根室盆踊り大会
訪問日:2014年7月17日(木)
場所:根室市緑町大通り一丁目〜二丁目
お盆は本来,夏の満月を迎える旧暦7月15日を中心に行われる行事だったが,明治になって新暦に改められた際に,新暦の7月15日に行う地域(7月盆,俗に新盆),月遅れの8月15日に行う地域(8月盆,俗に旧盆),旧暦の7月15日にあたる日に行う地域(本来の旧盆)にそれぞれ分かれることとなった。根室の場合,当初は8月盆を採用していたが,1921(大正10)年,金刀比羅神社の祭典が8月に行われるようになったのを機に7月盆に移行した。ただし根室の中でも,第2次世界大戦後まで別の村だった旧歯舞村や和田村の地区は8月盆である。
この根室盆踊りは全国的にも数少ない7月盆の盆踊りであることに加え,古式ゆかしい唄(根室盆唄)と踊りで行われることでも異彩を放っている。
千島列島への拠点として根室の歴史は古く,1882(明治15)年,北海道に3県制が敷かれたときに根室県庁が置かれている。同年,根室遊郭の経営者らが申し合わせて,町を挙げての盆踊りを花咲楼を中心に始めたのが,根室盆踊りの始まりだという。一方,遊郭の盆踊りと並んで,商店街の中心地である緑町1丁目の盆踊りも明治のうちに始まっており,戦時中の休止や,一時期の鳴海公園や駅前での開催をはさみつつ現在まで続いているのがこの盆踊り大会である。
会場の緑町大通り。JR根室駅の北約800メートルに位置する。
協賛団体。主催は根室盆踊り協賛会となっているが,運営している人たちの多くは緑町商店街,梅ヶ枝町商店街の法被を纏っていた。
会場周辺には露店もいくつか出ていた。
子供盆踊り 18:00〜20:00
19時からの子供仮装盆踊りに先立ち,自由参加の子供盆踊りが行われた。時計回りの進行は子供盆踊りでは非常に珍しいが,この地では以前から時計回りが慣例のようである。子供盆おどり唄の振付けは,反時計回りを前提としているので時計回りでは踊りにくいはずだ。音源はタンポポ児童合唱団盤が使用されていた。
18時50分,いったん踊りは終了。子供たちは櫓下に出向いてお菓子の詰め合わせ(びっくりスモールパックW)を受け取っていた。
19時からの子供仮装盆踊り大会は申し込み制で,すでに7月7日に申し込みが締め切られている。参加する子供たちはプラカードの前に整列していた。参加団体は,つくし幼稚園,花咲小学校,成央小学校など12団体237名。
開始前に実行委員の誘導で子供たちが手をつなぎ,大きな一重の輪が形成された。
振付けはしっかりしており,比較的きれいな踊りを見ることができた。この地独特の振付けとして,「吹けばちらちら灯がともる」の部分で「右へおっとっと,左へおっとっと」という掛け声を伴い飛び跳ねるような動作が見られた。これは本来の振付けとは異なるものの子供らしく,悪くはないと思った。
ただ子供たちの間隔が詰まり気味で,輪の進行が非常に遅かった。係の人が輪を広げようとしていたが,子供たちは「灯がともる」の箇所で,向かいの子供が目の前に来るまで前進しようとするので,どうしても間隔が詰まる傾向にあった。
19時50分,踊り終了。子供たちはその場にしゃがんで審査結果を聞いていた。審査員は,根室盆踊り協賛会会長,同盆踊り実行委員長ほか市役所,観光協会,教育委員会,文化協会,北海道新聞社根室支局,釧路新聞社根室支社,根室新聞社から各1名の9名。賞は特別賞,アイデア賞2チーム,努力賞2チーム,準優勝,優勝が用意されていた。優勝は花咲小学校6年生「日本の歴史」。記紀神話以来の歴史上の偉人に扮する手の込んだ仮装だった。
根室盆踊り 20:00〜21:00
20時からいよいよ「根室盆唄」による根室盆踊りが始まった。唄とお囃子は1966(昭和41)年8月に創設された根室おどり保存会が担当していた。はじめ,しばらくお囃子だけが続いた後,唄が入った。鳴物は四斗樽の太鼓と笛で,これは大正の頃の根室盆踊りをそのまま伝承しているものだという。
