ニニウと私 2006年
●2006.2.7 日月社山本さんからのメール
占冠村の日月社さんについては『しむかっぷでむかしむかしあったこと』や『鵡川源流観光リバーマップ』の制作を手がけたデザイン関係の会社ということで,名前だけは知っていた。この日,代表取締役の山本さんからメールをいただいた。
山本さんは大阪の生まれで,1989年にトマムリゾートへの就職で移住。リゾートではスタッフと来訪者をつなぐ情報紙「苫鵡の達人」を創刊するなど企画の仕事に携われた後,2001年に有限会社日月社を占冠村で設立された。
メールの用件は,ドラマ「鬼峠」のビデオを貸してほしいということだった。ビデオについては,ニニウのGさんから占冠村の教育委員会が所蔵しているという情報を得ていたので,その旨お伝えした。
●2006.2.25 なまら北海道だべさ主催 ふるさと銀河線貸切OFF会
ふるさと銀河線の営業廃止を2ヶ月後に控えたこの日,道内外から約50名の鉄道ファンが参加する大規模なオフ会が開催された。このオフ会には典宏さん,あずさん,駅前旅館さん,ごんすけさん,それに「心に刻もう!ふるさと銀河線の会」のH事務局長,そして私と,後に鬼峠フォーラムに参加するメンバーのうち実に6名が参加していた。
このことは単に同好の士の出会いということのみならず,ニニウあるいは占冠とふるさと銀河線とのつながりをも意味しているように思われる。ふるさと銀河線の陸別付近の景色は,岩手の北上山地の景色に似ているということをこれまでいろいろなところで書いてきた。一方,岩手の山奥,閉伊川上流の谷底には,もしニニウにまだ農家が住んでいたらこうであっただろうと思われるような風景が残っている。
陸別と岩手は似ている。そして,占冠と岩手も似ている。ということは,占冠と陸別は似ているということになる。しかしわざわざそのような三段論法を使わなくとも,考えてみれば,占冠と陸別は北海道では数少ない純山村であり,似ていて当たり前なのだ。
※オフ会=オフラインミーティング…ネット上で知り合った人々が現実世界で実際に集まって親睦を行うこと。
●2006.3.18 日月社を訪ねる
この日,JR北海道ではダイヤ改正が実施された。朝6時前に札幌駅に行き,この日をもって廃止となる特急利尻,特急オホーツク10号の到着を出迎えた。
その後,所用で上富良野の実家に帰るつもりだったが,その前に占冠の日月社に立ち寄ることにした。山本さんには,ビデオの件で役に立てなかったのにもかかわらず,『しむかっぷでむかしむかしあったこと』を送っていただいていたりしたので,一度挨拶に伺っておきたかったのだ。思い立ったのが前の晩だったため連絡も何もしていなかったが,9時17分占冠駅に到着して電話をするとご在宅とのことだった。駅のお姉さんに場所を聞き,歩いて10分ほどの事務所を訪ねた。
次の列車まで1時間弱の短い時間だったが,いろいろお話を伺うことができた。先日は鬼峠を歩いて越えたそうで,その様子が近々発刊の「EastSide」013号に掲載されるという。ニニウには土地の持っている力があって,その力は高速道路ができても失われないだろうとのお話が印象的だった。
帰りは車で占冠駅まで送っていただき,「今度は一緒に鬼峠を越えましょう」ということで別れたが,実際のところこの時点では,私は鬼峠越えについてまったく現実的に考えていなかったのである。
●2006.4.8 近自然学シンポジウムにて 占冠村教育委員会M主査と
この日は札幌駅前の佐藤水産文化ホールで開催された「近自然学シンポジウム」に参加した。このシンポジウムは,「近自然ネットワーク北海道」と「北海道スローフード・フレンズ」の共催で,日月社の山本さんが北海道スローフード・フレンズの事務局として参画されていたため,ご案内をいただいていたのである。
市民手作りのイベントだが,講師には東大の月尾嘉男先生や,札幌市の上田市長,北海道スローフード・フレンズ顧問の湯浅優子さんなど豪華な顔ぶれが揃い,行政主導で企画したのではまずあり得ない充実した内容だった。
シンポジウム終了後そのまま帰ろうとすると,山本さんに呼び止められて,占冠村教育委員会のM主査を紹介された。
M主査は占冠村のホームページ担当者として1996年から8年間にわたって「今日のしむかっぷ」という名物コーナーを担当されていた方である。以前,ニニウのページの作成を役場に連絡したとき,返事をくださったのもM主査だった。そのときのメールに「それでは,またお会いしましょう。(まだ会っていませんが)」と書かれていたが,それから実に6年越しでの初対面となった。このあと札幌駅の食堂でしばし歓談し,いろいろお話を伺うことができた。その中で「社会教育」ということについて詳しい説明を受けた。
社会教育とは成人を対象とした教育活動のことである。近年では生涯教育と称されることも多い。従来,主に公民館などが主体となって実施し,社会教育主事のような立場にある行政職員が企画を担当してきた。しかし,M主査は住民の教育レベルが格段に上昇した今日,なぜ大の大人が役所の人間に教育されなければいけないのかということに疑問を感じたという。そこで,村では硬直化していた従来の事業をいったん白紙に戻し,住民が自主的に企画した事業について行政が支援を行う「自主創造プログラム」の制度を作ったのである。
