北海観光節

十勝岳連峰と十勝連峰

果たして,同じ山並みを指しているのだろうか。

十勝岳アートビューより十勝岳連峰を望む

学問上はいろいろの説もあるが,「十勝岳連峯」というのがこの平原の住民にとって最も親しみのもてる名称である(「上富良野町史」p.1,1967)

十勝岳連峰」と「十勝連峰」が混用されているが,出版物では山岳系は「十勝連峰」,観光系は「十勝岳連峰」の傾向があり,地元上富良野町では「十勝岳連峰」を使用している(「十勝岳1926(大正15)年噴火泥流災害90年回顧史」p.225,2017)。

ここに私の書きたいことはほとんど言い尽くされており,論を待たないのであるが,地元の人以外にとっては必ずしも自明ではない事柄と思われるので,改めて十勝岳連峰十勝連峰の使用例を概観してみたい。

トカチという地名について

トカチはアイヌ語に由来する地名で,その語源は古くから諸説まちまちであり,現時点では不明と言わざるを得ない注1。文献上では,江戸期から和人が進出した歴舟川や十勝川の下流域を指す地名として使われはじめ,松前藩政下にトカチ場所を設置,1869(明治2)年国郡制設定時に十勝国およぴ十勝郡が置かれた。現在は十勝川流域を中心とする北海道十勝総合振興局の管内を指す呼称として主に使用されている。

一方,十勝岳を主峰とする山並みを正面に望むのは,主に美瑛町~上富良野町~中富良野町にかけての一帯で,国で言えば「石狩」,振興局で言えば「上川」となる。ただこの地域はサケが上らなかったことから,アイヌの定住者はいなかったと言われる。

注1:「アイヌ語地名リスト」(北海道アイヌ政策推進局アイヌ政策課)では解釈の確定レベルが最も低いCに分類されている。

十勝岳について

1854年の「蝦夷闔境輿地全図(えぞこうきょうよちぜんず)」にトカツ山が現れるが,現在の十勝岳を指すのかは不明である。1858年十勝岳山麓を通過した松浦武四郎のスケッチでは十勝岳をヒエ岳とし,東西蝦夷山川地理取調図(1859)にもヒエノボリと記載されている。なお,同図では層雲峡の北に位置する現在のニセイカウシュッペ山をトカチ岳としている。

その後,1893(明26)年の陸地測量部輯製(しゅうせい)20万分1図で不正確ではあるものの概ね現在の位置に十勝岳が記され,翌1894(明27)年北海道庁実測20万分の1切図で現在と同じと位置に十勝岳の名が確認できる。トカチの語源は不明であるものの,十勝川源流部の山嶺のうち最も高い頂に十勝岳の名が冠せられたのは妥当に思われる。

なお,開拓当初は十勝岳のことを硫黄山と俗称したとも言われ(「中富良野村史」p.14),1926(大正15)年の十勝岳噴火を北海タイムスは「硫黄山爆発」と伝えている。また,私が上富良野で暮らしていたときの印象では,地元では十勝岳を含む連峰を総称して十勝岳ととらえ,麓から見える連峰のどの頂が十勝岳なのかを意識しないことが多いと思われる(高校時代に富良野線で通学するようになって十勝岳はどの山かとたびたび旅行者から聞かれ,主峰としての十勝岳を意識するようになった)。

蝦夷闔境輿地全図(1854)
陸地測量部5万分の1地形図「十勝岳」(1921測図)

「十勝岳連峰」の登場

十勝岳連峰は比較的新しい表現のように思われる。少し調べたところで最も古い使用例が,十勝岳噴火後まもない1926(大正15)年9月の田代修一「十勝岳爆發の今昔」(地学雑誌38巻9号)で,1929(昭和4)年の「十勝岳爆発災害志(十勝岳爆発罹災救済会)」では,第一章第一節に十勝嶽連峰と項目立てして紹介している。一方,大雪山国立公園指定時の公式案内書である「国立公園案内」(国立公園協会,p.245,1933)では,十勝岳火山(),また「日本案内記」(鐡道省,p.239,241,1936)は十勝連峯(佐幌岳~十勝岳),さらに十勝連峯,オプタテシケ山脈,トムラウシ火山彙を包含する呼称として十勝山脈十勝火山群という表現が出てくるなど,表現が定まっていない状況も見られる。

地元の文献を見ると,1909(明治42)年の「上富良野志」には十勝岳の記載すらなく,「郷土読本」(上富良野村教育部編纂,1932)にも十勝岳連峰は見当たらない。後述の「かみふらの郷土をさぐる」のうち,主に明治生まれの古老が執筆していた初期の号は,テーマの偏りもあるものの後年よりも十勝岳連峰の出現率が低い。しかし,1954(昭和29)年の「中富良野村史」には十勝岳連峰の表現が頻出しており,第2次世界大戦後には地元沿線にも十勝岳連峰の呼称が定着していたものと思われる。

