北海観光節旅行記白鬚神社と沖縄・東北

石垣市街

本日の宿をとっている竹富島行きの最終便まで3時間弱の時間があるので,石垣市内を散策してみる。

八重山農林高等学校。日本最西端の高校だという。スケールの大きな校舎だった。

 

学校法人カトリック学園海星小学校。石垣島に私立の小学校があるとは驚いた。

花壇で咲いている花は,サルビア,インパチェンス,日日草,マリーゴールドなど,時期は違えど,北海道の花壇で見る花とまったく違わなかった。

コンビニのココストア。石垣島内に18店舗もある。

尖閣諸島を守る会。尖閣諸島は石垣市に所属することになっている。

宮良殿内通りに入る。

住宅を含めて多くの建物はコンクリート造だが,旧来の瓦葺木造の住宅もそこそこ残っている。それらの古い住宅は,どれも塀にすっぽりと隠れ,屋根だけが見えていた。台風が多い地域だけに,塀は風よけかと思ったが,暑さゆか家が開放的なつくりになるので,目隠しの役目が大きいと解説されていた。

宮良殿内。昔のガイドブックを見ると,石垣島では宮良殿内しか見るものがないというくらいに書いてあるが,意外なほどひっそりとした建物だった。ガイドブックでは,"みやらどぅんち""みやらどんち"と振り仮名をしていたが,現地ではメーラドゥヌズと書いていた。

一応管理人がおり,入館料を払って中に入る。どちらからと聞かれたので,旭川からと答えると,「ああ北海道から。すぐ帰るの」と,いつ帰るとも話をしないうちに言われて驚いた。たしかに島の人から見れば,観光客は忙しすぎるのだろう。利尻や礼文も,団体ツアーは島の滞在時間が数時間というのが大半である。こちらの事情はわからないが,似たようなものではないか。

今回の旅行に先立ち,柳田国男の『海南小記』,岡本太郎の『沖縄文化論』,司馬遼太郎の『沖縄・先島への道』を読んでみたが,どれもひどく慌ただしく旅をしているのである。それで本が1冊書けてしまうのだから,一介の旅行者である自分など,先島で2泊もすれば十分だろう。

さて,宮良殿内は琉球王朝時代の士族屋敷の様式をとどめた県内唯一の建物で,国の重要文化財に指定されている。しかし,建物の中に入れるわけでもなく,何か引っかけられたような気持ちになって,すぐに出てきた。

八重山島蔵元跡と米軍統治時代に設置された道路元標。代々,八重山を統治する行政庁が置かれた場所だという。石垣島より西,与那国島までの島々を八重山諸島と称し,方言ではヤイマという。

 

八重山博物館。ここはとりあえず見学をしておいて良かった。

人頭税廃止100年記念の碑。人頭税とはいかにも野蛮な名の税だが,1609年り薩摩藩の琉球入り後,首里王府が宮古・八重山の住人に課した重税である。琉球王国といえば,きらびやかな首里城ばかりが有名であるが,実態は長く薩摩藩の支配下で半死の状態にあったといい,その陰で宮古・八重山の人たちの犠牲があったことは,今回の旅行で初めて知った。

 

大濱信泉記念館。石垣島の出身で,早稲田大学の総長になった人だという。

まちなかにはおしゃれな店が多かった。

ユーグレナモール。

お土産屋はピンクの看板が目立っていた。石垣島のイメージカラーなのだろうか。

モールの中心となっているのが,石垣市公設市場。

 

そして驚いたのが,山田書店タウンパル山田。沖縄の郷土本の数は,北海道の郷土本が到底かなわないほどの多さだった。これは何なのだろうか。

石垣市のまちなかは,まったく寂れている感がないし,人口5万弱の市にしては,格段に町が大きく感じた。購買力が外に出て行きようがない離島だからこその活気だろうが,経済が地域で回ることの大事さを思った。

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