北海観光節旅行記白鬚神社と沖縄・東北

沖縄本島へ

17時55分,呼んだタクシーで石垣島鍾乳洞を発つ。3日間でそれなりに石垣島を見ることができたと思う。

運転手さんはまず飛行機の時間を訪ね,「19時」と答えると,それからミニ観光案内が始まった。

まずは「お墓の話をしますか」と言って道路際の墓地に車を停めて解説が始まった。お墓は一様に大きいが,これは土葬のためであるという。3年または7年経過した後に,洗骨をするそうだ。墓の前では正月に親戚が集まって宴をするのが習わしで,逆にお盆は墓に参らないという。墓の形は大きく分けて3種類あり,好きなものを選べるとのことだった。

石垣島では時期を分けて3回の正月があるという。漁師さんのための正月,お母さんのための正月と,休みを分散させる目的だったが,最近はお母さんのための正月をやらなくなったそうだ。

それから,サトウキビの話,パインの話,米は岩手の「ひとめぼれ」が作られているという話など,いろいろ聞いた。振り返ってみると,3日目の沖縄にして,地元の人から話を聞いたのは初めてだ。たまにタクシーに乗ってみるのも良いなと思った。

18時25分空港着。変更後の出発時刻の30分以上前に着いたので,悠々と自動チェックイン機で手続きしようと思うと,取り扱いができないと表示された。

窓口に行くと,係員が顔をひきつらせて待っており,名前を名乗る前に「○○さんですね」と言われた。出発時刻が遅れた場合でも,本来の出発時刻から見て所定の時間にチェックインをしてもらわなければ困るのだという。これは単純に私の認識不足だったので,ひたすら謝り,何とか通してもらった。

待合室のテレビでは,鍾乳洞ライブの模様がニュースで流れていた。

石垣空港19:00→那覇空港19:55着 SKY566便

那覇まで運賃は3900円と激安。南ぬ島石垣空港が開港してまだ1年足らずだが,石垣島を訪れる観光客は大幅に増えているという。意識していたわけではないが,私もまた新空港ができたことによって石垣島を訪れた観光客の一人であろう。

国内線旅客ターミナル前20:10発→勢理客20:46着 琉球バス99番 天久新都心線 宜野湾営業所行き

いよいよ沖縄本島である。

軍桟橋前というバス停があった。自衛隊のことをふざけて陸軍や海軍ということはあっても,こうしてあからさまに軍の文字が出てくるのは,やはり沖縄なのだ。

さすがに那覇市内は車が多い。時間にルーズであるとか,めちゃくちゃに評判の悪い沖縄のバス。石垣島や西表島のバスに乗る限り,本土のバスと遜色はなかったが,沖縄本島のバスはどうだろうか。意外なことに,ダイヤにかなり余裕があるのか,バス停で時間調整をしながら,定刻で走っていた。

乗り換えのため,勢理客というバス停で降車。「じっちゃく」と振り仮名されていた。琉球の万葉集といわれる「おもろそうし」の中に,日本勢の運天港上陸を歌った「せりかくののろの」で始まる有名な一節がある。このせりかくは,当地ではなく今帰仁の地名であるが,もともと「せりかく」と言っていたのがなまって「じっちゃく」になったという。

勢理客20:51発→軍病院前21:19着 沖縄バス28番 読谷線 読谷バスターミナル行き

今度も時間どおりバスが来た。

浦添市,宜野湾市と国道58号線を北上する。もともとこの道路は琉球政府道1号と称し,復帰時に元一級国道の証である二桁の番号の最後尾に追加する形で指定されている。

道路沿いには,無印,ユニクロ,ケンタッキー,ビックリドンキー,マクドナルド,ガスト,丸亀製麺,ニトリ,宮脇書店,カメラのキタムラなど,ありとあらゆる全国チェーンの店が連なり,さながらロードサイドショップの展示場を見ているようだった。

軍病院前という,また物々しい名前のバス停で降車。ここが一応,本日の宿最寄りの停留所である。

バスの車体には,軍用地専門という不動産屋の広告が掲げられていた。

美浜アメリカンビレッジ。米軍のキャンプ瑞慶覧(ずけらん)のうち,ハンビー飛行場が1981年(昭和56年)に返還され,跡地北側を埋め立て造成の後,リゾート開発がなされた地区である。

沖縄観光の第一歩は,観覧車から。

カーニバルパーク・ミハマ3階の乗り場。観覧車はSKYMAX60という愛称がついている。

1周500円の料金を払って乗る。2周800円という設定もあった。

アメリカンビレッジを一望にする眺めは素晴らしかった。左手の24階建ての建物が,本日の宿,ザ・ビーチタワー沖縄。

アンパンマンの作者・やなせたかしさんは今年10月13日に亡くなった。私が子供の頃,テレビアニメはまだなく,絵本で親しんだ世代である。

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