開拓当初,山麓から見る十勝岳は当たり前の景色で,単なる山に過ぎなかったであろう。しかし,1930(昭和5)年世界的スキーヤーのシュナイダーが来訪,1933(昭和8)年白銀荘竣工,1934(昭和9)の大雪山国立公園指定などを経て,外部からの視点が入ってくる。ここに,地元においても十勝岳の山並みを郷土の風景として意識するようになり,洗練された表現として十勝岳連峰の呼称が定着していったのではないだろうか。

一方,連峰を眺めることがのできるのはもっぱら石狩側であるのに対し,連峰の縦走ルートから石狩,十勝の両方を眼下にする登山家の視点では十勝連峰と呼ぶことに特段の違和感はなく,現在まで両方の表現が使われているのではないか。なお,連峰の峰は峯と書いている場合もあるが,以下では区別せずに扱う。

「十勝嶽連峰」の項から始まる「十勝岳爆発災害志」(十勝岳爆発罹災救済会,1929)

十勝岳連峰と十勝連峰の使用例

では,実際の使用例を以下に見ていきたい。

市町村史,辞典類

まずは基本的な文献と言える地元市町村史と地名辞典の類から。下表のとおり,基本的に十勝岳連峰を使用している。「中富良野村史」「上富良野町史」「富良野市史」「富良野地方史」は中富良野出身の郷土史家・岸本翠月氏の著作で,いずれも明確に十勝岳連峰を採用しており,特に「上富良野町史」では冒頭に引用したように,最初のページに十勝岳連峯の見出しを立て,「『十勝岳連峯』というのがこの平原の住民にとって最も親しみのもてる名称である」と断言している。

「上富良野百年史」は町外の専門家による分担執筆だが,インターネットの全文検索によると,13か所中10か所が十勝岳連峰,残り3か所の十勝連峰のうち2か所は文献の引用である。

一方,「富良野地方史」の口絵(これは岸本氏の手を離れていると思われる)と「富良野事典」は十勝連峰を採用している。十勝岳を正面に望むのは中富良野までで,富良野市まで行くと郷土の山としての十勝岳の印象は薄くなるため,富良野市においては十勝連峰の表現に一定の支持があるのかもしれない。

十勝岳連峰

  • 中富良野村史(1954)
  • 上富良野町史(1967)
  • 富良野市史(1968)
  • 富良野地方史(1969) ※本文
  • 北海道大百科事典(北海道新聞社,1981)
  • 角川地名大辞典(角川書店,1987)
  • 上富良野百年史(1998) ※13箇所のうち10箇所

十勝連峰

  • 富良野地方史(1969) ※口絵
  • ふらの事典(富良野青年会議所,1986)
  • 上富良野百年史(1998) ※13箇所のうち3箇所
市町村史ほか地名辞典も基本的に「十勝岳連峰」を採用している。

かみふらの郷土をさぐる

1981年からほぼ毎年発行され2019年までに36号を数えている「かみふらの郷土をさぐる」は,これまで数多くの上富良野出身者が記事を執筆しており,上富良野の人の認識を探る上では格好の資料である。インターネットの全文検索によると,十勝岳連峰十勝連峰の登場回数は次のとおりであった。なお,著者略歴内で使用されているなど,複数の号で重複する場合は1つとして数えた。

十勝岳連峰が圧倒的に多く,十勝連峰の6例についても,うち4例は町外出身者の記事,1例は文献からの引用,1例は短歌の中での使用で字数の関係かと思われる。

やはり上富良野の人にとっては十勝岳連峰が自然な呼び方なのだろう。

十勝岳連峰

  • 51記事

十勝連峰

  • 6記事
町出身者の記事はほぼすべて「十勝岳連峰」を使っている。

小説

1926(大正15)年の十勝岳爆発の泥流被害を扱った小説として,佐藤喜一著「十勝泥流」(1946),三浦綾子著「泥流地帯」(1977),鹿俣政三著「泥流地の子ら」(2005)が知られる。ここで,十勝岳連峰十勝連峰の形勢が逆転する。

佐藤喜一氏は山岳分野に造詣が深い人のようなので十勝連峰の表現になじみがあったと思われる。三浦綾子氏が十勝連峰とした事情は不明であるが,三浦光世氏は「十勝岳は,大雪山から,かなりの距離を南へと連なる一大連峰である」(「三浦綾子創作秘話」小学館文庫,2006)と,連峰そのものが十勝岳だとする,まさに上富良野の人の認識を文字にしてくれている。「泥流地の子ら」の鹿俣氏は上富良野出身であり当然のことながら十勝岳連峰を採用している。

十勝岳連峰

  • 鹿俣政三著「泥流地の子ら」(2005)

十勝連峰

  • 佐藤喜一著「十勝泥流」(1946)
  • 三浦綾子著「泥流地帯」(1977)

新聞

北海道新聞も基本的に十勝岳連峰を使っているが,ときおり十勝連峰の使用例がある。一時,富良野支局発の記事で十勝連峰の事例が増えたことがあり,担当記者に理由を尋ねたところ,どちらも使用例があるからとのことで,特段のこだわりはないようだった。

