第4回こころのふるさと アルテまつり

訪問日:2008年8月9日(土)

場所:アルテピアッツァ美唄 トリフォリオの広場

美唄市街から美唄川に沿って4kmほど山側に入ったところにあるアルテピアッツァ美唄で,毎年開催されている盆踊りである。いまではこの川沿いの谷に,人家はまばらとなったが,かつては三菱美唄炭鉱(大正4年〜昭和40年),三井美唄炭鉱(昭和3年〜昭和38年)などがあり,東美唄,我路,盤の沢といった地区に,3万人以上が住んでいた。

 

アルテピアッツァ美唄は昭和56年3月に閉校した栄小学校の校舎を活用した芸術文化交流施設である。地元出身の彫刻家,安田侃氏の作品が展示されているほか,講演会やライブ,コンサートなどのイベントの会場として利用されている。また,木造校舎の一部は美唄市立栄幼稚園として使用されている。

旧校舎の2階では,「思い出の炭鉱写真展」が開催されており,三井美唄炭鉱の盆踊りの写真もあった。

17:00〜 盆おどり(こども)

この日は,14時から15時30分まで安田侃氏の講演会が開催されており,美唄市民のほか,札幌方面から来ていた人も多かったようである。盆踊りは講演会の後,やや時間をおいて17時から開催された。

輪の中で,子供盆踊りの振り付けを大体知っているのは,リュックを背負い子供を抱いた女性一人だけだった。私が踊らねばというような意気込みで,片手だけで頑張って踊っていたが,そのような状態で長く踊り続けるのは無理で,間もなくして彼女が輪から抜けると,きちんと踊れる人は誰もいなくなった。司会の男性もマイクを持ちながら自ら輪の中に入っていたが,踊りはまったくなっていなかった。やはり,手本となる大人が輪の中に何人か入っていないと,子供たちがかわいそうである。

子供盆おどり唄はタンポポ児童合唱団盤が使用されていた。太鼓はなく,テープのみによる演奏だった。タンポポ児童合唱団盤のテープは,8コーラス5回分で約25分間のエンドレス演奏に編集されているが,ここでは独自に1回分を切り出して,それを繰り返し再生していた。そのため,曲のつなぎ目が不連続になっていた。

盆おどり(こども)動画(MP4,6.7MB)

17時45分,踊っている子供たちには景品が当たるとのアナウンスがあり,17時50分,踊りが終わると,子供たちはその場で立ったまま景品引換券を受け取っていた。その後,子供たちは本部前の景品引き替えコーナーに移動し,くじ引きでおもちゃなど豪華景品をもらっていた。

18時になると,「水の広場」に並べられた手作りキャンドルに火が灯された。

18:00〜 盆おどり(おとな)

子供盆踊りが終了して,しばらくの間「美唄音頭」が会場に流れていた。予定より少し遅れて18時12分に大人盆踊り開始の合図があると,太鼓の演奏が始まった。

演奏は唄がなく,終始太鼓のみだった。振り付けは北海盆唄のもので,太鼓の調子に合わせて,踊り手自ら「エンヤーコーラヤット,ドッコイジャブジャブコーラヤット」「ドッコイショー,ドッコイショー」などと合いの手を入れていた。これが恐らく盆踊りとしては最も古い形態であるが,このような盆踊りが北海道にもあったのかと驚いた。唄はないのかと文句を言う人が出てもよさそうなものだが,この独特の盆踊りを,踊り手は素直に楽しんでいるようだった。なぜこのような盆踊りが,ここに存在しているのか,まったく不思議である。

調子が乗ってくると,踊りながら歌い出す人も現れた。歌詞は即興で,北海盆唄のうろ覚えのようだったが,「高い山から……」「ちゃんこ茶屋の……」「お酒飲むなら……」と,出てくる歌詞がどれも怪しげである。ときには別の踊り手から「子供いるんだから考えれ」と,これまた太鼓のリズムに乗せて,合いの手が入ることもあった。炭鉱の閉山から40年以上がたち,炭鉱の記憶は薄れつつあるが,山に囲まれた地形は炭鉱地帯独特のものであり,そこで踊る盆踊りもやはり炭鉱地帯特有の迫力あるものだった。

子供盆踊りで景品が余ったのか,先着30名には大人にもお菓子が当たると,途中でアナウンスがあった。

この太鼓だけで踊る盆踊りは1時間ほど休みなく続いたが,美唄駅行きのバスが18時52分最終のため,踊りの途中で会場をあとにした。

盆おどり(おとな)動画(MP4,4.8MB)