高島越後盆踊り

訪問日:2007年8月18日(土)

場所:小樽市高島公園

民謡の権威書である町田嘉章・浅野建二編『日本民謡集』(岩波文庫,昭和35)に,「この唄(筆者注:北海盆唄)は,元来,新潟県から高島町(小樽市)に移住した集団移民によって伝えられた『越後盆踊唄』の改作」であると紹介され,長らく北海盆唄のルーツとして定説化されていた盆踊りである。北海盆唄との関連はともかく,当時においてもルーツと目されるだけの由緒と格式を持って盛んに踊られていたのであろう。

高島は小樽市中心部の北側に位置し,江差追分に「忍路(おしょろ)高島及びもないが,せめて歌棄(うたすつ)磯谷まで」と唄われた古くからの漁場である。明治2年,北海道86郡の1つとして高島郡が置かれ,同35年二級町村高島村が成立,大正11年に高島町となったが,ニシン漁は明治30年代から下降線をたどり,昭和15年に小樽市と合併した。

越後盆踊りは新潟県北蒲原郡紫雲寺町が発祥の地といわれ,明治の初期にこの地に移り住んだ人たちが,お盆になると先祖の眠る故郷に思いをはせながら踊ったのが始まりとされる。道内ではほかに白老町虎杖浜,古平町,石狩市,釧路市旭町で越後盆踊りが伝承されているが,中でも高島は最大の規模を誇っている。保存会は昭和54年に発足し,平成13年には小樽市指定無形民俗文化財に指定され,高島公園に碑が建てられた。

 

例年の盆踊りは8月18日から20日にかけて3日続けて行われるが,今年は19日の花火大会を挟み,17日,18日と20日に開催された。

小樽駅前から北海道中央バス小樽市内本線に乗車し,高島神社の石段を登って会場の高島公園に着いた。19時をまわっても人影はまばらで,出店で焼きそばを食べて時間を過ごした。

 

19時15分,録音テープによるお囃子が流れ出し,19時半頃から静かに踊りが始まった。19時48分,櫓の上に囃子方が揃い,生演奏に切り替わった。すぐに音割れするあまり性能の良くないスピーカーが,むしろこの伝統的な盆踊りにふさわしい雰囲気を醸し出していた。

それにしてもカメラマンが多い。この日の道新朝刊で大きく紹介されたこともあるが,全国区の盆踊りに匹敵するものすごい人数である。ただ,ほとんどのカメラマンは1時間もたたないうちに退散していったが,盆踊りが佳境に入ったのはそれからである。

21時をまわる頃には会場の熱気も増して踊り手と唄い手が一体化し,特に若い男女は色艶のある踊りを披露していた。それは形だけの伝統的な盆踊りではなく,艶めかしい魅力を持った本物の盆踊りだった。

踊りは虎杖浜や石狩と同じく2種類が交互に踊られ,唄の部分を「簡素化した踊り」,間奏の動きが激しい踊りを「こうたいじ踊り」と称している。

歌詞は約190種類あるといわれるが,スピーカーが悪いのと訛りのせいで,正確に聴き取れるものはほとんどなかった。それでも聞き覚えのある文句がたびたび登場しており,北海盆唄や全国各地の民謡の歌詞を流用したものも多いようである。

曲態も虎杖浜や石狩と基本的に同じだが,最後に繰り返される5音の前に,虎杖浜,石狩では両方とも「コレサ(アレサ)」が挿入されるところ,高島では終わりのほうにしか「コレサ」が入らない点が異なっていた。

エンヤーエー [しまとながつきゃ] [どのしまもかわい]クー
[まして]ナーイヤ [たかしま]ハ [たかしま]ハ 
[なおかわい]ノーヤ
[ましてたかしま]ハ コレサ [なおかわい]

なお,公園内の碑には次の3つの歌詞が刻まれている。

太鼓たたきと 笛吹き可愛い 中の踊り子 なお可愛い
盆の十三日 二度あるならば 親の墓所へ 二度参る
忍路高島 一度はおいで 越後おどりの 艶姿

越後盆踊り動画(6.4MB)

唄と踊りは途中休憩を挟むことなく延々と続けられ,21時44分に終了した。