石北本線

2001年6月30日をもって,天幕駅は廃止されました。
駅舎ももうありません。

(廃)天幕 てんまく 無人駅
上川郡上川町字天幕
昭和4年11月20日開業
標高391m  人
単線駅
新旭川より50.5キロ
上川より5.6キロ
2000.8.9下車

●上川→天幕の車窓

上川は鉄道で通過するのと,国道を車で通過するのとでは随分印象が違う。線路は国道39号との名残を惜しむこともなく,北東へ針路をとり,石狩川支流・留辺志部川に沿って北見峠を目指す。いっぽう,中愛別以来しばらく別ルートをとってきた旧北見道路と再開し,線路の左に北見道路,右に国道273号が沿う。また国道のさらに向こうには旭川紋別自動車道が見える。
明治時代に囚人により建設された北見道路(中央道路)とは,旭川から上川,北見峠,丸瀬布,佐呂間町字栄,留辺蘂,緋牛内,二見ケ岡を経て網走に至る道内初の内陸横断道路である。北見峠は昭和27年に国道39号に指定されたが,昭和32年の石北峠の開通により昭和35年に国道39号が層雲峡経由となり,北見峠は道道に降格,メインルートからはずされた。その後,上川−上越間は昭和45年に国道273号に指定され,上越−遠軽間も昭和50年?に国道333号に指定された。また,線路の右に沿う日東経由の新道に切りかえられたのも昭和50年である。つまり,線路の左に沿い,廃屋が建ち並ぶこの怪しい道こそ,かつての開拓路線なのであって,現在でも上川市街から天幕方面への近道として利用者が多い。
天幕は上川市街からも近く,農家もあり,まだそれほど山奥という感じはしない。

●天幕駅

以下,旧情報

天幕,中越,奥白滝,上白滝は1日1往復しか列車が停まらないことで有名である。天幕は愛別原野殖民区画の東の端で,明治39年から入植者を迎えた比較的古い部落である。天幕の名は人名からきている。昭和4年の駅開設後は林業が発展し,駅近くに木工場も進出した。しかし林業の衰退とともに過疎化が進み,昭和51年天幕小学校が廃校,昭和58年自動信号化により無人駅となった。利用者がほとんどいなくなってからも列車の行き違いを行う交換駅としての役割を果たしてきたが,2000年2月に交換設備を廃止,同年7月には2番線の線路やホームが跡形なく撤去された。駅舎は開業当時の建物を使用している。なお,駅前を左右に走っている道路が旧北見道路で,駅裏の国道は昭和40年代後半に切りかえられたもの。
1日1往復でしかも上川・旭川方面へは1泊しなければ帰ってこれないダイヤでは,利用者はいないと思われるかもしれないが,旭川農業高校の生徒が林業実習でこの駅を利用しているらしい。それを除くとあとは全駅下車を目指したりしている酔狂な旅行者だけである。
私が鉄道で旅行を始めたのは大学に入ってから(1995〜)だが,天幕駅はなぜか昔から知っている。小学生のころ国道273号を車で通過する機会が何度かあったが,その度に天幕駅が印象に残った。テンマクという名前が印象的だったのか,山の中にぽつんとホームや駅名標が立つ景色が印象的だったのかわからないが,他にも数多くの駅を通った中で,天幕駅だけはっきり覚えているので,天幕駅には何かあるのだろう。
天幕全盛時の景色は,秋庭ヤエ子著『ナナカマドの挽歌』に描かれている。著者は昭和30年ごろ冬山造材の飯炊きとして,わずか一冬天幕で働いただけだが,試練続きの人生の中でも特に衝撃的な体験をしたところだったようで,天幕の冬に多くのページを割いている。

上川 北海道駅前観光案内所 中越