ニニウ年表
入殖以前
1858(安政5) | 旧暦6月松浦武四郎が富内付近で聞き書きによりニヽウの地名を記録 | 文献1) p.451 |
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1987(明治20)頃 | 雨宮敬次郎北海道砂金探検団ニニウで砂金を掘る注1 | 文献2) pp.189-190、文献3) p.100 |
文献1 秋葉實編:『松浦武四郎選集 五 午手控(一)』(2007.9、北海道出版企画センター)
文献2 岸本翠月:『富良野地方史』(富良野地方総合開発連絡協議会、1969.10)
文献3 脇とよ:『新編砂金掘り物語-追想・老砂金師と私-』(みやま書房、1982.11)
注1 ニニウに砂金はないと言われており、試掘したということなのか、ほかの川との取り違えなのかは不明である。
初代鬼峠の時代
1906(明治39) | 殖民地区画測設 | 文献4) |
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1907(明治41) | 殖民区画貸付開始 | 文献5) |
1908(明治41) | 白川又治、植杉金之助ら3戸が入植 | 文献6) p.120 |
1910(明治43) | 王子製紙鵡川造材10年計画により急激な人口の増加 | |
1911(明治44) | 10月 ニニウ神社創祀 | 文献7) p.479 |
11月 私立新入教育所開校 | 文献7) p.881 | |
12月 ニニウ原野組合を組織 | 文献6) p.120 | |
このころ鬼峠(初代)開削される注2 | ||
1915(大正4) | 三等三角点「新入峠」設置 | |
1921(大正10) | 陸地測量部地形図に「鬼峠」の峠名が記載 | |
1916(大正5) | ニニウ青年団組織 | 文献8)年表 |
1917(大正6) | 広永広右ェ門が初めて馬を導入する | 文献7) p.721 |
6月 ニニウ駅逓設置 | 文献9) p.746 |
文献4 永田安太郎:『明治39年石狩天塩両国区画測設復命書』(北海道庁、1907.5)
文献5 北海道庁第五部殖民課:『殖民広報第34号』(北海道協会支部、1907.1)
文献6 榎本守恵:『近代僻地教育の研究』(同成社、1990.9)
文献7 『占冠村史』(勇払郡占冠村役場、1963.11)
文献8 『占冠村新入小中学校閉校記念誌』(新入小中学校閉校期成会、1975.3)
文献9 山地憲治:『占冠百年史』(占冠村、2006.2)
注2 初代鬼峠の開削年代は文献による違いがあり、1911(明治44)年~1913(大正2)年頃の開削と推定される。
二代目鬼峠の時代
1929(昭和4) | 2代目鬼峠2代開削 | |
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1930(昭和5) | 10月 国勢調査で蛇食い仙人話題となる | 文献7) p.882 |
1932(昭和7) | 会田長吉が水田を作る | 文献7) p.712 |
1933(昭和8) | 11月 ニニウ女子青年団新設 | 文献8) 年表 |
1936(昭和11) | 私立ニニウ青年学校発足 | 文献8) 年表 |
4月 国防婦人会ニニウ班組織 | 文献8) 年表 | |
1938(昭和13) | 八田鉱山新入クローム鉱山採掘開始 | 文献7) p.934 |
1944(昭和19) | 石綿鉱山に新入浅野小学校設置 | 文献7) p.575 |
1945(昭和20) | 9月 ニニウ駅逓廃止 | 文献9) p.746 |
1949(昭和24) | 庄司初哉が綿羊を導入 | 文献7) p.721 |
占冠中学校新入分校併置(1952独立) | 文献8) 年表 | |
1952(昭和27) | 赤岩ダムの計画が明らかになる | 文献7) p.284 |
1954(昭和29) | 森林電話が架設 | |
パンケニニウ川上流の東大夕張炭鉱閉山 | 文献7) p.940 | |
4月 ニニウ青年団創立 | 文献7) p.940 | |
7月占冠橋竣工、渡船廃止 | 文献7) p.511 | |
1956(昭和31) | 4月 新入小学校に川村一教諭赴任 | 文献7) p.884 |
1957(昭和32) | 7月6日 旭川青年会議所の企画で医療関係者、報道関係者などの一行約50名が来る | 文献7) p.885 |
新入小中学校に自家発電施設設置 | 文献8) 年表 | |
1958(昭和33) | 有線放送施設整備、ラジオ聴取と村内通話が可能に | 文献7) p.447 |
林道開通~学校閉校
1960(昭和35) | 6月中央注3~ニニウ間林道開通(現在の道道夕張新得線) | |
