北海観光節旅行記白鬚神社と沖縄・東北

星砂浜

竹富島をどう巡るかは決めていなかった。さっき小城盛から見た海への一本道が気になったので,まずはこの道で海に出てみることにした。

いきなり驚いたのは,大きな墓である。地図に墓のマークがあったので墓だとわかったが,こういう神殿のような墓が,あちらこちらに点在しているのである。

ヤギにも驚いた。

牛もたくさん放牧されていた。昨日の夕食で出たステーキは,ここで育った牛さんだろうか。

10分ほどで海岸に出た。そこには美崎御嶽があった。

岩礁自体が聖地になっており,航海安全,海上平安を祈願する場所だという。

海岸線から100〜200メートル内側に,島を半周する道路がついている。この道路を反時計回りで歩いてみる。

安里屋クマヤの墓。首里王府から来た役人の求婚を断ったということで,それが沖縄を代表する民謡,安里屋ユンタになった。亡くなったのは1799だといい,このころの墓はまだサンゴ石積みだったようだ。

サルビアの花などを見ると,ここが沖縄であることを忘れてしまう。よく見なければ,緑の色も植生も,北海道とそんなに異なっているわけではない。

西海岸に出た。正面に小浜島,その奥に西表島を望む。竹富島では米が作れなかったので,かつてはこの桟橋から小舟で西表島に渡って稲作をしていたという。

海底電力ケーブルの引き込み塔。石垣島の火力発電所で作られた電力は,海底ケーブルで竹富島に届き,さらに小浜島を経て西表島まで送電されているという。離島はそれぞれで発電所を持っていると思っていたので,海底ケーブルで送電するという方法があるのは初めて知った。

コンドイ園地。海水浴場にもなっている。観光客の姿も増えてきたが,いま時期はさすがに泳ぐ人がいない。

猫の多い場所だった。

観光客の多くは自転車で移動しており,徒歩の人はめったにいなかった。普段,自動車で旅行している人たちにとって,自転車で島を散策するのは新鮮な体験だろうが,結局,利用できる中でいちばん早い手段を選択しようとする発想は,自動車と変わらないと思う。

島を半周する道路の南の終端まで来た。ここには星砂の浜があって,自転車がたくさん止まっていた。

みんな星砂を探していた。砂を手に取ってみたが,容易にはみつからなそうだった。

大きなハスノハギリの木の下に,2軒の素朴なお土産屋が並んでいた。

蔵元跡。蔵元とは,八重山を統治した役所で,西塘によって1524年に創設され,1543年に石垣島に移されるまでの19年間,ここに置かれていた。石垣島から与那国島に至る八重山諸島が日本史の中にはっきりと登場するのは,このころからで,日本における歴史の新しさは北海道とほぼ同じである。

その後,蔵元は石垣島に移され,昨日見た道路元標のある蔵元跡は1633年以降の蔵元跡である。今でも竹富島は,人口の多い西表島を差し置いて,竹富町の主島と目されているが,八重山史の草創期においては,八重山諸島の中心だったわけで,その誇りが竹富島憲章につながっているのだろう。

道端には,野の花,花壇の花を含めて,いろいろな花が咲いていた。見慣れた花も多いとはいえ,真冬にこれだけ咲いているというのはやはり南国である。

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