好みというのは,子供の頃から変わらないものもあれば,歳を重ねるごとに変わっていくものもある。
東海林太郎は,私が子供の頃から,特に印象に残る歌手の一人だった。既に故人ではあったが,当時はまだ歌番組で頻繁にVTRが流されていた。
しかし,歌を聴いて良いと思うようになったのは,この7,8年のことで,最初は股旅ものの《旅笠道中》から入ったのだが,最近になって,《赤城の子守唄》が無性に良いと思うようになってきた。
調べてみると,満鉄を退社して音楽の道を志していた東海林太郎が,《赤城の子守唄》の譜面を受け取ったのがちょうど77年前の昭和8年12月28日。正月中にこの歌独特の泣き方を特訓し,昭和9年1月8日レコードに吹き込み,売り上げ30数万枚に及ぶ空前の大ヒットとなったのである。
東海林太郎はこのとき私より1つ年上の35歳。歌手としてはかなりの遅咲きだった。初のヒットとなった《赤城の子守唄》に続き,絶頂期の昭和14年に《名月赤城山》,そして戦後の復帰作として《さらば赤城よ》を吹き込んでいる。別に私は歌手への転向をたくらんでいるわけではないが,新しい年が人生の転機になることを祈念し,東海林太郎にあやかって,今回の旅行ではまず赤城山を訪ねることにした。
年越しは,昨年大雪で断念した羽黒山で迎えることにした。そして,群馬県の赤城山と山形県の羽黒山を結んでみると,未踏路線として残っていた,わたらせ渓谷鉄道,会津鉄道,磐越西線で行程がつながることに気がつき,これらの路線を乗り継いで年の瀬の3日間,旅をしてみることにした。
参考文献 菊池清麿著:『国境の町−東海林太郎とその時代−』,北方新社,2006