国会図書館・道立図書館蔵書検索

両図書館の蔵書検索システムから十勝岳連峰十勝連峰をキーワードに検索した結果表示された文献は次のとおりである。

ここで,山岳系の出版物は十勝連峰が多い傾向が明らかとなる。ただし,山岳系であっても,美瑛山岳会など地元の出版物は十勝岳連峰を使用している。

また検索に引っかかるのは書名や雑誌の記事タイトルに十勝岳連峰または十勝連峰が使われているものなので,必然的に山岳系の文献が中心となり十勝連峰の使用例が増えることに注意する必要がある。

十勝岳連峰

  • 「十勝岳爆発災害志」(十勝岳爆発罹災救済会,1929)
  • 「北海道案内 2版」(北彊民族研究会,1938)
  • 「瀬戸君高田君追悼録」(有馬洋,1939)
  • 「十勝岳連峰美瑛岳ポンピ沢遭難報告書」(酪農学園大学体育会山岳部遭難対策本部,1967)
  • 「十勝岳連峰の自然と野外活動」(須田製版,1990)
  • 「十勝岳連峰・トムラウシ山」(北海道地図,1996)
  • 「十勝岳連峰とともに 40年史」(美瑛山岳会,1998)
  • 「上富良野百年史」(上富良野町,1998)
  • 「かみふらの 深山峠 アートパーク」(深山峠アートパーク,2000)
  • 「ジオ・アート「十勝岳連峰」」(北海道地図,2002)
  • 「十勝岳連峰」(ジオ,2003)
  • 「十勝岳連峰とともに 50年史」(美瑛山岳会,2006)
  • 「しろがね」(旭川営林支局美瑛営林署)
  • 「カミホロ荘」(カミホロ荘)
  • 「十勝岳連峰登山案内 2008年版」(上富良野町)
  • 「十勝岳連峰野外活動コース」(国立大雪青少年交流の家)
  • 「初冬の十勝岳連峰と国立大雪青年の家」
  • 山と渓谷385号(1970),186号(1970)
  • 岳人324号(1974),376号(1978),493号(1988)
  • 道路707号(2000)
  • 開発こうほう550号(2009)
  • 食料と安全8巻9号(2010)

十勝連峰

  • 「天門冬」(疎林短歌社,1933)
  • 「スキーコース図」(北海石版活版所,1934)
  • 「原野から見た山」(朋文堂山岳文庫,1957)
  • 「全国スキー地案内 : スキー場とツアー・コース」(創元社,1960)
  • 「スキーツアー案内 (アルパイン・ガイド27)」(山と渓谷社,1963)
  • 「日本の旅 第1 (北海道)」(小学館,1966)
  • 「カラー北海道 (山渓カラーガイド)」(山と渓谷社,1968)
  • 「北の山 : 北海道55座の記録と案内」(山と渓谷社,1972)
  • 「日本の山河 : 天と地の旅 47下 (北海道 下)」(国書刊行会,1977)
  • 「北海道夏山ガイド 3 東・北大雪、十勝連峰の山々」(北海道新聞社,1995)
  • 「十勝連峰」(山と渓谷社,1997)
  • 「Blue river」(青菁社,1998)
  • 「ウスバキ物語 : 十勝連峰境山のウスバキチョウは黒いか」(薄羽貴重,2000)
  • 「北海道山のトイレマップ」(山のトイレを考える会,2013)
  • 「北海道の山」(山と溪谷社,2013)
  • 「日本登山大系 1 北海道・東北の山」(白水社,2015)
  • 「アイヌプリの原野へ」(朝日新聞出版,2016)
  • 「北海道の山と谷 3 大雪・十勝連峰・夕張山地・増毛山地・道北」(北海道出版企画センター,2019)
  • 「見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質」(北海道新聞社,2020)
  • ケルン1934年1月号
  • 旅13巻12号(1936),14巻1号(1937)
  • 週刊サンケイ803号(1966)
  • 山と渓谷471号(1977),606号(1986),674号(1991),710号(1994),731号(1996),804号(2002)
  • 岳人386号(1979),423号(1982),585号(1996),588号(1996),632号(2000)
  • 季刊河川レビュー50号(1984)
  • 日本自然災害学会学術講演会講演概要集14(1995)
  • 旭川大学地域研究所年報25(2002)
  • 北海道・大雪山系/十勝連峰(特集 日本の縦走路)

一般書籍

手持ちの文献から本文中に十勝岳連峰または十勝連峰の記載があるものを確認してみた。こちらは逆に山岳系の文献をほとんど含まない点で分野に偏りがあるが,上の図書館蔵書検索との対比で見てもらいたい。

十勝岳連峰を使用しているものが21冊に対し,十勝連峰が4冊のみと,十勝岳連峰が圧倒的である。十勝連峰の文献のうち1つは堀淳一氏の「地図の風景北海道編」(1979)だが,同氏の晩年の著作「北海道地図の中の鉄路」(2014)は十勝岳連峰としている。

十勝岳連峰

十勝岳連峰を使用している文献

十勝連峰

十勝連峰を使用している文献

以上まとめるならば,十勝岳連峰十勝連峰の使用事例にはかなり明確な傾向があり,どちらでもよいという問題ではないように思われる。