バスは定刻でやってきた。
ここから先,熊野古道は国道から大きく外れたルートを取り,悪四郎山の山腹を2つの峠を越えて行く。熊野古道の中でも,特に古道の趣を残した区間といわれるが,やはり今日は割り切ってバスでワープすることにする。
バスには古道歩き風の若者が何人か乗っていた。まだ13時を回ったばかりだというのに,ぐったりと眠りこけていた。めったに人に会わない旅なので,たまに同志に会うのは嬉しいが,どうせならどんなに歩いたって疲れないという風の旅人に会って元気を分けてもらいたいものである。
熊野古道入り口という看板が見えたので,慌ててバスを降りた。紀伊中川というバス停で,別に慌てなくてもバスは時間調整のため,ここで7分ほど停車するのだった。
県で出しているガイドマップには「道の駅」のマークがついていたが,実際は普通のドライブインだった。凡例とみるとたしかに「道の駅・ドライブイン」として,どちらも道の駅のマークで表記されていたが,紛らわしい。
店内で売られている物産品は,先ほどの道の駅と比べると俗っぽいものが多かったが,豆や雑穀が袋で売られていた。雑穀文化の地域であるということも,岩手県の北上山地辺りとの共通性を感じる。売店では,物産品のほか,地下足袋や草刈り機の刃,鎌などが売られていた。これはどんな仕事をしている人が買うのだろうか。
時間的にもう少し熊野古道を歩くことができる。地図ではここから高原熊野神社まで1km弱で,国道沿いに案内板も出ていたので行ってみよう。
木にマジックで書かれた怪しい看板。別の場所には「熊野古道には行けない」と書かれた看板があって,写真を撮るのもはばかられる雰囲気だった。
郊外ではあるが,決してのどかではない。ある規模以上の町になると市街地の周縁部に必ず存在する,人目に触れられたくないエリアのようである。
看板に従って進んだものの,本当にこの先熊野古道につながっているのかと不安になるような道だった。
ついに道は果てたか。
と思ったが,山肌に階段が延びていた。
道は怪しいが,一応草木が刈り払われていた。階段には,コンクリートで模造した丸太が使われていた。振り返ってみると,今まで歩いた熊野古道では,このような模造品が使われているところはなかった。ここにきて,熊野古道に指定されている道と,そうでない道との格の違いを感じた。
バス停からまた高低差で250mほど坂を上った。熊野古道に近づくと棚田が現れたが,放棄されているようだった。
いま上ってきた道は,熊野古道のほうにもバス停へのエスケープ路として案内が出てきた。JRバスとあるが,2002年までは熊野本宮を中心として,田辺や新宮を結ぶ路線はJRバスが運行していた。紀伊中川というバス停の名前も,言われてみれば国鉄らしい命名である。
霧の里無料休憩所。休憩所は無人で,うらぶれた雰囲気だった。車で来たと思われる年配の男性が,「どこから歩いてきたんですか」と聞いてきたので,どう説明しようかとちょっと戸惑っていると,こちらが答えないうちに「へっへっへー」と言って去っていった。
眺めはいい。
霧の里のほど近くに,高原熊野神社がある。社殿は室町時代の建築だという。しかし,王子に比べると創建が新しいので王子社には含まれない。
それぞれの神様を祀る祠には,大きなブロッコリーやしいたけ,キャベツ,ニンジンなどが備えられていた。