アリーナチロル納涼盆踊り

訪問日:2014年8月7日(木)

場所:歌志内市アリーナチロル

旧産炭地の人口減少が進み、盆踊りも統合されていく市町が多い中で、歌志内市は文殊、中村、神威、本町、上歌と、地区ごとの盆踊りが続いている。わけても住友歌志内砿の本拠地であった中村地区は人口300余りになりながら、中村盆踊り、チロルの盆踊りという立派な盆踊り大会が行われている。その中村地区で、この年「アリーナチロル納涼盆踊り」という新しい盆踊りが開催されることを知って訪れてみることにした。

この盆踊りのことはほとんど知らしめられておらず、人が集まるのだろうと不思議に思ったが、会場入りする前にチロルの湯に入館してみるとポスターが掲示してあり、一応通常の盆踊りの体をなしていることを知った。

18時半過ぎに会場に着いたときには子供盆踊りが終わっており、歌手香澄さんの民謡ショーが行われていた。やぐらの前にはたくさんの椅子と机が並べられ、高校生か大学生とみられる青年が大勢いた。盆踊りとしては異様な光景であるし、歌志内市内にこんなに若者はいないはずである。やはり一般開放の形をとりながらも、何か特定の団体と関係している盆踊りのように思われた。

会場内には出店や賄いがあり、市内の役付きと思われる方々が自ら運営していた。青年たちの席には、役員の人たちが飲み物やデザートを盆で運んだりもしていた。

聞こえてくる会話で、青年は合宿で歌志内に来ており、地域との交流行事という位置づけでこの盆踊りが開催されているらしいことがわかってきた。学生の合宿というのは、それだけこの地域にとって大事なことなのだろう。あとから調べてみると、愛知県中部大学硬式野球部合宿の歓迎セレモニーだったとのことである。歓迎セレモニーで盆踊りというのは、いかにも歌志内らしいし、盆踊り本来のあり方の一つであるように思う。

大人盆踊り 19:00〜

アリーナチロルは1995年に開設された人工芝の屋内運動場で、盆踊り会場としては十分過ぎる広さがある。19時過ぎ、北海盆唄の生歌で、まずは地域の人たちが踊りを始めた。

太鼓は弥六太鼓。いつもは裏方に徹し、盆踊りをしっかりと締めている集団だが、今日は真ん中の太鼓を開放するので好きなように叩いてくださいと奉仕精神旺盛だ。

唄は神威や本町の盆踊りで櫓に立っている2名が担当、途中香澄さんも加わり、調子のよい合宿の学生もマイクを取ったりした。

唄われた歌詞は次の20種類余りで、歌志内本町の盆踊りで用いられていた歌詞集の一つを使い回していると思われる。はじめに、代表的な歌詞が3つ唄われた後は、「ちゃんこ茶屋の婆」「入れておくれよ」「高い山から」とべっちょ踊り由来の歌詞が続いたのはさすがである。途中、歌志内おなじみの「ミヨちゃん」も挿入された。

北海名物 数々あれど おらが国さの 盆踊り
五里も六里も 山坂越えて 逢いに来たのに 帰さりよか
唄え踊れよ 叩けよ太鼓 月の世界に 届くまで
ちゃんこ茶屋の婆 お茶出せ茶出せ 煙草盆出せ キセル出せ
入れておくれよ かゆくてならぬ 私ひとりが 蚊帳の外
高い山から 谷底見れば 瓜や茄子の 花盛り
主が唄えば 踊りも締まる 櫓太鼓の 音も弾む
唄に誘われ 太鼓に引かれ 今来たこの道 二度三度
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花
波の花散る 津軽の海を 越えて蝦夷地へ いつ来たか
若い二人の そろいの浴衣 恋の花咲く 盆踊り
栗の山から 大きな栗が 出れば踊りの 輪が太る
空の星さえ 夜遊びなさる わしの夜遊び 無理もない
旅のお方も 遠慮はいらぬ 一つ輪になれ 盆踊り
盆が来たかて 踊らぬ者は 木仏金仏 石仏
今宵嬉しや 別れたお方  迎え太鼓で 盆踊り
踊り踊るなら 叩けよ太鼓 月の世界に 届くまで
娘十七八 やりたい盛り 親もさせたい 針仕事
団扇片手に 涼みの浴衣 行こうか踊りに 広場まで
お釈迦様でも お閻魔様も 今宵あの世で 盆踊り
一度見せたや 故郷の親に 北海踊りの この姿

 

大人盆踊り動画(YouTube)

踊りの輪にはしだいに学生たちも加わってきた。踊りが乗ってくると、地元の人たちは「べっちょ踊り」を始める。通常の踊り自体にもべっちょの名残があり、これは中空知、南空知一円に見られるのであるが、完全なるべっちょ踊りは恐らく歌志内にしか残っていない。体力を消耗する踊りであるから、ここぞというときに阿吽の呼吸でべっちょ踊りに切り替えており、唄い手、太鼓、踊り手、見る人が一体となって緊張感を醸し出す。学生たちにとっても、この当世一流の盆踊りは、貴重な体験になったに違いない。