的と思われる集落を歩いてきただけに,このおおらかさは感動的だった。
茅葺き屋根にできたつららと,干し柿。これぞ日本といった光景だ。
集落を流れる清水。生活用水としても使われているようだ。
集落の突き当たりに神社があった。
神社から集落を見る。
社殿。
本殿からは,雪原に何本かの踏み跡があり,それぞれたどり着いた先には,小さな祠があった。
明日の初詣に備えてか,祠のまわりは,丁寧に雪が除けられ,松の葉が供えられていた。
南会津の探索はこれでおしまい。バスで会津高原尾瀬口駅に戻る。
高杖スキー場。道路の真ん中で車を止める客,バスの中でもたもたして座らない客。運転手さんも注意していたが,どうもこの辺はたちの悪い人たちが多い。東京の人が,たまの休日で羽を伸ばすとこうなるのだろうか。
おおよそ定刻で会津高原尾瀬口駅に着いた。
会津高原尾瀬口までは,会津若松から国鉄会津線として昭和28年に開業しており,野岩鉄道が昭和61年に開通するまで終着駅だった。そのためであろう,構内には転車台が残されていた。
会津高原尾瀬口でかなりのお客を下ろしたにもかかわらず,3両編成の車内は混雑していた。この人たちはどういう目的でこの列車に乗っているのだろうか。アテンダントが,「具合の悪い方はいませんか」と回ってきた。
七ケ岳登山口駅付近。あれが七ケ岳だと,近くの人が教えてくれた。
会津田島駅到着。
ようやく,まともな食堂にありつけたので,とりあえずここで,早めの昼食をとることにした。
「年の瀬ラーメン」とあったので,どんなラーメンかと尋ねたら,普通のラーメンとのことだった。
結局「とまとラーメン(700円)」を頼んだ。この時期に,おいしいトマトなんてあるはずがないのに,「当店オリジナル」のうたい文句に目がくらんで頼んでしまった。