北海観光節旅行記秋の湯殿山・尾瀬

24. 燧裏林道

意外と質素だった見晴らしの十字路。

結局,よく考えずに見晴まで来てしまった。ただいま13時17分。これから御池,沼山峠方面に向かっても,沼山峠〜七入間の沼田街道は歩けないかもしれない。ただどうしても歩かなければならないというものでもないので,最悪は断念することにして,まずは御池に直行することした。

見晴から尾瀬ヶ原,至仏山(しぶつさん)方面を見る。至仏山は燧ケ岳と双璧をなす尾瀬の名峰である。

見晴からの尾瀬ヶ原は沼尻川沿いの拠水林に阻まれて,意外と眺望が利かなかった。川が運んできた土砂によって湿原中に形成された拠水林も尾瀬ヶ原特有の景色だというから,尾瀬ヶ原を見たことがあるかと聞かれた場合には,一応あるということになるだろう。

見晴から赤田代方面に進むと,年配の一人で歩く人が目立つようになり,それまでと雰囲気が変わった。尾瀬も場所によって訪れる人の様相がかなり変わるようだ。

赤田代分岐

尾瀬ヶ原から少し標高を上げてきたこの辺は気持ちの良い場所だった。尾瀬ヶ原から,ヨッピ吊橋,東電小屋を歩いてきた場合は,ここに出ることになるが,意外と人が少なかった。

尾瀬温泉

 

尾瀬ヶ原の北のはずれ,赤田代にある尾瀬温泉地区。23℃の温泉を加温利用しているという。

昭和7年,桧枝岐の星段吉氏が温泉小屋を拓いた地区である。

 

元湯山荘。尾瀬の名所の一つである三条の滝散策の拠点ともなっている。

 

尾瀬ヶ原休憩所。尾瀬の奥へと進むにつれ値段が上がっていった飲料水は,ついに500mlペットボトルで400円に達した。

ここで,昨日奥羽本線峠駅で購入した力餅をいただいた。名前のとおり力が出そうである。

左に進めば三条の滝,右は段吉新道。

時間に余裕がなかったことと,段吉新道の道の成り立ちに興味があったため,段吉新道のほうへ進んだ。

段吉新道

段吉新道は,幅の細い朽ちかけた平角1本の木道が延々と続いた。温泉小屋を拓いた星段吉氏が,御池からの悪路の三条の滝林道を回避するため,昭和12年に檜枝岐村への近道として切り開いた道である。

どの手引書を見ても,段吉新道は比較的平坦だと書いてあったが,実際歩いてみるとそんなことはない。たしかに等高線には沿っているものの,何度となく細かなアップダウンを繰り返し,山ひだの間を通り抜けていく。木道もかなり傷んでいた。

すれ違う人はめったになく,行き合った3人は,仙人風だった。

尾瀬ヶ原休憩所から27分で,三条の滝,渋沢温泉小屋方面への分岐に着いた。

燧裏林道

三条の滝からの道を合流すると,燧裏(ひうちうら)林道に入る。林道といっても,段吉新道と同じく,平角1本の木道が延々続いた。

それにしても,これだけ長い距離の木道を敷設するのは大変なことだ。重機のない時代作られた石畳の街道なども大変なことだと思うが,尾瀬の木道もそれに引けを取らないと思った。

尾瀬もこの辺まで来ると,尾瀬沼や尾瀬ヶ原の都会的な雰囲気とは異なり,赤子を背負って歩く男や,階段をようやっとの思いで登っている老夫婦など,たまに会う人も何らかの事情を抱えているように見えた。

 

14時41分,シボ沢にかかる裏燧橋を渡る。

橋の下は深い枯れ川になっており,自然の景色とはいえあまり居心地がよくない。

うらぶれた感のあった燧裏林道だったが,シボ沢を渡ると少し雰囲気が明るくなった。

ここは天神田代と名がつくが,湿原としては衰退期に入っており,森林に移行しつつある。

 

ときおり見事な巨木に出会った。

15時10分,西田代通過。

続いて,横田代は池塘が階段状に並んでいた。

ノメリ田代より,新潟方面を望む。

圧巻は(うわ)田代。広々とした傾斜湿原である。ここまで来れば駐車場のある御池は近く,御池から上田代まで来て引き返す人も多いようだった。

車椅子対応の木道が整備されている御池(みいけ)田代。御池の名は3つの池塘があったことに由来し,三池と書いた時代もあったという。

15時48分,三池の駐車場に出た。燧裏林道の分岐から1時間36分を要した。段吉新道,燧裏林道とも「ツウ好み」という表現がぴったりと思われ,地味ではあるが,尾瀬に行ったという実感を与えてくれる印象的な道だった。

9時40分に一ノ瀬を出発してからの尾瀬歩きは,これで終わりである。

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