留萌サマーフェスティバルやん衆盆踊り
訪問日:2013年8月16日(金)
場所:やん衆特設会場(産業会館駐車場)
江戸時代にルルモッペ場所と呼ばれたていたころからサケ漁、ニシン漁の拠点として賑わった留萌。盆踊りの名に冠している「やん衆」とは、当時ニシン漁などに雇われていた出稼ぎ労働者のことである。
留萌のお盆は、終戦後1週間を過ぎた1945年8月22日、樺太からの3隻の引き揚げ船が国籍不明の潜水艦の魚雷攻撃を受け1,700人余りが亡くなるという、三船殉難事件の記憶とともにやってくる。毎年、犠牲者を悼み黄金岬で送り火が行われている。
盆踊りは一時期下火になったというが、2012年にやん衆盆踊りとして新たに市を挙げての盆踊りが開催されるようになり、この年は2回目の開催である。会場は留萌駅から西に約1km弱、1960年代に人口4万を数えた全盛期の留萌の面影を残す古い市街地にある産業会館前の広場である。
盆踊りは2日間開催で、初日は親子盆踊り、一般個人仮装盆踊り、2日目は親子盆踊り・一般団体仮装盆踊りが行われる。この日は初日である。
18時15分からの開会式。 高橋定敏留萌市長から「この地域を網を起こして豊かにしてくれたやん衆の思いを背負って、もう一度皆さんと未来の網起こしを共にしようではありませんか」と挨拶があった。
親子盆踊り 18:30〜19:00
子ども盆踊りは予定より早く18時23分開始。音源は子ども盆踊り唄の持田ヨシ子盤がノーカットで使用されていた。実行委員会のメンバーが率先して踊っており、「吹けばちらちら」の部分に独自の振付けが行われていたのと、「シャンコシャンコ」の部分の振付けが簡略化されていたほかは、比較的きれいな踊りを見ることができた。
18時47分、踊りの途中で、首から下げるタイプの「おかし引換券」が輪の中の子供たちに配布された。同50分、踊り終了。子供たちへは「その場にしゃがんで」と指示があったが、櫓下でお菓子を配り始め、まじめにしゃがんでいた子供たちはしばらく待ちぼうけになっていた。5分ほどかかって、お菓子の詰め合わせが子供たちに行き渡った。
協賛者。
市民手作りの屋台や子供縁日も多数。
一般盆踊り・一般個人仮装盆踊り 19:00〜20:00
5分ほどの休憩をはさみ、19時ちょうど、前触れなく北海盆唄の演奏が始まった。19時5分、いったん演奏が中断し、審査員、審査方法、受賞内容が紹介された。審査委員長は日本民謡佐藤会会長、審査員は留萌市長、留萌商工会議所会頭、留萌観光協会会長、サマーフェスティバル2013やん衆盆踊り実行委員長。審査方法は審査員の点数と協議により決定、賞はやん衆大賞、パフォーマンス賞3名、審査基準は衣装、踊り、アイデア(おもしろさ、話題性)に基づく旨の説明があった。
その後、留萌市選出の石塚正寛道議会議員の乾杯により、盆踊りが始まった。
演奏は日本民謡佐藤会、太鼓は実行委員メンバーを中心に今日のために練習してきたという「やん衆盆太鼓」。北海盆唄の歌唱型は典型的なIII型で、唄われた歌詞は次の9種類と、生歌にしては少ない。
北海名物 数々あれど おらが国さの 盆踊り
波の花散る 津軽の海を 越えて蝦夷地へ いつ来たか
踊り見に来て 踊りの中で 何時か手を振る 浴衣がけ
来たは十七 蕾の頃に 今は二十一 花盛り
はやし太鼓に 手拍子揃え 櫓囲んで 盆踊り
五里も六里も 山坂越えて 逢いに来たのに 帰さりよか
唄に誘われ 太鼓に引かれ 今来たこの道 二度三度
踊り揃うて 輪になる頃は 月も浮かれて 円くなる
留萌名物 数々あれど おらが留萌の 盆踊り
踊りが始まって30分が経過したころ、北海よされ節が挿入された。留萌線沿線では沼田町でテープ音源ながら北海よされ節のみによる盆踊りが行われており、その流れを汲んでいるのか、留萌にもよされ節が残っていることは興味深い。ただし、「そよぐ夜風に」の2種類と、「熊とマリモと」の歌詞には混線が見られ、本来のHBC選定歌詞とは異なっている。
そよぐ夜風に 誘いの太鼓 いつか知らずに やぐら下 歌が揃えば 気も揃う みんな揃って よされ節 よされソラヨーイ
蝦夷の海辺に ながれる唄は 岩にくだけて 寄せ返る 追分まじりの 波しぶき 沖の鴎も 舞い踊る よされソーラヨーイ
熊とマリモと 追分節は 自慢話の 種になる 国の名物 数あれど みんな揃って よされ節 よされソーラヨーイ
盆の踊りに 化粧はいらぬ たすき花笠 なおいらぬ 心も明るく 輪になって 親も子も来い 孫も来い よされソーラヨーイ
そよぐ夜風に 誘いの太鼓 いつか知らずに やぐら下 心も踊る 盆唄に 昼の疲れも よされ節 よされソーラヨーイ
最後は、唄い手の斉唱で「北海名物……」の歌詞を唄い、19時55分、踊り終了。この後、20時から審査発表、20時30分から抽選会、20時50分からフィナーレ盆踊りと続くが、列車の時間があるので、ここで会場を後にした。