「根室盆唄」は遊郭にルーツを持つ盆踊り唄ということもあって,しっとりとした座興唄の趣がある。しかし「北海盆唄」にもかなり似ている。これは根室盆踊りの創設に関わった人たちの多くが越後地方の出身であり,北海盆唄と同じく古来越後方面で唄われていた「べっちょ節」をルーツに持つからだという。
踊りもまた根室独特のもので,北海盆踊りよりもむしろ歌志内を中心に残っているべっちょ踊りに近い。それゆえ,以前から北海盆唄根室発祥説が唱えられている。現在,北海盆唄は幾春別の盆踊りを起源とするのが定説であるが,根室盆唄も幾春別の盆踊りも源流は同じく越後方面にあり,根室盆唄のほうが成立年代が古いのはたしかだろう。ただ,北海盆唄の直系の祖が根室盆踊りと考えるのは地理的にも無理があるように思われる。根室盆踊りは,幾春別を起源とする北海盆踊りの系統の傍系として,北海盆唄に統一される前に道内に多様な形で存在していた盆踊りの姿を今なお残している事例と考えることができるのではないか。
唄われた主な歌詞は次のとおりである。七七七五調は北海盆唄と同じであるが,北海盆唄の歌詞とはほとんど重なるところがない。基本的に『ねむろの唄』(根室市音楽協会,1980)で「現在,盆踊りで唄われている歌詞」として掲載されているものが,当時から40年近くたったいまでも唄われているようである。この中で,「泣いてくれるな……」は「大正9年頃の根室盆唄の歌詞」に含まれており,「置いて来たせか……」は,ソ連がロシアに変化しているが,昭和21(1946)年体育協会募集の入選歌である。一方,地元根室出身の著名な作詞家・高橋掬太郎による根室盆唄の歌詞が「今宵一夜は……」しか採用されていないのは意外である。
霧も深いが 情けも深い 根室住みよい 人ばかり
霧の深さは 根室の華よ 義理と人情(なさけ)の 港町
根室名物 数々あれど 波の花咲く 車石
岬ノサップ 向うに千島 なぜに渡せぬ 夢の島
トンと叩けば からりと晴れて 根室娘の 盆おどり
夢の浮島 弁天島へ せめてかけたや 月見橋
千島恋しや 朝霧夜霧 島よ還れと なくかもめ
海の幸なら 千島が宝庫(たから) 早く還れよ おらが故郷(くに)
置いて来たせか 残したせいか 未練 ロシアの国境(くにさかい)
今朝も早よから かもめが鳴いて カニの根室に 春が来る
故郷(くに)を出るときゃ 裸で来たが いまじゃ根室で 新世帯
裏に花咲 表に根室 中の歯舞 昆布採る
霧の都の 根室の町に おらが名代の 盆おどり
春は根室の 流氷(こおり)もとけて 千島桜の 花が咲く
根室はなれて 南へ一里 カニの花咲 車石
根室良いとこ 一度はおいで 納沙布灯台 車石
島よ還れと 心はむせぶ 千島泣くかと 浜千鳥
霧の納沙布 貝殻島に 島よ還れと 灯がともる
荒い波風 もとより覚悟 ひらく出船は 根室丸
泣いてくれるな 出船のときは 沖で櫓櫂が 手につかぬ
白い国後 灯もみえぬ とどけ 根室の 盆だいこ
夏の友知 ハマナス咲いて つづく砂丘に 昆布干す
仲をさえぎる つれない雲も 今じゃ晴れての 夫婦星
盆の踊りに ○○○○○○○ 嫁にくれたろか 恥ずかしや
月がやぐらの 真上に出れば 踊り組む輪の 十重二十重
櫓太鼓で 手拍子揃い 粋な音頭で 輪に踊れ
千島還れば 日本の願い 届け○○○○ 盆太鼓
高い山から 港を見れば またも積んできた カニの山
月もまんまる 櫓の上で 音頭取りする 男だて
唄に○○○○ 明るい根室 ○○○○○○○ ○○○○○
今年ゃ豊漁 ○○○○○○○ ○○○○○○○ ○○○○○
○○○○○○○ 弁天島に ○○○○○○○ ○○○○○
恋の友知 ○○○○○○○ 赤いハマナス 君を待つ
汐の香りに つい誘われて 今日もくるくる 車石
今宵一夜は 浦島太郎 明けて口惜しい 玉手箱
太鼓叩いて 踊らぬものは 木仏金仏 石仏
最後は節回しが早くなり,21時前に終了。21時からは踊り参加者限定の大抽選会が行われた。
ある枠の中での多様性を特徴とする北海道の盆踊りであるが,いまだ北海道の色に染まっていない函館の盆踊りのほか,対極に位置する根室にも独自に発展した盆踊りが残っていることは興味深い。