ちほく高原鉄道ふるさと銀河線

時刻表でたどる網走本線・池北線・ふるさと銀河線の歴史

(1)網走線時代

「鐵道航路旅行案内 大正元年10月号」(駸々堂,1972年復刻版)


北海道の鉄道建設は明治13年の幌内鉄道に始まり,明治25年までには石狩の各炭鉱から手宮・室蘭の港を結ぶ鉄道網できあがっていた。明治29年5月,さらなる北海道の開拓を進めるため北海道鉄道敷設法が公布されて根室,稚内,網走へ向けて鉄道が建設されることになり,旭川から釧路に至る釧路線が同40年9月8日に全通した。

池田から網走へ向かう網走線の建設工事は明治40年3月に始まる。当初の北海道鉄道敷設法には第1期線として厚岸〜網走間,第2期線として利別〜相内の路線が挙げられていたが,これらの計画を変更して,池田から網走を目指す路線が選定されたのには,政治的な引力があったといわれている。

工事は順調に進み,明治43年9月に淕別まで,翌44年9月に野付牛まで,さらに翌大正元年10月5日には網走まで全通した。本時刻表は網走線が全通した月の号であるが,10月1日開通の九州線吉松〜小林間は冒頭の附録に列車時刻が掲載されているものの,野付牛〜網走間開通に関する記載はない。

なお見出しに「北海道鐵道」とあるが,これは函館〜小樽中央間を経営していた北海道鐵道株式会社を意味するものではない。北海道の鉄道は明治30年代,北海道鉄道,北海道炭礦鉄道,官設鉄道北海道鉄道部に分かれて運営されていたが,明治39年鉄道国有法の公布により国有化,大正元年の時点では内閣に置かれた「鉄道院」が全国の鉄道を管轄していた。

網走線内には3往復のみの運行であるが,下り池田7:00発は帯広始発列車から,12:30発は函館発釧路行き急行3列車から,16:00発は旭川始発列車から接続し,北見へ向かう幹線として釧路線との接続がしっかりとられている。

上野〜陸別 所要 53時間46分
上野9:30発
青森6:30着
急行201列車 日本初の急行列車は明治27年の山陽鉄道神戸〜広島間に誕生した。上野〜青森間の急行列車は明治39年4月登場の常磐線経由801・802列車が最初で,東北線経由の急行201・202列車は同41年5月に登場している。
明治37年函館〜小樽間の鉄道が全通すると,青函航路が本州連絡の役割を増し,同41年3月7日,それまで日本郵船が運航してきた青函航路を帝国鉄道庁に移管し,青函連絡船が誕生した。イギリス製の蒸気タービン船を導入し,現在と大差ない4時間強で海峡を結んでいる。
急行第3列車は北海道初の急行列車として明治44年7月1日に登場,本時刻は翌45年5月11日改正で,函館〜旭川間1・2列車が急行に格上げされた際のものである。
函館を13時50分に発車すると,大沼公園,森,石倉,野田生,八雲,黒松内,目名,倶知安,小沢,余市,中央小樽,小樽に停車し,札幌23時07分着。札幌から各駅停車となり旭川4時10分着。旭川から釧路線(富良野線)に入り,落合に8時04分到着し25分の大休止。狩勝峠を越えるためにここで機関車を増結したのであろう。終点釧路には函館から丸1日以上をかけ,15時15分に到着した。
青森7:30発
函館11:45着
青函連絡船1便
函館13:50発
池田11:40着
急行3列車
池田12:30発
陸別15:16着
北見行き


(2)網走本線となる