子供盆おどり唄の誕生
「子供盆おどり唄」のあらまし
「子供盆おどり唄」は,北海道の子供向け盆踊りで使用される盆踊り唄である。北海道の盆踊りは道南など一部の地域を除いて子供の部と大人の部の2部構成で行われるのが一般的で,子供の部ではもっぱら「子供盆おどり唄」が使用されている。
戦後の復興とともに盆踊りが隆盛を極めていた昭和20年代,「子供にふさわしい盆踊りを」という世論を受けて,北海道教育委員会などが企画し,昭和27年5月にレコードが発売された。これは,「北海盆唄」のレコーディングに先立つものである。また,今日なお昭和27年録音当時の音源が使用されている点においても,全国で他に類を見ないロングセラーとなっている。歌詞,曲,踊り,いずれも北海道の風土とマッチした傑作で,幅広い世代の道民に親しまれており,北海道オリジナルの児童文化財として大いに誇りうるものである。
子供のための盆踊り唄を
「子供盆おどり唄」が制作された経緯については,振り付けを担当した睦哲也による次の文章を紹介するだけで十分であろう。
「子供盆おどり唄」が出来るまで 盆になると子供たちが大人の中に交って余りかんばしくない踊をしている等と相当これに対する非難の声もあった。然しと云って代る別のものも与えず踊るなと云うのは無理な話であって……………。とにかく毎年同じことを繰返へしてきた。ところが昨年の秋話が積極的に進み,道教委が手を着けこゝに実現の運びに至ったのである。 尚,この製作に当り作詞作曲の方には特別のお骨折をいただいた。亦この企画をされ終始陰の力になってきた道教委の藤沢健夫氏,札幌市社会教育課の辻寧光氏が多大な尽力をされた。振付並指導は道教委の依頼により睦が担当することになった。 この「子供盆おどり唄」はやがて全道いな,日本全国中の子供たちによって踊られることだろう。 睦哲也「民踊の旅」(全国舞踊文化連盟,昭和29)より |
睦は道内出身の教育舞踏家で,昭和13年に睦哲也舞踏研究所設立以来,全国を行脚し,舞踊の指導普及に当たった人物である。睦のほか,「子供盆おどり唄」の制作に関わった人々を表1に示す。
担当 | 名前 | 生没年 | 制作当時の職 |
作詞 | 坪松 一郎 | 明治43〜昭和44 | 江別町立第三中学校教諭 |
作曲 | 山本 雅之 | 明治42〜 | キングレコード専属作曲家 |
唄 | 持田 ヨシ子 | 童謡歌手 | |
振付 | 睦 哲也 | 明治44〜平成2 | 睦哲也舞踏研究所長 |
企画 | 藤澤 健夫 | 明治45〜平成2 | 北海道教育庁社会教育課主事 |
辻 寧光 | 札幌市社会教育課文化係長 |
全道への普及
レコードが発売された年,昭和27年8月10日の北海道新聞には,「こども踊り大会」という題のイラストが掲載され,絵の中に「祝こども大会」のプラカードを持つ踊り手が見える。翌昭和28年には札幌市教育委員会の主催,明治製菓の協賛で,子供盆踊り会が8月12日から16日までの5日間,毎夜19時から20時まで中島児童公園で開催された。この子供だけの盆踊りが好成績を収めたため,市教委は翌年,一般の盆踊りには必ず子供の時間を設けるよう各種団体へ呼びかけを行っている。
昭和27年8月10日 北海道新聞より |
これらの子供盆踊りには「子供盆おどり唄」が使用された可能性が高いが,「子供盆おどり唄」が全道に普及するまでにはまだ相当の時間を要したものと思われる。昭和37年8月16日の北海道新聞には「どこでも子供盆踊り盛ん」の見出しで,道内各都市の子供盆踊りの様子が紹介されている(表2)。これによると,制作から10年たった時点においても,「子供盆おどり唄」は札幌など一部の地域で使用されていたに過ぎないことがわかる。「子供盆おどり唄」は発表から20年,30年と時間をかけて,道南を除く北海道全域に広まっていったのだろう。
札幌 | 「子供盆踊り歌」や「ソーラン節」 |
釧路 | 「まりも音頭」「少年ソーラン節」を指導するなど一風変わった盆踊り |
旭川 | 各子供会独自に歌,踊りの振付を工夫するなど他都市にみられないバラエティーぶり |
室蘭 | フォークダンスの曲に合わせて踊るなど変わったものもあり |
帯広 | 少年少女合唱隊の民謡に踊りを振り付け |
夕張 | 子供盆踊りパレードを行う |
なお,「子供盆おどり唄」のレコードは当初SP盤で発売されていたが,SPレコードは録音時間が短く(片面5分程度),繰り返し再生すると盤がすり減るなど扱いにくいものだった。磁気テープや音響装置がまだ発展途上だったこともあって,レコード発売後すぐに普及ということにはならなかったものと思われる。「子供盆おどり唄」は昭和38年にEP盤で再発売されており,再生装置,拡声装置の普及もあって,この頃から急速に道内各地へ浸透していったものと推測される。
歌碑の建立
「子供盆おどり唄」が広く道内に普及し親しまれる一方で,そのルーツは自明のこととして特段探求されることもなく,その誕生に携わった人達の熱い思いも忘れられようとしていた。平成12年から14年にかけて,そのルーツを探る調査が行われ,制作者達の人間像が改めて浮き彫りにされた。調査で判明したことは,テレビや新聞で広く紹介されて道民の関心を呼び,平成14年にはキングレコードがSP盤の音源から「子供盆おどり唄」を復刻して発売した。
平成14年はまた,「子供盆おどり唄」制作50年,作詞者・坪松一郎33回忌,振付・睦哲也13回忌の節目となる年だった。この年11月3日,坪松一郎ゆかりの江別市に,詩を刻んだ記念碑が建立された。碑文は次のとおりである。
石狩平原の詩人 坪松一郎は明治43年茨城県水戸近在に生まれた のち渡道昭和8年以降江別の小中学校等に勤める傍ら野の香り漂う多くの童謡詩を世に問う 「子供盆おどり唄」(昭和27年)はキングレコードから発売され 今日なお流布愛唱されるが 君は昭和44年春 惜しまれつつこの地に永眠した 吾ら 詩人の文業を讃え「子供盆おどり唄」誕生50年の今日 ここに碑を建立する。 この歌詞は自著「石狩平原の子供ら」(昭和40年刊)によるものである 平成14年11月3日 財団法人 札幌東法人会江別支部 撰文 藤倉徹夫 |