うりゅう暑寒フェスタ 竜のおどり
訪問日:2007年8月26日(日)
場所:雨竜町メモリアルパーク
明治20年代以来,華族が経営する大規模な農場により開墾が進められてきた雨竜町は,いまも耕地の大部分を水田が占める純農村である。人口は昭和30年頃をピークに穏やかに減少し,現在は約3100人となっている。
「竜のおどり」という派手な名前が付けられているものの,もともとは毎年8月下旬に開催の「うりゅう暑寒まつり」の中で「暑寒盆おどり大会」として行われていたもので,実態は典型的な北海道の盆踊りである。2006年から「うりゅう暑寒まつり」を「うりゅう暑寒フェスタ」と改めて年3回実施しており,盆踊りはその第3弾の最終プログラムに位置づけられている。
ちなみに暑寒(しょかん)とは,アイヌ語に由来する地名で,暑いとか寒いといった意味ではない。
8月26日の開催ということで,恐らくは道央地区最後の盆踊りであり,札幌や旭川方面からの参加者も得て,町の規模の割には非常に参加者の多い盆踊り大会となった。
「暑寒盆おどり大会」「暑寒盆踊り」の名称も併用されていた。 |
17:20〜18:00 こども盆おどり
直前に行われていた福引大会の進行に手間取り,子供盆踊りは予定より20分ほど遅れて始まった。音楽が流れると,子どもたちは待ってましたというように一斉に櫓の周りに集まり,一瞬にして踊りの輪ができた。ただし,踊りはあまり揃っていなかった。テープは持田ヨシ子盤をエンドレスに編集したものが使用されていた。太鼓は暑寒連山太鼓の子どもたちが担当していた。
英語の先生であろうか,大柄な外国人の女性が浴衣を来て参加していた。役員が手を引いて,「この人について踊りなさい」という感じで,輪の中でいちばん上品そうな奥様のところへ彼女を連れてきた。ところが,その奥様は子供盆踊りをまともに踊ることができないのである。子供盆踊りは北海道が全国に誇る民俗文化であるのはもちろんのこと,日本の文化として世界的にも誇りうるものだと思うが,こうした国際交流の場で,きちんと踊ることができないというのは,道民として情けないことではないか。結局,その外国人の女性は子供盆踊りの素養があったようで,日本人よりもむしろ上手に踊っていた。
こども盆おどり動画(2.9MB)
踊りが終わると,恒例によって子どもたちはその場にしゃがみ,お土産を受け取っていた。お土産はお菓子が3つ袋に入った豪華なもので,子どもたちも大満足のようだった。
ステージには仮装盆おどりの豪華賞品が並んでいた。
18:05〜19:32 仮装盆おどり
子供盆踊りのあとは,すぐに仮装盆踊りに移った。輪は二重をなし,個人の参加者は内側の輪を時計回りに,団体の参加者は外側の輪を反時計回りに回っていた。団体は18チームの参加があり,輪は観客席ぎりぎりまで大きく広がっていた。今年最後の盆踊りということで,町外からも多くの参加団体があり,ほかの盆踊りで見覚えのある団体も何チームかあった。
テープは札幌のひばりが丘や第二桜台団地町内会の盆踊りと同じものが使用されていた。太鼓は子どもの部から引き続き暑寒連山太鼓が叩いていたが,途中から「鼓導らく("らく"は女へんに楽)」と「鼓舞志会」に交代した。
仮装盆踊りは約1時間半で終了し,ただちに審査結果発表に移った。始めに実行委員長から挨拶があり,個人の部は20位から,団体は全18チームの順位が発表された。1位〜3位あたりは順当なところのように思われたが,非常に頑張って踊っていて印象的だったチームが,17位,18位にとどまっていたのは気の毒だった。
仮装盆おどり動画(5.5MB)