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1961(昭和36) | 赤岩ダム建設計画中止決定 | 文献7) p.284 |
秋 占冠村史執筆のため岸本翠月が調査に入る | 文献7) p.944 | |
1962(昭和37) | 台風9号による大水害、鮭大量遡上 | |
1964(昭和39) | ニニウ一号橋(村内初の鋼製吊り橋)竣工 | 文献9) p.849 |
1966(昭和41) | 鬼峠トンネル着工、ニニウ地区電化、中央~ニニウ間の冬季除雪開始 | |
ニニウ~穂別間の林道開通 | 文献9) p.849 | |
1970(昭和45) | 村営ニニウ牧場造成着手(1972年から放牧) | 文献9) p.270 |
1970(昭和45) | 農村集団電話つく | 文献8) 年表 |
1972(昭和47) | 学校給食開始 | 文献9) p.851 |
1974(昭和49) | 学校に赤電話つく | 文献8) 年表 |
1975(昭和50) | 新入小学校・中学校廃校 | |
金山営林署仁々宇製品事業所が山泊から通勤形態に変更 | ||
赤岩青巌峡に樹霊碑建立 | 文献9) p.851 |
注3 占冠役場所在地の行政字名
林間学校、ニニウ自然の国開設
1976(昭和51) | 学校跡地を林間学校として開設 | |
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レクリエーションの森開設 | 文献9) p.851 | |
赤岩青巌峡を中心に村立自然公園に指定 | 文献9) p.851 | |
1980(昭和55) | ニニウ林間学校に国鉄「自然の村」開村 | 文献9) p.852 |
1981(昭和56) | 10月 国鉄石勝線開業 | |
1982(昭和57) | 上川南部地域農山村開発基盤整備事業推進調査実施 | |
1984(昭和59) | 5月 ニニウ自然の国サイクリングターミナル開業 | 文献9) p.344 |
6月 北海タイムスに「占冠の女」連載 | ||
12月 STVテレビドラマ「鬼峠」放送 | ||
1986(昭和61) | ニニウキャンプ場開設 | 文献9) p.853 |
1992(平成4) | 写真家ニコラス・デュボアIIIが来村、ニニウの風景を写真に収める | |
1996(平成8) | ニニウの森造成事業着手 | |
1998(平成10) | ふるさと林道鬼峠線整備事業着手 |
北海道横断自動車道建設~不遇の時代
1999(平成11) | 北海道横断自動車道の現地調査に着手 |
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2000(平成12) | 1月 個人Webサイト「ニニウへ急げ」開設 |
2001(平成13) | 秋 道道夕張新得線の赤岩トンネルが着工 |
2002(平成14) | ニニウキャンプ場リニューアルオープンするも8月大雨により閉鎖、サイクリングターミナルはこの年が最後の営業となる |
2003(平成15) | ニニウ地区の国有林7haが遊々の森「自然体感ニニウの森」に指定 |
2004(平成16) | 北海道横断自動車道建設工事着工 |
2005(平成17) | ニニウキャンプ場はこの年が高速道路開通前の最後の営業となる |
2006(平成18) | 5月 札幌の不動産会社から占冠村に対し、ニニウサイクリングターミナルなどニニウ地区の施設の売却について打診がある |
2007(平成19) | 3月 鬼峠フォーラム開催 |
4月 赤岩トンネル、新赤岩橋開通 | |
7月 村議会でニニウの施設群売却を決定 | |
2008年(平成20) | 10月 鬼峠ノルディックウォーキング開催 |
12月 ニニウで道東道トンネル工事に伴うコンクリート不法投棄が問題に | |
2011年(平成23) | 5月 ニニウを含む村内全域で光ブロードバンドサービス開始 |
5月 第1ニニウトンネル内で特急脱線炎上 | |
10月 道東道夕張IC~占冠IC間開通 |
キャンプ場の再開-新しい時代を迎えたニニウ
2012年(平成24) | 秋 神社が元住民により補修される |
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11月 ニニウの元住民による「ニニウ会の集い」を開催(29名参加)、高齢化によりこの回をもって解散する | |
2013年(平成25) | 6月 ニニウキャンプ場8年ぶりにオープン |
8月 赤岩青巌峡 遊歩道復元 | |
8月 シムカップアートキャンプでキャンプ場にベンチ「鬼峠を越えて」が設置(柄澤健介氏制作) | |
9月 ニニウサイクリングターミナル、新入小・中学校校舎、教員住宅解体工事着工 |