石勝線

清風山(信) せいふうざん 信号場
勇払郡占冠村字ニニウ
昭和56年10月1日開業
標高263m
2線
南千歳より67.3キロ
東オサワ(信)より7.7キロ

●東オサワ(信)→清風山(信)の車窓

東オサワ信号場を通過するとまもなく新登川トンネルに入る。延長5825mは石勝線では最長のトンネルである。このトンネルによって神居古潭構造帯の大蛇紋岩帯が貫かれているが,蛇紋岩は著しい膨張性地圧によってトンネルの掘削は困難とされていた。石勝線の建設にあたってはこの蛇紋岩帯をいかにして克服するかが最大の課題であり,最も蛇紋岩帯の狭いルートが選択されている。それでも1300mの蛇紋岩帯を貫く必要があり,日本ではこれまでに例がないことであったが,工事は綿密な試験を行いつつ慎重に行われ,順調に掘り抜かれた。続いて第1ニニウトンネルを通過,トンネルを出たところが清風山信号場である。


鬼峠より清風山信号場を俯瞰する。

●清風山信号場

ここも当初は「ニニウ駅」として計画されており,開業時に改称のうえ信号場として設置された。この信号場は列車の運転士の間では「熊の出るところ」として知られているらしい。石勝線高速化工事の際にも,作業の間ハンターに同行してもらわなければならなかったという逸話がある。信号場に降り立つことはできないが,実際に訪れてみると強烈な熊の気配を感じ,恐ろしい。
ニニウ地区は恐らく北海道で最も交通不便だったところで「陸の孤島の中の孤島」あるいは「日本のチベット」と称されていた。前の長和地区もニニウと肩を並べる奥地ではあるが,山を越えれば楓に出ることができ,そこには室蘭からの線路が延びていた。しかし,ニニウでは山を越えてもそこは「陸の孤島」と称された占冠本村であった。
ニニウは胆振国随一の河川である鵡川筋にあり,既に明治のうちから鵡川沿いに鉄道を敷く構想があった。開拓民達もそれに期待をたくしていたことだろうが,開拓70年にしてようやく鉄道が開通しようとする頃にはほとんどの農家が離農していた。
周辺では高速道路の工事が始まろうとしており,昭和41年まで電気もなかったところに,道東への高圧送電線が通っている。結局ニニウへ入植した人達は先見の明がありすぎたのだろう。開拓から100年が経とうとする今,ニニウは道央と道東を結ぶ要所となりつつある。

初夏の信号場 車窓から見る冬景色

●見どころ

下車できない

大学の卒業設計で私は「清風山信号場の旅客駅化」をテーマとした。当サイトのニニウのこれからではニニウについて詳しく紹介している。

(信)東オサワ 北海道駅前観光案内所 占冠