7. 新入小学校とニニウ沼
2010年3月14日(日)
●8:00 朝食
朝食には,まあらあのくばんさんによる本日特製のパン。
占冠にパン屋さんができて,こうしてみんなでいただけるとは夢のようだ。
夜はかなり雪が降ったようだ。
●9:30 道の駅出発
道の駅から教育委員会のバスに乗って,再びニニウへ向かう。
●9:50 新入小学校・新入中学校見学
ニニウを新入と当て字すると,戦後開拓地のような印象を受けるが,これほどの山奥にしては歴史が古く,明治44年(1911年)に開校している。閉校は昭和50年3月。建物は昭和51年からしばらく林間学校として使用されていた。
今日は,役場のIさん,保育所のIさん,富良野のGさんと,新入小学校の同窓生が3名参加されている。役場のIさんと富良野のGさんは同級生で,久々の再開を果たしていた。
「われらここに育つ」という閉校記念碑を前に,当時の様子を語るIさん。
Gさんが当時のアルバムを見せてくれた。写真は昭和47年度の入学式。職員玄関前での記念撮影。
当時は児童数を確保するため,学齢期の子供を持つ先生を僻地の学校に赴任させるということが行われていたそうで,小山先生もそうして昭和44年に新入小に赴任した。
職員玄関左手の高学年教室はついに倒壊してしまった。職員玄関右手の部屋は図書室兼食堂で,給食はみんなで集まって食べていたそうだ。
写真は社会見学の出発式であろうか。後ろに見える児童生徒玄関,中学教室,水銀灯,遊具は今も残っている。当時は花壇もきれいだ。
運動会は部落一丸となって盛り上がり,方面別の対抗リレーなども行われたという。
石勝線鬼峠トンネルの工事は昭和49年度まで続いており,新入小に1年くらい通って転校していく児童も結構いたらしい。そうした方の一人から「私にとって本当に短い滞在期間であったにもかかわらず,ニニウは心の故郷なのです。何故か強烈な印象で彩られた地でした」と以前メールをいただいた。年代的に小山先生を知っているはずなので,今回連絡を取ろうと試みたがかなわなかった。
Gさんのアルバムの中に「たいせいまであるく」と書かれた遠足の写真があった。「たいせい」とはどこだろうと聞くと,Gさんも会田さんもすぐにわかって,大成建設の工事現場だと教えてくれた。調べてみると,ニニウから約3km札幌寄りにある新登川トンネルの工事を大成建設が請け負っており,工事は昭和41年度から昭和47年度まで続いている。「たいせい」が地名のように扱われるほど,鉄道の工事はニニウにとって身近なものだったのだ。
教員住宅は4戸が当時のまま残っている。小山先生もここに住んでいた。当時,先生にとってのごちそうは「さんま」だったという。ほかに一戸建ての校長住宅があったという。
役場のIさんによると,新入小学校・中学校閉校の直接的な原因は営林署の事務所の撤退だった。昭和49年度当初,ニニウにはまだ18戸が残っていたが,この年ニニウから営林署の事務所が撤退したことにより山仕事がなくなり,ニニウの人口が激減することとなった。
Iさんも含めて昭和49年度の2学期までに部落の子供たちは全員転校し,最後まで残った先生の親子のみで閉校を迎えたという。
●10:20 ニニウ沼探訪
30分ほどの滞在の後,学校をあとにし,バスでニニウ沼の入口に移動した。
ここにIさんたちの実家が並んで建っていた。昭和59年に制作されたドラマ「鬼峠」で,主人公「鉄夫の家」と「鈴木さんの家」として使用されたが,両者とも今はない。Iさんたちはもったいないことをしたと語っていた。
白樺並木の遊歩道を通り,ニニウ沼へ向かう。
ニニウ沼到着。昔コイがいたという。
ニニウ山登山道。今日は登ることができなかったので,次の機会の課題としたい。