北海観光節旅行記熊野古道と北リアス線

野中の一方杉

再び本宮市街を経て,バスで田辺方面に向かう。

ここで,地図上で行程を整理しておく。今朝はまず,川湯温泉からバスで発心門王子へ向かった。これは田辺への順路だが,発心門王子に着いてからは,逆行して熊野本宮方面に歩いた。そして途中,平岩口からバスに乗り,いまは野中の一方杉までワープしようとしているところである。

その後は予定を決めていたわけではないが,結果の行程としては,継桜王子,近露王子を経て道の駅熊野古道中辺路まで歩き,そこからバスに乗り紀伊中川で下車。さらに中辺路を高原熊野神社から滝尻王子まで歩いて,この日の古道歩きを終えた。

熊野川の分水嶺,小広峠をトンネルで越える。ここまで来れば,熊野古道の中辺路はかなり近いが,発心門王子と小広峠の間は国道と熊野古道がまったく別のところを通っている。ある意味では,ショートカットしてしまった発心門王子〜小広峠が中辺路の真髄ともいえる区間であるが,恐らく昨日の果無峠とそう変わらない印象になるだろうから,今日は割り切って歩きやすい部分だけを歩くことにした。

いまどき珍しい桶屋さんがあった。

「古道茶屋」は営業していない模様。国道沿いの茶屋まで「跡」になりつつあるとは,どうしたことだろう。

10時40分,野中の一方杉バス停で下車。熊野古道の代表格とされる中辺路の滝尻王子〜熊野本宮大社間のおおよそ中間地点にあたり,ガイドブックでもこのバス停を発着点としたモデルコースが紹介されていることが多い。

バス停から一方杉までは1.5kmと意外に遠い。

ゴーカートコースのような車道を上っていく。

 

名水,野中の清水。

付近には民宿も何軒かあったが,大つごもりに泊まる人はいないだろう。道路で遊んでいたのは帰省してきたお孫さんであろうか。通りかかると,挨拶をしてくれた。

野中の清水から10メートルほど上の山腹を通っているのが熊野古道になる。そこにあった秀衡桜は平泉の藤原秀衡にちなむものだという。今回の旅行で訪れた熊野と岩手は,私の中では一体のものだったが,ここに実際のつながりを見た気がした。

このあたりは中辺路の中でも見所が集中している。とがの木茶屋は,沿道で唯一現役の茶屋だが,今日は休みだった。

 

継桜(つぎざくら)王子社。水樹奈々が歌ったのはここのことだったのかと感慨にふけったが,それは「つがざぐら」だった。歌の上手さに惹かれて10年ほど前にはまったことがあったが,まさか4年連続で紅白に出るまでになるとは思わなかった。

ここは王子跡を示す古い石碑のほかに,立派な社殿があった。野中地区の人たちが地域の神社として祀っているもののようで,これが王子社本来の姿であろう。

境内には樹齢数百年を超える杉が9本あり,どれも南東方向にのみ枝を伸ばしている。これが野中の一方杉である。南方熊楠の運動によって伐採を免れたものという。

野中伝馬所跡。江戸時代に紀州藩が街道沿いに設けた役所の一つで,北海道でいえば駅逓に相当するような役割を担っていたようである。

しばらくはのどかな集落を通る舗装道路を行く。さすがにこのあたりは古道歩きの人も多く,バスを降りてから10名ほどの旅人を見た。

 

比曽原王子は,享保8年建立の石碑のみがある最も簡素な王子跡であるが,13世紀に藤原定家が参拝した記録が残っているという。

民宿いろり庵。玄関から出てきたお母さんは,ひょいと家の裏に回って何かを探していたが,あとから出てきた娘さんはお母さんを探して,眺めの良い道をどこまでも駆けて行った。

  

道端には地図にも載っていないようなお地蔵様が点々とあり,丁寧に祀られていた。

近露の集落が見えてきた。野中の一方杉と近露集落の標高差は約200mで,だらだらとした下り坂が続いた。下り坂では足が痛んだ。昨日,足場の悪い中で1000mの峠を下ったのと,靴の履き込みが足りなかったのがいけなかった。

次へ