中村盆踊り大会
訪問日:2013年8月14日(水)
場所:歌志内市中村テニスコート跡
中村の名は,明治38年(1905年),当時の衆議院議員・中村弥六がこの地に炭鉱を開鉱したことによる。なお,弥六の名は,歌志内の盆踊りに欠かせない「弥六太鼓」に受け継がれている。中村炭礦はのちに住友歌志内炭鉱となり,道内屈指の出炭量を誇ったが,昭和36年(1961年)頃に最盛期を迎えた後,昭和46年(1971年)のガス突出事故をきっかけとして閉山した。
2010年ポスター | 2013年ポスター(1) | 2013年ポスター(2) | 2015年ポスター |
盆踊りは,例年8月14日,15日の2日間開催で,手書きによる大判ポスターで告知される。
2013年は20時05分からという半端な時間からの開催であった。同日,直線距離で300メートルしか離れていない道の駅で「チロルの盆踊り」を開催していたので,この終了時間を意識したものかと思ったが,関係はなかったようで,互いに太鼓の音が聞こえるような場所で2つの盆踊りが行われていた。しかし,この2つの盆踊りは,同じ盆踊りでもまったく性格が異なり,チロルの盆踊りを「陽」とするなら,中村の盆踊りは「陰」の世界であるというのがふさわしいように感じた。陰であることはむしろ,盆踊りにとって魅力となる。
会場は道道から少し入ったところにある中村テニスコート跡である。20時10分過ぎにバスで到着したときには,開会あいさつが終わろうとしていたところで,言葉が良く聞き取れなかったが,地域の盆踊りに万感の思いが込められていたように感じた。
寄付金の一覧。個人名のほかに,食料品店,診療所,化粧品店,洋品店,精肉店,理容室,生花店,米穀店,スナック,自動車修理工場,寺院の名がみえる。かろうじて市街地を維持しているようである。
焼き鳥,ビール,ジュース,焼酎などの販売所。
盆踊り 20:05〜22:00
子供盆踊りはなく,はじめから大人盆踊りで行われる。20時13分,太鼓が打ちはじめる。続いて,「ドーコイドーコイドーコイナット」と,発動機の始動するがごとく囃子言葉だけが数回繰り返された後,北海盆唄の歌唱が始まった。
櫓は歌志内で多く見られる四角錐台型で,正面に北海盆唄の歌詞が掲示されていた。この中には「恋の中村……」「神威岳から中村見れば……」という独自の歌詞が含まれている。これとは別に,歌詞が書かれた紙を載せる譜面台も用意されていた。唄われた北海盆唄の歌詞は次のとおりである。ほかに,音声不明瞭で聞き取りできなかった歌詞が3つあった。
北海名物 数々あれど おらが国さの 盆踊り
五里も六里も 山坂越えて 逢いに来たのに 帰さりよか
唄え踊れよ 叩けよ太鼓 月の世界へ 届くまで
ちゃんこ茶屋の婆 お茶出せ茶出せ 煙草盆出せ キセル出せ
入れておくれよ かゆくてならぬ 私ひとりが 蚊帳の外
高い山から 谷底見れば 瓜や南瓜の 花盛り
主が唄えば 踊りも締まる 櫓太鼓の 音も弾む
唄に誘われ 太鼓に引かれ 今来たこの道 二度三度
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花
恋の中村 夕日に暮れて 夜にあの娘の 夢を見る
盆の中村 今年も来たぞ 歌に笛に太鼓に 盆踊り
神威岳から 中村見れば 唄に踊りに 盆踊り
唄い手は2名で,うち1名は間にソーラン節を挟んでいた。北海盆唄の歌唱はIII型で,囃子言葉は「おらが国さの」の後に「ヤーレット」が入るが,その間唄を休む唄い手と,ヤーレットにかぶせて続ける唄い手があった。また,間奏は,「エンヤーコーラヤットドッコイドッコイドッコイナットコイサッサーコイナット」「エンヤーコーラヤットドッコイドッコイドッコイナット」「ドッコイドッコイドッコイナットコイサッサーコイナット」など,そのときによりまちまちであった。
北海盆唄動画(MP4,3.0MB)
ソーラン節動画(MP4,2.9MB)
踊り手は,全員がべっちょ踊りと北海盆唄の折衷型だった。それにしても,踊り手が少ない。20時50分過ぎまで会場にいたが,踊り手の数は終始5人前後だった。会場の広さ,唄,太鼓に関しては,1,000人規模の盆踊りにも対応しうる一流の格を備えているのとはあまりにも対照的である。すぐ近くでチロルの盆踊りが行われているのだから,やむを得ないことではあるが,それでもなお盆踊りを継続していることに,「狂気」と言ってもよいような盆踊りへの思いを感じた。
中村盆踊りは22時まで続くが,帰りの列車のこともあるので,早めに会場を後にした。歩いて5分ほどのチロルの盆踊りは,ちょうど抽選会が終わったところだった。
この日は砂川からバスでまず市内東端の上歌へ向かい,それから西端の文殊新泉に戻って子供盆踊りを見た後,さらに文殊新泉〜上歌間を往復し,最後に中村盆踊りを訪ねた。路線バスでこのような移動ができること自体,炭鉱文化の遺産であるように思われる。
帰りはバスの便がなくなり,歌志内本町からハイヤーを頼んで砂川駅まで移動した。ハイヤーは午前2時まで営業しているとのことで,人口4,000人余りとはいえさすがに「市」だと思った。