北海観光節旅行記秋の湯殿山・尾瀬

20. 大清水

衝撃的なバラックのお土産屋群を抜けると,ようやくそれらしい雰囲気になってきた。滝へ降りる遊歩道はきちんと整備されており安心した。

まだ8時前だというのに,けっこうな観光客が来ていた。さすがに東洋のナイアガラと言われるだけある。

 

これはたしかにすごい。日本にこんな滝があるとは知らなかった。

岩の上を自由に歩くことができ,落下防止のため立ち入ってはいけない範囲は,岩に直接ペンキで線を引いて示されていた。そして,白線の外側には出ないようにと,テープの声による自動放送が繰り返しかかっていた。無粋なやり方だが,これしか方法がないのだろう。

 

浮島観音堂。吹割の滝から上流に数百メートル進むと,川の真ん中に島があり,吊り橋がかかっていた。渡った先の浮島観音堂は平安時代からあるものだという。バスの時間も迫ってきたので,手短にお参りをしておいた。

吹割の滝7:58発→大清水8:55着 関越交通 大清水行き

バスには旅行者が十数人乗っていた。このバスは沼田7:20発で,東京を朝発っても間に合わないはずなので,近郊の人か,前泊した人たちであろう。

いよいよ尾瀬に向かう。

今回,尾瀬を訪ねようと思ったきっかけは,もう10年近く前に,前の職場の上司から「尾瀬はいいよ」と聞いたことである。誰かに良いと聞いて,旅行の行き先を決めることは実はけっこうある。

ただそのときは尾瀬がどこにあるのかもわからなかったのだが,4年前の冬に桧枝岐村を訪ねたときに尾瀬が案外近いことを知り,このたびようやくの訪問となった。

15分ほどで鎌田に到着。尾瀬のおよそ半分が含まれる群馬県片品村の中心部である。

鎌田の待合所で7分ほどの休憩がとられた。

尾瀬大橋を渡る。

メロディーラインは「はるかな尾瀬」の歌詞が印象的な「夏の思い出」の曲が流れるというが,バスだとまったく音がわからなかった。

 

鎌田から15分で戸倉に差し掛かった。群馬県側では最も尾瀬に近い集落で,標高は既に900メートルを越えている。

鳩待峠バス連絡所で9名が降りた。ここから大清水,富士見下,鳩待峠と3つの登山口へバスが出ている。

現在最も人気があるのは,鳩待峠のようで,バスで鳩待峠まで行けば,そこから歩いて1時間足らずで尾瀬沼に至る。このルートは昭和38年からバスが運行されている。

それ以前に尾瀬ヶ原に至るには,富士見下からの富士見峠越えが近く,昭和2年に富士見下まで車道が開削されている。現在も富士見下までバスの便があるが日3往復と少ない。

最も歴史があるのは,大清水からの三平峠越えで,16世紀から沼田街道として整備されてきた。今日はその沼田街道を歩くことにしている。

吹割の滝から乗ったバスは,そのまま大清水へ向かう。大清水行き始発でもあるこの便の乗客は9名だった。

戸倉から先,大清水までは昭和18年にバスが通じている。それまでは駄馬道であった。

大清水

 

約10分で大清水に到着した。折り返しのバスに乗り込んだのは,今朝尾瀬の山小屋を発ってきた人たちだろうか。

 

新宿から大清水まで高速乗合バスの尾瀬号が日3本運行されている。

なんと大清水着が午前3時50分着という夜行便もある。このほか,福島県側では浅草を深夜発ち,鉄道とバスを乗り継いで沼山峠に6時10分に着くという「尾瀬夜行23:55」が運行されている。

 

物見小屋と大清水小屋。

大清水小屋は山菜天ぷらの元祖だという。

 

トイレは100円のチップ制だった。尾瀬は東京電力が多くの土地を有しており,このトイレも東京電力が設置したもので,浄化槽による処理がされている。

 

物見小屋・大清水小屋の向かいにあったビジターセンター風の建物も,東京電力の子会社の経営だという。

尾瀬は,大きく分けて尾瀬ヶ原と尾瀬沼の2つの見所がある。できれば両方見たいわけで,そうすると鳩待峠と沼山峠を結ぶコースがまず考えられる。距離的に日帰りで十分可能なはずだが,どんなガイドブックを見ても途中で1泊必要だと書いてある。尾瀬はほとんど木道なので,シルバーウィークゆえ木道が渋滞する可能性もあると考え,このコースはやめることにした。

一方で尾瀬の歴史を知るにつれ,魅力を感じてきたのが,大清水から三平峠を越える沼田街道だった。登山客だけではなく,商人も往来したというこの道は,一昨日歩いた六十里越街道にも通じるものがある。尾瀬の歴史そのものともいえる長蔵小屋もこのルート沿いにある。それで今回は,尾瀬ヶ原をあきらめ,沼田街道による尾瀬越えに徹することにした。

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