真駒内駐屯地盆踊り大会

訪問日:2011年8月4日(木)

場所:陸上自衛隊真駒内駐屯地(札幌市南区)

真駒内は札幌に古くからあるアイヌ語地名の一つで,かつては真古茂野,間古間内とも書いたという。開拓使時代の明治9年にエドウィン・ダンがこの地に種畜場を拓き,終戦後まで牛馬改良の役割を担った。昭和21年,米軍に接収され,千歳基地とともに占領軍の本道重要基地として占領業務の拠点となった。昭和30年,基地の北半分が返還され,代わりに駐屯したのが,陸上自衛隊の真駒内駐屯地である。

真駒内駐屯地は,旭川,東千歳と並び,師団司令部を置く駐屯地であったが,平成20年3月をもって第11師団が廃止され,現在は第11旅団が駐屯している。

大津波で2万人近くの犠牲者を出した東日本大震災から5か月足らず,自衛隊の大規模震災災害派遣がまだ継続している中で開催された盆踊りであり,つかの間の慰安行事を楽しむ隊員や家族の姿が見られた。

 

会場は,地下鉄南北線自衛隊前駅を降りてすぐである。長らく,さっぽろ雪まつりの真駒内会場として,雪まつり期間中は大勢の市民や観光客で賑わった歴史を持つが,2005年の雪まつりを最後に真駒内会場は廃止された。現在では盆踊りが,駐屯地を代表する一般公開行事となっている。

17:35〜 親子盆踊り

17時半からの大会長,共催団体代表挨拶,来賓紹介に続き,親子盆踊りが開始された。既にたくさんの親子連れが集まっており,比較的速やかに踊りの輪が形成された。輪の内側では,澄川女性部の方々が踊りの手本を示していた。しかしながら,「そよろそよ風」と「しゃんこしゃんこ」の箇所の区別がついておらず,「ほら」の箇所が本来と異なり,ぱっと手を上に開く所作になっているなど,おぼつかない踊りだった。それでも,手本があるおかげで,お母さんも子供たちもよく踊っていた。最後は,人が増えすぎて輪が進まなくなったのは惜しまれる。

子供盆おどり唄の音源は,持田ヨシ子盤で,間奏をカットしていたが,踊りはいったん停止する必要が生じていた。

親子盆踊り動画(MP4,4.0MB)

18時10分で踊りは終了,子供たちはその場でしゃがんでお土産を受け取っていた。お土産は,うまい棒などの詰め合わせである「びっくりスモールパックW」が手提げのポリ袋入りで配布されていた。

 

会場は,典型的な自衛隊の盆踊りのつくりで,正面側に招待者席の天幕が配置され,残りの面は部隊ごとに区画されたテーブル席が配置されていた。出店も,飲食,ゲームなど多数あった。

19:00〜19:25 部隊対抗仮装盆踊り

子供たちへのお土産配布が終わった後は,すぐに北海盆唄による盆踊りへと移った。自衛隊特有の,淡々としたアナウンスにより,行事が進行していく。北海盆唄の音源は,浜より子歌唱のCDが使用されていた。この音源には4番の歌詞として珍しい「一度見せたや 内地の人に おらが自慢の 盆踊り」が含まれている。

まず18時17分,澄川女性部15名による模範踊りが始まった。澄川は地下鉄南北線で1駅札幌中心部寄りにある商業地。自衛隊前駅の東側も地区としては澄川であり,真駒内本町よりも駐屯地と関係が深いのかもしれない。「華麗な踊り」と紹介があったが,特に踊りの愛好者というわけではないようで,あまりそろった踊りではなかった。太鼓は,「太鼓をたたいて20年,太鼓を叩いたらこの人の右に出る者はいない」と紹介のあった業務隊員だった。子供,大人盆踊りを通じて,太鼓は1張のみで,盆踊りの規模を考えると少々寂しい。

18時20分からは誰でも参加できる総踊り。これはすぐに終わり,18時30分から「部隊対抗仮装盆踊り」の練習と称して,各部隊が会場を1周していったん退場した。入場の際には,司会から仮装テーマの説明があり,来賓・VIP席の前では,各部隊とも挨拶をしていた。

あまり盛り上がらない「練習」がしばらく続いたあと,19時からいよいよ部隊対抗仮装盆踊りが始まった。

部隊対抗仮想盆踊り動画(MP4,4.7MB)

第11後方支援隊 第325会計隊 第11偵察隊
第11特科隊 北部方面輸送隊 北部方面衛生隊
第120教育大隊 真駒内駐屯地業務隊 第11施設中隊

19時25分で仮装の部隊は会場を引き上げ,再び一般参加者による総踊りとなり,19時45分,本日の盆踊り行事が終了した。

なお,平成28年のプログラムによると,北海盆唄による総踊りのほか,炭坑節と阿波踊りによる総踊りも行われている。