後日,M主査からご自身が書かれた「わがまちの生涯学習〜住民自主企画講座の活用と生涯学習担当者のあり方〜」という小論を送っていただいたが,まさか1年後,この「自主創造プログラム」に自分が参画することになるとは思っていなかった。
●2006.4.29 ニニウへのレクイエム
ありし日のニニウ1号橋(2005.9.25撮影) |
ヒデさんが運営されている「北海道キャンプ場見聞録」に,4月29日にニニウを訪れたときの様子が「我が家のファミリー通信 No.27"ニニウへのレクイエム"」として掲載された。それによると,キャンプ場の入口にあった吊り橋がついに撤去されてしまったとのこと。この吊り橋はキャンプ場のために架けられたものではなく,もともとは昭和39年,住民のための生活道路として架けられたものである。ニニウに農家があった時代の遺産が,高速道路の建設によってまた一つ消えてしまったのは寂しい。
昨年は5年ぶりにシーズン中全期間の営業を果たしたニニウキャンプ場も,吊り橋の撤去によりまたしばしの休業を余儀なくされそうである。
●2006.5月初旬 「EastSide」013号発刊される
「EastSide」誌は道東の弟子屈町に事務所を置くバルク・カンパニーが年2回発刊している雑誌で,主に北海道の田舎への移住者にスポットを当てた大変質の高い記事で構成されている。日月社の山本さんはこの雑誌に「山本敬介の写・文・画・漫歩エッセイ」という連載のコーナーを持っており,今号ではスノーシューで鬼峠を越えたというエッセイが掲載された。
「ある時『北海道で一番好きな風景は?』と突然聞かれた私は『ニニウの道』と答えた」というだけあって,ご自身でニニウ生まれの古老に取材されたエピソードなどを交えた素敵なエッセイだった。
「これから先,ニニウにたくさんの人が住む事はまずないだろう。しかしまったく人がいなくなる事もないのではないか。それは,ニニウが人を魅きつける不思議な場所だからだ」とは結論として言い得て妙で,今なおニニウの魅力に取り憑かれる人が絶えないのは,ニニウという土地に何かしら不思議な力が存在しているとしか考えられない。
こうしてこの半年の間に,ニニウのGさん,日月社の山本さん,教育委員会のMさんと,占冠とニニウにまつわるキーマンとも言うべき3人の方と面識を持つことになったわけだが,占冠の人に会うということは,自分にとってひどく怖いことでもあった。
年齢的なものや,勝手にホームページを作っている後ろめたさもあったが,いちばんは人間としてのスケールの違いである。都会のサラリーマンというのは毎日働いて寝るだけで,人間というよりも,ほとんど機械である。対して田舎の人は,あくまでも自分で意志を持って生活をしている「人間」なのである。占冠の人は,恐らく1人で都会の人100人分くらいの存在感を持っている。都会暮らしをもう10年以上続けている身では,話をする度に腹を突き刺されるように自分の惨めさを感じるばかりであった。
そんなことで,占冠の人達と知り合う一方で,占冠が自分の中でどんどん遠い存在になっていくような気がした。今年はニニウを訪れることもないだろう。今度ニニウを訪れるとすれば,私自身もっともっと修行を積み,しっかりした家庭を築き,一人前の人間になってからだと,そんなふうにも思った。
ところが,状況はまた一変するのである。
●2006.10.6 弐四四さん主催のオフ会にて
昨年一緒にニニウを訪れた茨城の弐四四さんが,今年も北海道に来られることになり,札幌市内でオフ会が企画された。参加者はおなじみ札幌のえさんと,北海道の滝のサイト「滝の飛沫」主宰の遥香さん,徒歩で北海道一周に挑戦中でその様子をブログ「てくてく北海道一周」で紹介しているRIE(cm_flo)さんの5名で,何かいつもと違う雰囲気のオフ会だった。
オフ会の中で,RIE(cm_flo)さんからスノーシューで鬼峠を越えてみたいという話があった。車のない方なので,占冠まで誰かに乗せてもらって,単身峠を越えるつもりだという。
このとき私は初めて鬼峠越えということを現実的に意識した。
早速,オフ会後の10月9日,RIE(cm_flo)さんに「EastSide」誌の記事を送って鬼峠越え同行の了解を得,10月14日,山本さんに道を案内していただけるようメールで依頼した。同日夕刻,山本さんから返信があり,ちょうどその日の朝,雲一つない青空の下を車で鬼峠の頂上まで登ってきたのだという。これもまた何か縁深いものを感じた。
山本さんによると,鬼峠には雪のない時期は熊が出るので立ち入りできず,また,4月に入ると雪崩の恐れがあるため,2月中旬以降3月までが良いということだった。
こうして,スノーシューによる鬼峠越えに向けて,にわかに話が動き出したのである。
●2006.10.21 占冠にて
この日,日高本線の鵡川駅から路線バスを乗り継ぎ,平取,二風谷,振内,日高と訪ねる小旅行に出かけた。最後は日高町営バスの最終便で占冠市街に降り立った。夜中なのでよく見えなかったが,小さな市街地に高速道路の現場事務所がひしめき合うようにして建っていた。
道道占冠穂別線は今年も通行止め。この先15kmで通行止めとあったから,ニニウまでは通じているのだろう。
駅の待合室で村報を見ていると,ある月の号で「あなたが大好きな占冠村の風景を教えて」という特集が組まれ,ペンケニニウ川橋梁の写真が大きく掲載されていた。占冠村の人達のニニウへの思い入れは本当に並々ならぬものがあるようだ。